91年夏大阪北心ジムキック興業

僕の勤務する会社の長野支店に今春専門学校を卒業した新入社員が配属されました。新入社員に話を聞くと1991年生まれといい時の流れの早さに驚かされました。


もう20年も前ですが新入社員が生まれた1991年に僕は何をしていたのか思い出してみました。当時僕は新卒で入社した会社で大阪に配属されました。その会社に勤めていた3才年上のOLのお姉さんを好きになり告白して振られ一発奮起してキックボクシングのジム入門しました。現在は日々の生活に追われ格闘技とは無縁の生活を送っていますが懐かしくなり当時のパンフレットを引っ張り出してみました。


僕が入門したジムは北心ジムでした。北心ジムの重永会長は関西キックボクシングの老舗西尾ジムで学びその縁でシーザー武士選手がシュートボクシングを始めた初期の頃シュートボクシングに参戦した事もありましたがその後アジア太平洋キック連盟に所属して独立・日本格闘技キック連盟(以下JKFと書きます)を設立しました。


僕が入門した頃JKFとして本格的なキック興業が始まりました。91年1月大阪府立体育会館、91年4月に神戸で興業がありました。1月興業の直前に入門したので先輩の顔と名前が一致しなくてこの2つの興業はほとんど内容は覚えていませんが91年7月10日に僕が入門して3回目のキック興業が開催されました。写真はその時のパンフレットです。


20年以上前で記憶があやふやな部分があったり雑用をしていて一部始終を見ていたわけではないので違いはあるかもしれませんが北心ジムの選手の試合を振り返ってみたいと思います。

第1試合、成田博行選手(北心)1ラウンドKO勝ち、成田選手は練習熱心でジムの玄関をくぐるといつも気合いを入れてサンドバックを蹴っていました。成田選手は他団体のリングにも上がり5戦5勝の戦績を残しました。僕のデビュー戦にセコンドについてもらい感謝しています。


第2試合、今村憲司選手(北心)相手の顔面にヒザ蹴りを決めてKO勝ち、今村選手は変則蹴りが得意でマススパーをするとどうしても捌けず決められまくっていました。よくミットを持ってもらい感謝しています。

第3試合、仲洋幸選手(北心)不戦勝、仲選手はデビュー戦で後のMAキック連盟のチャンピオンになった山本登選手と好試合をしました。1年後空手有段者と試合をして相手を血ダルマにした試合のセコンドに僕はいましたがハードパンチャーでした。


5回戦第1試合、山本太郎選手(北心)対山本登選手(豊中)の山本対決は豊中ジムの登選手が勝ちました。山本登選手は後にMAキック連盟に移籍してチャンピオンになりました。太郎選手は2勝2KO勝ちの戦績がありましたがこの試合が最後でした。


アトム山田選手(北心)対青山光範選手(青山道場)の異種格闘技戦、アトム選手はハイキックのフォームが華麗で憧れていました。青山選手は実戦空手を修行中で空手着を着て空手の技術にこだわっての対戦でしたがアトム選手の技術が勝りKO勝ちしました。アトム選手もチャンスがあれば他団体のフライ級戦線をかき回せたと思います。敗れたとはいえ青山選手も不慣れなリングでの闘いやグローブ着用などのハンディがありながらも善戦したと思います。


国際試合、サムチャイカム選手(北心)対レルトラビートルアヌソーン選手(タイ国)サムチャイカム選手はリングネームで日本人です。バンタム級とは思えぬ重い左ミドルキックと首相撲の強さを持っていました。数年後全日本キックとの交流戦で試合巧者杉本金太郎選手に勝ちました。対するレルトラビー選手はムイさんと呼ばれチームドラゴンの前田会長や多くの日本人に勝った事がある日本人キラーの選手です。サムチャイカム選手相手の手の内が分からない中で本場ムエタイ技術と真っ向勝負をしてのドロー、大善戦しました。


セミファイナルは松尾栄治選手(北心)対西川和幸選手(ヨコ山)の対戦でした。松尾選手が国際式ボクシング出身の西川選手に1ラウンドKO勝ちしました。その後松尾選手はMAキック連盟に移籍、看板選手だった山崎道明選手にKO勝ちしてチャンピオンになりました。松尾選手のその後の活躍は格闘技雑誌で写真入り記事になりワクワクしながら見ていました。松尾選手が活躍した時代はK-1全盛期でしたが松尾選手の試合はK-1にも負けないほどファイティングスピリットとテクニックを持ったプロの試合でした。


