雑誌・マーシャルアーツNO.4/1985年1月1日初版

僕は若い頃格闘技やプロレスが大好きでした。当時はネットが無い時代だったので雑誌が貴重な情報源でした。実際に格闘技も習ったことがありましたが現在では離れた時間が長く引っ越しを繰り返すうちに大半の雑誌が無くなってしまいました。


残った雑誌だけでも自分や格闘技界の歴史として残しておきたいと思いブログアップしたいと思いました。今回の雑誌はスポーツライフ社のマーシャルアーツNo.4で初版が1985年1月1日になります。


表紙は旧UWFのスーパータイガー選手、めくると永谷園さんのすし太郎を北島三郎さんが宣伝していました。


巻頭特集が初期のUWFで1984年12月5日の後楽園ホール興行で高田伸彦選手対山崎一夫選手、スーパータイガー選手対藤原喜明選手、ピートロバーツ選手対木戸修選手の特集


スパルタンXでベニーユキーデ対ジャッキー・チェンの特集

ヘブンリー、ボディーズ特集

特集、甦れキックボクシング
キックボクシング20年史「戦士」発売の記念で昭和40年代の創成期に活躍したレジェンドたちの特集、

日本キックボクシング連盟設立記念興行
写真に飛鳥信也選手対足立秀夫選手
武藤秀夫選手対鴾稔之選手
渡辺明選手対葛城昇選手


アジア太平洋キック連盟設立一周年記念興行、
メイン、日韓王者激突、シーザー武志選手対李興大選手、
バンタム級、黒沢久男選手タイトル獲得、
フライ級、中川二郎選手タイトル獲得、

中川二郎選手は僕の師匠で後に大阪を中心に日本格闘技キック連盟を設立して僕も3戦させてもらい感謝しています。


マーシャルアーツ協会記念興行

主催者がオールジャパンプロモーションの赤木公男氏で1984年12月8日に開催されました。


山崎通明選手対木寺信一選手
土田光太郎選手対仲田剛選手
清水隆広選手対藤井浩選手、
小松原重之選手対日下部京之介選手

インストラクター最前線でチャックウィルソン氏特集

大東流合気柔術六方会さんの特集

目黒ジムさん道場訪問

ダメージ回復法
鼻血の止血法
ふぐり活用法

大学クラブ訪問国学院大学キックボクシング部
ドン、星野、ウィルソン選手特集がありました。


キックボクシングのブームが去り冬の時代を生きた選手のことや当時の業界の歴史を知ると感極まるものがあります。最近は10代の良い選手がたくさん出てきましたがキックボクシングや格闘技界がもっとメジャーになって欲しいと思いました。  


2016年03月20日 Posted by プラネマン at 22:25Comments(2)格闘技関連の本

月刊空手道/1996年1月号

1月20日で月刊空手道やフルコンタクト空手等の武道や格闘技の本を出版していた福昌堂さんが破産したというニュースを聞き残念に思いました。


僕は48歳のオジサンですが今から20年程前に格闘技をやっておりネットの無い時代故に福昌堂さんの格闘技関連の雑誌を購読して福昌堂さんの雑誌と共に格闘技生活があったといっても言い過ぎではないと思います。


現在は格闘技から離れてはいますが福昌堂さんの雑誌に一喜一憂していたので倒産を知り青春の一頁がなくなったような寂しさがありました。


福昌堂さんの雑誌は何回か引っ越しを繰り返すうちに泣く泣く処分しましたが唯一1996年1月号の大会結果欄に僕の名前が載り格闘技をした証しとして残しておいたのでこの一冊だけ残りました。


僕のブログはガラケーから投稿なので写真が10枚しか入らないので主に福昌堂さんの広告を中心に載せました。


1996年1月号は通算258号にあたり定価は670円でした。本体価格が650円なので当時は消費税が3%の良き時代でした。

巻頭特集は「身長173センチ以下ならスピードで勝負だ!最速攻撃のためのボディデザイン」でした。


1、反応時間の高い身体を手に入れる
2、鉄下駄鍛練でスピードアップ
3、スーパースピードウェイトトレーニング法…の解説がありました。


第6回極真世界選手権、松井派の特報で数見肇選手がフィリョ選手を準決勝で敗り八巻建志選手と決勝戦を戦い八巻建志選手が優勝、

王者の空手道としてITFテコンドー速水勇選手の特集

沖縄発!全ての空手修行者へのメッセージ前編

特別インタビュー、錬武会須賀信行氏の空手競技大会の夜明けと当てる空手の出発点

ふくしま国体/第50回国体秋季大会空手道競技特集
USオープントーナメントSABAKIチャレンジ95特集


九州産業高校空手部/6階から転落した2才児わキャッチのお手柄

ロシアで広まる硬式空手

カラテオーバーシーズとして円心会館南米ペルー支部長中野泰彦氏の特集

足医学入門

全国道場巡りの旅/東京府中市ITFキャラバン道場
Q&Aとして2つの質問

長田選手のやっているプライオメトリックスとは?

