91年夏大阪北心ジムキック興業

プラネマン

2011年05月20日 04:14

僕の勤務する会社の長野支店に今春専門学校を卒業した新入社員が配属されました。新入社員に話を聞くと1991年生まれといい時の流れの早さに驚かされました。


もう20年も前ですが新入社員が生まれた1991年に僕は何をしていたのか思い出してみました。当時僕は新卒で入社した会社で大阪に配属されました。その会社に勤めていた3才年上のOLのお姉さんを好きになり告白して振られ一発奮起してキックボクシングのジム入門しました。現在は日々の生活に追われ格闘技とは無縁の生活を送っていますが懐かしくなり当時のパンフレットを引っ張り出してみました。


僕が入門したジムは北心ジムでした。北心ジムの重永会長は関西キックボクシングの老舗西尾ジムで学びその縁でシーザー武士選手がシュートボクシングを始めた初期の頃シュートボクシングに参戦した事もありましたがその後アジア太平洋キック連盟に所属して独立・日本格闘技キック連盟(以下JKFと書きます)を設立しました。


僕が入門した頃JKFとして本格的なキック興業が始まりました。91年1月大阪府立体育会館、91年4月に神戸で興業がありました。1月興業の直前に入門したので先輩の顔と名前が一致しなくてこの2つの興業はほとんど内容は覚えていませんが91年7月10日に僕が入門して3回目のキック興業が開催されました。写真はその時のパンフレットです。


20年以上前で記憶があやふやな部分があったり雑用をしていて一部始終を見ていたわけではないので違いはあるかもしれませんが北心ジムの選手の試合を振り返ってみたいと思います。

第1試合、成田博行選手(北心)1ラウンドKO勝ち、成田選手は練習熱心でジムの玄関をくぐるといつも気合いを入れてサンドバックを蹴っていました。成田選手は他団体のリングにも上がり5戦5勝の戦績を残しました。僕のデビュー戦にセコンドについてもらい感謝しています。


第2試合、今村憲司選手(北心)相手の顔面にヒザ蹴りを決めてKO勝ち、今村選手は変則蹴りが得意でマススパーをするとどうしても捌けず決められまくっていました。よくミットを持ってもらい感謝しています。

第3試合、仲洋幸選手(北心)不戦勝、仲選手はデビュー戦で後のMAキック連盟のチャンピオンになった山本登選手と好試合をしました。1年後空手有段者と試合をして相手を血ダルマにした試合のセコンドに僕はいましたがハードパンチャーでした。


5回戦第1試合、山本太郎選手(北心)対山本登選手(豊中)の山本対決は豊中ジムの登選手が勝ちました。山本登選手は後にMAキック連盟に移籍してチャンピオンになりました。太郎選手は2勝2KO勝ちの戦績がありましたがこの試合が最後でした。


アトム山田選手(北心)対青山光範選手(青山道場)の異種格闘技戦、アトム選手はハイキックのフォームが華麗で憧れていました。青山選手は実戦空手を修行中で空手着を着て空手の技術にこだわっての対戦でしたがアトム選手の技術が勝りKO勝ちしました。アトム選手もチャンスがあれば他団体のフライ級戦線をかき回せたと思います。敗れたとはいえ青山選手も不慣れなリングでの闘いやグローブ着用などのハンディがありながらも善戦したと思います。


国際試合、サムチャイカム選手(北心)対レルトラビートルアヌソーン選手(タイ国)サムチャイカム選手はリングネームで日本人です。バンタム級とは思えぬ重い左ミドルキックと首相撲の強さを持っていました。数年後全日本キックとの交流戦で試合巧者杉本金太郎選手に勝ちました。対するレルトラビー選手はムイさんと呼ばれチームドラゴンの前田会長や多くの日本人に勝った事がある日本人キラーの選手です。サムチャイカム選手相手の手の内が分からない中で本場ムエタイ技術と真っ向勝負をしてのドロー、大善戦しました。


セミファイナルは松尾栄治選手(北心)対西川和幸選手(ヨコ山)の対戦でした。松尾選手が国際式ボクシング出身の西川選手に1ラウンドKO勝ちしました。その後松尾選手はMAキック連盟に移籍、看板選手だった山崎道明選手にKO勝ちしてチャンピオンになりました。松尾選手のその後の活躍は格闘技雑誌で写真入り記事になりワクワクしながら見ていました。松尾選手が活躍した時代はK-1全盛期でしたが松尾選手の試合はK-1にも負けないほどファイティングスピリットとテクニックを持ったプロの試合でした。


メインイベントは不破龍雄選手(北心)対ユタポン・ウォンビェンヤイ選手(タイ国)の対戦でした。不破選手はかつて竹山選手対鈴木選手の龍虎の決戦のメインイベントに出場した事があるJKFのエースです。不破選手は建設資材販売会社の大阪支店長で文武両道のスーパーマンでした。ユタポン選手は後のはまっ子ムエタイジムの会長になりました。ユタポン選手とムイ選手はこの試合後北心ジムに住み込み指導するようになりました。ユタポン選手達と知り合わなかったらプロレスオタクで終わっていたと思い人の縁の大切さを感じました。






試合はヒジ、ヒザの国際式ボクシングに無い技術の応酬やヒジによる流血もありテクニックとファイティングスピリットあふれる素晴らしい試合でした。


こうして20年前の事を振り返ると懐かしさで胸が熱くなります。良き先輩に恵まれ充実した青春時代だったと思います。北心ジム関係者とは現在は音信不通になってしまいましたがよくしていただきありがとうございました。北心ジム関係者のご健康とご多幸を願っています。

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