メインイベントは不破龍雄選手(北心)対ユタポン・ウォンビェンヤイ選手(タイ国)の対戦でした。不破選手はかつて竹山選手対鈴木選手の龍虎の決戦のメインイベントに出場した事があるJKFのエースです。不破選手は建設資材販売会社の大阪支店長で文武両道のスーパーマンでした。ユタポン選手は後のはまっ子ムエタイジムの会長になりました。ユタポン選手とムイ選手はこの試合後北心ジムに住み込み指導するようになりました。ユタポン選手達と知り合わなかったらプロレスオタクで終わっていたと思い人の縁の大切さを感じました。






試合はヒジ、ヒザの国際式ボクシングに無い技術の応酬やヒジによる流血もありテクニックとファイティングスピリットあふれる素晴らしい試合でした。


こうして20年前の事を振り返ると懐かしさで胸が熱くなります。良き先輩に恵まれ充実した青春時代だったと思います。北心ジム関係者とは現在は音信不通になってしまいましたがよくしていただきありがとうございました。北心ジム関係者のご健康とご多幸を願っています。


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2011年05月20日 Posted byプラネマン at 04:14 │Comments(10)日本格闘技キック連盟

この記事へのコメント
はじめましてww
重永会長(中川二郎)はムチャクチャ頑張ってはりますよ~。

今は年に3回大阪市内で興行してますよ。。
よかったら是非観に来て下さい。
北心は今は選手少ないので、ほとんど余所のジムの人ばかりで興行していますよ
私のジムの選手達がセミやメインで使って貰ってます。
Posted by アツキムエタイ at 2011年06月30日 00:34
アツキムエタイさんコメントいただきありがとうございました。気が付くのが遅れコメントが遅くなり申し訳ありません。


僕は今から20年ほど前に重永会長にお世話になり3戦ほどしました。JKF関係者からコメントをいただき光栄です。僕は現在長野市で日々の生活に流されていて格闘技とは無縁の生活を送っていますが重永会長が元気でいたり北心ジムが残っていると聞きOBとしては嬉しく思います。


かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだったK-1や総合格闘技がすっかり寂れてしまい格闘技の運営も大変だと思いますが年3回の興業を行うと聞き嬉しく思います。キックの灯を絶やさぬように関係者の努力を期待しています。長野市は不景気で中々収入が増えていかず経済的に大変ですが一度はJKFを見てみたいと思います。この時期で大阪では一週間連続で熱帯夜が続き体調管理が大変だと思いますがアツキムエタイさんも体調管理に気を付けてお過ごし下さい。
Posted by プラネマン at 2011年07月01日 04:48
平成24年1月22日安倍野区民センター
ぜひ見にきてください。
Posted by キック at 2011年11月27日 08:52
キック様コメントいただきありがとうございました。1月大阪に行ってみたいですが現在勤めている建設関係の会社が景気の悪さに連動して厳しい状態です‥ボーナスが出れば行ってみたいですが‥地方は景気が悪く現状では何とも言えず残念です‥1月の興業は寒さや不景気を吹き飛ばす盛り上がった興業になる事を影ながら願っています。
Posted by プラネマン at 2011年11月27日 22:41
偶然このサイトを拝見させていただきました。
小生、この試合に出ていた者です。おそらく、プラネマさんとも、当時お会いしていると思いますが・・・
とても懐かしいです。もう二十年も経ったんですね、あれから。
格闘技が脚光を浴びない、不毛の時代でもありました。にもかかわらず、みな一生懸命でした。好きな事にひたすら打ち込む、良き日本の、もしかすると最後の時期だったのかも知れません。
Posted by 青龍 at 2011年12月09日 23:00
青龍さんコメントいただきありがとうございました。JKF関係者からコメントいただけるとは光栄です。あれから20年が過ぎ当時フェザー級だった僕も運動不足や帰宅が遅く寝る前に食べるのでミドル級の体重を超えてしまいキックをしていた面影はなくなってしまいましたが同年代の人が病を患う事が珍しくない中で入社10年以上肉体労働をしながら病欠無しというのは若い頃キックで鍛えたためだと思っています。


