こち亀/40年連載終了

プラネマン

2016年09月10日 19:52

9月4日の読売新聞社会面に少年ジャンプの人気マンガ「こち亀」が連載終了になる…という記事がありました。

最近は少年ジャンプを読んでいませんが49歳の僕が幼少時から40年1回も休まずに連載され単行本は200巻になった…というのは凄いことだと思います。

少年ジャンプは人気の有無が厳しく人気が無いと連載が中止になるといい実際に僕が少年時代に楽しみにしていたマンガも未完で終わった作品がありました。そんな中で40年続いたというのは国民的人気のマンガだった…と言っても大袈裟でないと思います。


先日あるプロレスライターの記事を偶然読みましたが「3年過ぎれば10代の人の中には知らない人が出て30年過ぎれば誰も覚えていない」という文がありなるほど…と思ったばかりなのでこち亀の連載終了の記事を読みこち亀は偉業だと思いました。


こち亀の連載開始は1976年だといいますがその頃は毎週土曜日夜9時からGメン75が放送されていたことを考えるとその時からバブル経済崩壊、失われた20年、ネットの普及、リーマンショック…と幾多の時代の変わり目にいながらも時代の流れに流されず常に笑いを提供していたことは漫画家に限らず文章で生きている人の枠を越えて凄いことだと思いました。


数年前の夏にこち亀が映画化され長野ロキシーさんで観賞しました。笑って最後はホロリとなり両さん頑張ろうね…と独身の僕は恋に破れた両さんに親近感を感じ面白い映画でした。


僕が高校生だった1983〜85年頃はこち亀の他に聖戦士星矢、北斗の拳、キン肉マン、男塾、ブラックエンゼルス、気まぐれオレンジロード等を楽しみにジャンプを購読していました。

高校卒業後東京に行き予備校に通い大学受験を目指しましたが授業についていけないストレスや環境の変化についていかれず池袋駅で吐いて診察してもらったら十二指腸に潰瘍ができていると言われそれから悲観して引きこもりになりました。

1986年から引きこもりになり時代の先端を走っていましたが新年度になり自活しながらもう一度大学受験にチャレンジしました。

最初は工事現場のガードマンをしながら受験勉強していましたがいつしか目的を見失っていました。その頃はジャンプを読まなくなりましたが1987年のある日電車の棚の上にあった少年ジャンプを偶然見つけアパートに持って帰りました。

久々に呼んだ少年ジャンプでしたがこち亀で両さんがどうした理由かまでは覚えていませんが頭が禿げてしまいそれを見た麗子が「後頭部に住所指名を書いてあげるね!」といいペンで両ちゃん、葛飾区…と書き出すと「後頭部に住所指名を書いているヤツがどこにいる…」とキレたのに大笑いしました。


その頃は東京で何をしているのだろうか…と嘆き、
電車を見れば世の中自分の意思と関係なく動いていて自分の人生が下らないな…と思っていたり…
無意識に駅のホームの端を歩いていてヒヤリとしたり…そんな生活をしていましたがこち亀を見て大笑いして元気をもらいガードマンの仕事を止めて人材派遣の会社に登録して本の流通の会社に5時半まで務め受験勉強しました。


結果は失敗しましたが両さんを読み一歩前進したことを思いだし感謝の気持ちで一杯になりました。


秋本治先生40年連載お疲れ様でした。そして老若男女問わず笑いを与えていただきありがとうございました。僕は独身で恋愛運、金運、出世運と他人より劣り何かと悲観的になりますが両さんのバイタリティーや前向きさを見習い頑張りたいと思います。秋本治先生のご健康とご多幸を願っています。

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