漫画家車田正美「男坂」/30年ぶりに復活

プラネマン

2014年06月06日 06:32

書店で偶然雑誌週間プレーボーイを見た時に小さく「車田正美「男坂」30年ぶりに再開」という文字を見つけ嬉しくなりました。


漫画「聖闘士星矢」「リングにかけろ」「風魔の小次郎」などを少年時代に読み好きな漫画家だった車田正美氏ですが1984年に週間ジャンプに連載された「男坂」は個人的に好きな漫画でした。


車田正美氏がこの作品を書くために漫画家になった…と言った「男坂」ですが連載は打ち切りになり未完になりました。


男坂は僕が覚えている限りではジュニアワールドコレクションという少年の世界の各国の権力者の協定の組織があり西日本のドン「武島将」は会合に出席する前に成田空港に近い九十九里に行き地元に住む菊川仁義と喧嘩になります。


武島将は菊川仁義を倒しますが後日菊川仁義は喧嘩鬼という人物と出会い喧嘩のイロハを叩きこまれます。

その頃シカゴの権力者が武島将の権力の及ばない東日本に進出しましたが菊川仁義がこれを返り討ちにしました。


ジュニアワールドコレクションの会合で「東日本にも将がいます。その名は菊川仁義、兵士数100」という報告があった時は胸がときめいた…というかワクワクして連載がとても楽しかったでした。


当時僕は高校2年生で格闘技を習い強くなりたかった夢や海外に行く…もしくは一軍の将になるように組織を束ねたい…という夢があり菊川仁義に憧れました。

その頃従弟が生まれましたが僕は「仁義」という名前にしよう…と言い却下されしばらく親戚から仁義と呼ばれからかわれていました。

僕の気持ちと反対に「男坂」は読者の支持がなく途中で打ち切りになりました。

車田正美氏のインタビューの中でも「熱血漫画「男坂」は時代に逆行していた」と語っていました。

男坂の連載が始まった1984年はバブル直前でボディコンやDCブランドが流行り浮かれ始めた頃に熱血漫画は時代に逆行していた…と分析していました。


70年代にヒットしたGメン75も80年代に入りGメン82になった途端に人気が無くなりました。


バブル期はどの位の額の食事をしたか…どの位の額の旅館に泊まったか…内容よりも使ったお金の金額が評価された時代でその頃にハードボイルドだの熱血漫画を持ち出しても受けなかった…と思います。


あれから時代が変わり熱血漫画が受け入れられるか興味があります。


6月9日より「男坂」再開!時代に一石を投げる作品を期待しています。

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