軽いパンチを威力のあるものにするには?がありました。


久々に読むと現役時代のことを思いだし懐かしさを感じました。

福昌堂さん感動をありがとうございました。関係者の皆様のご多幸を願っています。  


2016年02月07日 Posted by プラネマン at 14:56Comments(0)格闘技関連の本

雑誌・マーシャルアーツNo. 3/1984年7月25日初版

僕は若い頃格闘技が好きで雑誌や書籍類をたくさん買いました。しかし引っ越しを何度かして泣く泣く雑誌や書籍類を処分しましたが処分出来ない思い入れの深い雑誌がありました。


それは昭和の時代のキックボクシングの低迷期に発行されたマーシャルアーツという雑誌でした。


すでに創刊号とNo.2はブログアップしましたが今回は1984年7月25日初版で今から30年前の今頃の時期に発売されたマーシャルアーツNo.3をブログアップしたいと思います。

巻頭特集はマーシャルアーツ、イン、マイアミという事で1984年3月29日にアメリカ、マイアミで開催されたWKAの世界3大タイトルマッチの特集でした。

WKA,Sライトベビー級ブレッド、ロイヤーズ選手対ラリー、ニコルス選手の対戦、

同Sミドル級ロブ、カーマン選手対ジョン、モンカイヨ選手の対戦、

同S、ライトベビー級ドン、星野、ウィルソン選手対デニス、アレクシオ選手の対戦が連載されていました。

佐山聡氏の「動的ボディ、ウェイト、トレーニング」
ジャッキー・チェン氏の五福星の特集でこの映画にはベニー、ユキーデ氏が出演したそうです。


特集「キックボクシングは今」で当時の関係者にインタビューした特集がありました。


最近の試合から…という事で士道館3周年記念興行の特集がありメインがUS1万ドル賞金マッチでWKA世界フライ級チャンピオン高橋宏選手対新格闘術フライ級チャンピオン松田利彦選手の対戦がありました。当時の米ドルのレートはいくらか分かりませんがバブル前だったので結構な金額になったと想像します。


インストラクター最前線として黒崎健時氏のインタビュー、

世界のファイターとしてロブ、カーマン選手の特集とシンサック、ソーシリパン氏のキックミットの使い方講座


思い出の名勝負として昭和47年4月30日に当時全日本バンタム級チャンピオンの大沢昇選手ら6選手がタイに遠征、その時に行われたチャンデット、ウィラポンの観戦記でした。


道場訪問として大阪市の正道会館総本部でK-1が行われる前のサバキの頃の特集でした。最後が格闘技にかける…という特集でキックボクシングの伊原信一氏のインタビューでした。


当時僕は17歳、自分が進みたい進路がありながらも格闘技をやってみたいという気持ちもありました。希望の進路には進む事は出来ませんでしたがプロレスを含め格闘技観戦が100回と大阪でキックボクシングのリングに立ててまずまずだったと思います。


厳しい時代に格闘技を支えてくれた先人の皆様のご多幸と格闘技界の発展を願っています。  


2014年07月20日 Posted by プラネマン at 22:28Comments(0)格闘技関連の本

雑誌 マーシャルアーツ No. 2

僕は若い頃格闘技に興味があり専門誌を買っていました。段ボール何箱分にもなりましたが都内5回、大阪、地元と引っ越しを重ねているうちに泣く泣く処分をしてきました。

そんな中で愛着があり捨てられなかった雑誌が「マーシャルアーツ」でした。今回ブログアップするNo.2号は初版が1984年3月6日で僕が高校2年に発売されました。当時は大学に行って学びたい事がありましたが学力がなく悩んでいました。叶いそうもない夢を見ながらも強さに憧れ格闘技をしたいという思いもありました。そんな若き日の葛藤が染み込んでいる雑誌で捨てられず30年近く持っていました。


雑誌の内容は巻頭カラーでオランダで開催されたロブ、カーマン選手とタイのチャンピオン、パヤップ、ペンチャイの一戦が扱われていました。両選手共にオールドファンには馴染みの深い選手ですがカーマン選手が判定勝ちをしました。30年経った現在でも見てみたい好カードだと思います。