西日本の格闘技のメッカ大阪府立体育会館のリングに上がった事は誰でも体験出来る事でないお金では買えない体験だと思います。あの頃とは社会の枠組みがすっかり変わってしまいましたが青春時代の貴重な経験を心の支えに頑張って行きましょう!
Posted by プラネマン at 2011年12月10日 20:41
はじめまして。(もしかして、北心ジムでごいっしょしていたかも知れません・・)
僕も北心ジムから、92年~94年にかけて、数試合ミドル級の選手として府立体育会館のリングに上げさせて頂いてた者です。
偶然、このサイトを拝見させて頂き、胸が熱くなり、コメントさせて頂きました。
リングを去り、今では仕事の多忙さから殆ど自ら体を動かすは無くなってしまいましたが、当時を知る方と貴重な思い出を共有させて頂き、とても嬉しい気持ちになりました。
北心ジム出身の皆さん、良い新年を迎えられると良いですね。
Posted by 赤川 洋介 at 2011年12月25日 15:18
赤川さんコメントいただきありがとうございました。赤川さんとはジムで会っています。アマレスをしていた赤川さんの鍛え上げた身体は格好よかったですよ!あの頃総合格闘技が盛んだったら赤川さんも良い所までいけただろうと思いました。近々昔の北心興業をブログアップして行きたいと思います。

我々の現役時代と現代は時代の流れがすっかり変わってしまい色々と大変ですが僕も赤川さんもリングに上がった何万人の中の1人の男である事を心の支えに頑張って行きましょう!
Posted by プラネマン at 2011年12月26日 02:53
今日、初めて見ました。
初めて、自分の名前検索しましたら、北心ジムさんのブログに出ていたので、びっくりしたのと感謝しています!!有難うございます!
  豊中ジム5周念の試合(54年)に見に行きファンになり、両親を説得して高校生で始めました。20歳でデビューして勝ちました。この頃は月に何試合もあった時代でした。
五年間くらいキックから離れましたが、ジムの尊敬する先輩(不知火隼人)さんに誘われて再スタートしました。
そして、北心ジムさん主催の試合に出場出来ることになりました。大阪府立体育館で試合出来る事に感謝しました。
2戦目は山本太郎さんと試合をしてko負けで、3戦目に32歳の時に成田選手と対戦してあごにパンチもらいko負けでした。
気が付くと天井が見えていました。強かった記憶が残っています!
パンチも蹴りも重かったです。
私の両親が初めて見に来てくれた試合で大変印象に残っております!
悔しくて、タイに練習に行き7月15日の牧田選手と対戦して2ラウンドハイキックでko勝ち出来ました!
豊中ジムは49年設立して今年で39年に成ります!!
私は今も練習していますよ。50歳です~(25年以上は成りました~)
青年育成になればと微力ながら岡田会長のお手伝いをさせて頂いております~
北心ジムさん有難うございます!
重永会長さま有難うございます!!
この、ホームページ書かれた方に感謝してます!
今後とも宜しくお願い致します!!
Posted by 藤原孝 at 2013年02月26日 00:03
藤原孝さんコメントいただきありがとうございました。
僕が初めて格闘技観戦をしたのが86年4月のシュートボクシングでメインイベントはシーザー武士選手対豊中ジムの不知火選手で好勝負でした。不知火選手の名前を聞くと格闘技に対する初々しい気持ちや憧れが蘇ってきます。

92年7月の興業で藤原孝さんのハイキックKOシーンは鮮やかでした。あの試合僕は牧田選手のセコンドについていました。しばらく牧田選手は立ち上がれないほど強烈なKO勝ちでした。当時僕はデビューしていなくてこの興業の数ヶ月後に長野に帰りましたが藤原孝さんのハイキックや大阪府立体育会館の盛り上がりに忘れ物をしたような気持ちになり地元に帰ってから自主トレをして北心ジム興業に出場しました。

現在では格闘技から遠ざかっていますが藤原孝さんは今でも練習して凄いと思います。これからもキックを支えて欲しいと思います。まだまだ寒い日が続きますが藤原孝さんも体調に気をつけてお過ごし下さい。
Posted by プラネマン at 2013年02月26日 04:31
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