いすゞ自動車 歌うヘッドライト

プラネマン

2009年11月07日 10:10

長野ロキシーさんで公開中の引き出しの中のラブレターを見てきました。

ヒロインの常盤貴子さんは東京でラジオ番組のディスクジョッキーをしていますがディスクジョッキーになるにあたり父親と衝突してしこりを残したまま父親は亡くなってしまいます。


北海道の函館からラジオ番組の視聴者の高校生から父親と祖父の仲が悪く祖父が笑わないのでどうしたらいいか相談がありました。


ラジオで視聴者に相談を持ちかけますがいい答えが出ずに相談を持ちかけた高校生から企画を中止してくれと手紙がきます。


相談者の高校生に自分と父親の葛藤を重ねてしまった常盤貴子さんは引き出しの中のラブレターという企画を作り、言いたくても言えなかった思いを手紙に託しラジオで公開するという番組のディスクジョッキーになります。


常盤貴子さんは相談者の高校生の祖父の元に息子に対して手紙を書くように説得に行きますが祖父は乗り気ではありません。


常盤貴子さんは祈るような気持ちで相談者の高校生の祖父からの手紙を待ちますが、生放送の番組の開始時間は迫ってきて…


僕は仕事中に事故を起こしてから運転に集中するようにしてラジオは聞いていませんが、常盤貴子さんがディスクジョッキーをしている様子やラジオの良さをこの映画で見ていたらラジオに夢中になっていた10代の頃を思い出してしまいました。


僕が本格的にラジオを聞くようになったのは高校生の頃でした。受験勉強の真似事をして遅くまで起きていましたが気分転換でつけた番組がSBCの午前3時から放送されていた歌うヘッドライトでした。


長距離トラックの運転手さんや夜勤をしている方向けの放送でした。曜日毎に5人のパーソナリティーがいましたが、僕は毎週木曜日担当の岡雅子さんが特に楽しみにしていました。


岡雅子さんの放送の時、道路情報のバックで流れるディスコ調の音楽が好きでした。午前4時頃岡雅子さんが芦屋小雁さんと大阪を舞台にした雨のしのび逢いが流れていたり、レコードのジャケットから5人のパーソナリティーの中で唯一顔を知っていたので岡雅子さんが一番印象に残っています。


大学に合格したら歌うヘッドライトを聞きながら夜明けの街をドライブしたいとか、大学に入れなくても大阪に行ってみたいとか思うようになりました。


高校卒業後の1986年、東京に行って浪人生活をしました。授業について行かれなくなったり、満員電車や東京の生活になじめなかったり、知り合いもいなく体調を崩しいつしか引きこもりになってしまいました。

昼夜の生活が逆転して、人と何ヵ月も話をせずに引きこもりの走りみたいな感じでした。唯一の社会との接点は銭湯と深夜放送の歌うヘッドライトでした。


翌年の1987年3月に歌うヘッドライトのパーソナリティーは入れ替わってしまい別の番組になってしまったようで聞くのをやめてしまいました。

大学に入ったら聞こうと思い長野の実家に岡雅子さんの番組を録音したテープを残しておきましたが他の荷物と処分されてしまいがっかりした事を最後に歌うヘッドライトの事は記憶から薄れて行きました。

引き出しの中のラブレターを見て10代の懐かしさとほろ苦さを感じながら家路につきました。

関連記事