徳光和夫名曲にっぽんに太田裕美さん出演/BS ジャパン

プラネマン

2014年06月18日 23:15

今日6月18日にBSジャパンで放送された「徳光和夫名曲にっぽん」を見ました。

初めて見る番組ですが新聞のテレビ欄で偶然太田裕美さんの名前を見つけ見たくなりました。


太田裕美さんはかつて木綿のハンカチーフ他数々のヒット曲で有名ですが僕が中学1年生だった1980年に偶然太田裕美さんがさらばシベリア鉄道を歌うのを見ました。


凄い躍動感のある曲と異国情緒を感じさせるスケールの大きな歌詞に感動して初めて買ったレコードが太田裕美さんのさらばシベリア鉄道でした。


僕が高校2年生だった1984年に部活をサボって薬師丸ひろ子さんのメインテーマという映画を見に行きました。

その時薬師丸ひろ子さんのお姉さん役で太田裕美さんが出演していました。メインテーマは17歳だった僕に影響を与えた映画でしたが太田裕美さんと薬師丸ひろ子さんが那覇市国際通りを歩くのが楽しそうで印象的でした。そんな事を考えながら太田裕美さんを見るのを楽しみにしていました。

番組はまずオープニングに太田裕美さんが夜景をバックにピアノで雨だれを弾き語りました。

続いてデビュー4年目になる平尾昌晃さんの音楽学校出身の西田あいさんが「月見草」を松原健之さんが「ふるさとの空は遠く」を歌いました。


インタビューがあり太田裕美さんは恩師として筒美京平さんの名前を上げていました。


筒美京平さんはメディアにあまり出演せずに実在しないのではないか…と言われていますが太田裕美さんはよく会いかつて太田裕美さんが「いい女になりたい…」と言ったのを聞き「いい女って何?」と言い考えさせテーマを投げる事がある…と話していました。


筒美京平さんのメドレーが歌われ…
太田裕美さんが昭和51年、赤いハイヒール、
西田あいさんが昭和47年、17歳、
松原健之さんが昭和46年、また会う日まで、
司会のあさみちゆきさんが昭和53年、東京ララバイ、
太田裕美さんと松原健之さんが昭和50年、木綿のハンカチーフをデュエットしました。


松原健之さんのインタビューがあり恩師に作詞家の茜まさおさんの名前をあげました。

松原健之さんは1997年に放送されたチャレンジ歌バトルに出演、グランプリを獲得しましたが表彰した平尾昌晃さんに対して横柄な態度をとったお宝映像が流れました。


茜まさおさんの音楽学校からは五月みどりさんなど有名人が卒業していますが茜まさおさんからデビューのお墨付きをもらった時に「茜まさおさんより有名な先生に見てもらいたい…」と憎まれ口を叩いたエピソードが語られました。


茜まさおさんが松原健之さんにレッスンした霧の摩周湖を歌いました。


続いて西田あいさんのインタビューがあり憧れの歌手に西田佐知子さんの名前をあげました。


西田あいさんの芸名の由来は恩師の平尾昌晃さんぎ西田佐知子さんに憧れそこから西田という名前をつけたそうです。平尾昌晃さんからはとにかくヒロインしろ…とアドバイスを受けたそうです。「アカシアの雨が止むときに」を歌いました。

続いて司会のあさみちゆきさんの歌巡りとして府中市に行き「歌のふるさとフータロウ」さんに行きました。

夕方は音楽教室、夜は飲み屋を営業、マスターはかつてはプロデビューの話があったバンドマンでしたが病気になり話が流れました。しかしマスターは悔いは残っていなくて病気になった故に音楽教室の素晴らしい仲間に出会え感謝していると話していました。


音楽教室のメンバーの営業演奏で津軽海峡冬景色を歌いました。


最後に太田裕美さんがロマンチックが止まらないを原曲と違うバージョンで歌いました。


太田裕美さんが可愛らしさが残っていて好感がもてました。この日出演された皆様の更なる活躍を願っています。

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