閉館ユースの思い出 太地YH
夏休みを来月に控えどこにも行かないとは思いますが気分だけは旅行するつもりで久しぶりにユースホステル協会のホームページを覗いてみました。
僕は若い頃、時間とお金の都合がつくかぎりユースホステルという宿泊施設を利用して各地を旅していました。現在は旅行をする経済的余裕はなくなり12年以上ユースホステルどころか個人的な用事で県外に出るのも控えていますが夏休みが近づいてくると何処に行こうかワクワクしていた事を思い出し久しぶりにユースホステル協会のホームページを覗いてみました。
僕がユースホステルを利用していた頃に比べユースホステル数が激減して空白地帯が目立ちました。閉館ユースホステス情報では僕が宿泊したユースホステルの閉館が目立ち淋しく感じました。
その中で和歌山県の太地ユースホステルが閉館していた事を知りました。僕が太地ユースホステルを利用したのは1996年2月17日でした。翌日の2月18日に当時ジェット化されて開港したばかりの南紀白浜空港を利用して最初で最後のマラソン大会があり申し込みました。僕は当時マラソン大会マニアで高速道路の開通など一度しかないマラソン大会を優先して参加していたので南紀白浜空港開通マラソン大会はマニア心を揺さぶり遠方ながら申し込みました。
当時は観光地をハシゴするスタイルよりユースホステルに宿泊出来れば満足だったので仮眠をして朝3時頃長野の自宅を出て下道で和歌山県に向かいました。12時間位運転して夕方4時頃新宮市に着きました。5時を過ぎれば辺りは暗くなり慣れない場所で不安になりながら太地の町に入りました。昼間は鯨関係の観光客で賑わうのでしょうが陽が落ちると淋しくなってきました。1件経営していた喫茶店があったので寄ってみるとそこは太地ユースホステルが経営していた喫茶店でほっとした事だけは忘れられない思い出です。
太地ユースホステルは老夫婦が経営していました。食事提供はなく老夫婦が経営する喫茶店でチャーハンを食べた覚えがありました。その日は全国的に大荒れだった事もあり宿泊者は僕1人だけでした。運転疲れで気がつけば熟睡していました。
翌日のマラソン大会は南紀白浜空港の滑走路と空港内の外周を走り海沿いの道を走りながらゴールの白浜温泉を目指しました。時間が過ぎるに従い天気が良くなり海の青さが印象的でした。白浜温泉街に入るとホテル関連の従業員が総出で沿道に立ち賑やかでした。
ハーフマラソンを完走した充実感と白浜温泉の共同浴場に入り心身共にリラックスしました。海を見ながら3時頃までくつろいでいましたが下道を走り長野に帰りました。長野に着いたのは朝早くでそのまま仕事に行きましたが現在ではこんな事を出来る体力も経済的余裕もなく淋しく思いますが若さを燃焼させたのだからそれなりに良かったと思います。
自分の宿泊したユースホステルが閉館して行くと時の流れを感じますが太地ユースホステルを利用した人達のご健康とご多幸を願っています。
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