昨日6月22日にNHKで放送されたSONGSという番組を見ました。
この日は八神純子さん特集で「水色の雨、誕生秘話」を中心に放送されました。
以前SONGSで中島みゆきさんの特集がありましたが中島みゆきさんの「時代」が受賞したグランプリに八神純子さんが出演していた…というエピソードが放送されました。
その時に幼い頃聞いた八神純子さんの「水色の雨」を思い出しました。子供心に八神純子さんの透き通った声が強烈でした。ふとあの時の感動を思いだし八神純子さんの歌を聞いてみたくなりました。そして八神純子さんの特集があり楽しみでした。
八神純子さんは29歳で渡米、ファンの前から姿を消していましたが去年25年ぶりにコンサートを開催しました。
八神純子さんは名古屋生まれで3歳からピアノを始め高校に入り作詞作曲を始めました。
第8回ポピュラーソングコンテストで「雨の日のひとりごと」で優勝、20歳の誕生日に歌手デビューしました。レコーディングに時間をかけて大変だった…というエピソードを話していました。
デビュー曲「思い出は美しすぎて」で12万枚売上をして注目されました。
しかしセカンドシングル「サヨナラのことば」は売れずスタッフから名古屋に帰った方が良い…と言われました。
後がない八神純子さんはアイデアを求めながら原宿を歩くと水色の雨のフレーズが浮かんできました。歌手生命が終わってしまうかもしれない…という土壇場のプレッシャーの中で水色の雨が誕生した秘話を話していました。
「水色の雨」はレコーディングの時のスタッフの対応からして違ったそうで59万枚の大ヒット曲になりました。
八神純子さんは「水色の雨」をフルコースで歌いました。
透き通った声は子供の時の強烈な印象そのものでした。今から聞くと歌詞も大人の恋を歌い現在の流行歌よりインパクトが強い気がしてヒットした理由が分かる気がしました。
その後八神純子さんは1979年に「思い出のスクリーン」、「ポーラスター」をヒットさせ1980年に「Mr.ブルー」、「パープルタウン」で紅白歌合戦出場とヒット曲を連発しました。
デビューから4年アメリカ進出、1983年全曲英語のアルバムを発売しましたがヒットにはいたりませんでした。
28歳でイギリス人音楽プロデューサーと結婚、アメリカに移住、ロスでライブを開催したりしましたが2人の子供を出産すると音楽活動は停止、子育てに専念しました。
八神純子さんは友人から幸せか?と聞かれたそうです。友人いわく「自分の幸せは人の気持ちで左右されてはいけない…と言われ「歌う事が幸せだ…」と行き着きました。
去年25年ぶりに音楽活動を再開しました。16年ぶりにオリジナルアルバムを発売しました。
八神純子さんは「パープルタウン」を生演奏で歌いました。
最後に夫婦の愛を歌ったラブソング「約束」を歌いました。ミカンを食べるとか夕陽の坂道など独身の僕には眩しすぎた素敵な歌でした。
八神純子さんは年齢に関係ないラブソングを歌いたい…と言っていましたが人々の心を癒す素敵な歌を作れると思いました。
八神純子さんのこれからの活躍が楽しみです。