続いてベニー、ユキーデ選手対ヤン、スプラン選手の対戦でした。5ラウンドにユキーデ選手が3ダウンを奪い勝ちましたが全盛期のユキーデ選手のファイトを見てみたかったです。


映画「ステイン、アライブ」にみるジョン、トラボルタの驚異の肉体改造という特集がありました。

世界のトップファイターという企画でWKA世界スーパーミドル級チャンピオンの田畑靖男選手の特集がありました。田畑選手はキック48勝10敗8分け33KO勝ち、マーシャルアーツ転向後は9勝無敗7KO勝ちと素晴らしい戦績です。田畑選手の練習メニューの紹介などがありました。


思い出の名勝負という企画で初代タイガーマスクの佐山サトル選手がマーク、コステロ選手とマーシャルアーツルールで対戦した試合でした。佐山サトル選手はKO負けは逃れたもののダウンをしての判定負けでした。この試合が後の格闘技生活に影響を与えた大切な試合だと思います。昭和52年11月の試合でした。


道場訪問で渋谷にあった日本拳法、公道館さんの特集でした。僕は実際にこの道場に見学に行った事がありました。社会人の人が中心で体育会系の厳しい上下関係はなく良い雰囲気で稽古をしていました。師範の方も偉ぶっている事はなく好感が持てましたが当時住んでいた場所から渋谷までは通えず結局ボクシングジムに入門しましたが道場内の熱気のある稽古と武道家に相応しい道場生が多くいました。


結局17才の頃の夢は叶いませんでしたがキックのリングに上がり3戦できて大阪府立体育会館のリングに上がれたので良い青春だったと思いました。願わくば若き日に憧れた格闘技がメジャーになって欲しいと思います。ジャンルを問わず格闘技界が盛り上がって行く事を願っています。
  


2013年01月19日 Posted by プラネマン at 21:40Comments(0)格闘技関連の本

雑誌 マーシャルアーツ

僕は若い頃格闘技に興味があり専門誌をよく買っていました。段ボール箱何個分になってしまい引っ越しの度に泣く泣く処分してきましたが愛着があり捨てずにきた雑誌があります。写真の「マーシャルアーツ」という雑誌です。


初版は1983年9月15日で今から28年前の雑誌です。隔月で全13冊出版され12号以外の13冊残っています。


当時の格闘技界はキックボクシングの国民的ヒーローだった沢村忠選手が引退して格闘技界が低迷していた頃でアメリカで産声をあげたマーシャルアーツと呼ばれた全米プロ空手と提携した頃でマーシャルアーツの花形だったベニー、ユキーデ選手が来日して旋風を巻きおこしていた頃です。


キックボクシング界の老舗といわれるMAキック(マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟)はマーシャルアーツ系の団体と当時残っていたキックボクシング系の団体が提携や合併して出来たものでMAキックが出来る前からある雑誌で格闘技界の創成期の頃の様子が描かれていて粗末に出来ないと思い雑誌マーシャルアーツだけは処分せずに残してきました。


記念すべき雑誌マーシャルアーツの創刊号は全米プロ空手では体重に関係なく最強といわれたベニー、ユキーデ選手とムエタイの本場タイ国でチャンピオンになったという快挙を成し遂げた藤原敏男選手のもしも闘えば‥という両選手の特集でした。


マーシャルアーツと呼ばれた全米プロ空手のスタイルは日本には定着しませんでしたがトップレベルだったベニー、ユキーデ選手は1989年の4月24日に第1回目の新日本プロレスの東京ドーム興業に出場して日本ライト級チャンピオンだった飛鳥信也選手とエキビジョンマッチで対戦しました。ベニー、ユキーデ選手は年齢的にピークは過ぎていましたが鋭い動きがありさすがだと思いました。

藤原敏男選手は10年ほど前に東和田の運動公園でキックボクシングの興業があった時門下生が出場していて対戦相手を一蹴して指導者としてもさすがだと思いました。


藤原敏男選手はジム経営をしていてベニー、ユキーデ選手はアメリカに大規模な格闘技施設を経営しているようですがK-1も総合格闘技も低迷している現在両選手のイズムを継ぐ選手が格闘技を盛り上げて欲しいと願っています。  


2011年04月22日 Posted by プラネマン at 06:23Comments(6)格闘技関連の本

本 今野敏 聖拳伝説1覇王降臨

ブログを始めてからすっかり読書からはご無沙汰していてせっかく「本」というカテゴリーを作りながらも全く進んではいません。それでも学生時代は現在みたいに携帯が普及していなかったので電車に乗っている時は内容はともかくとしてもそれなりに本は読んでいました。


先日何年かぶりに本屋に行きましたが作家の今野敏さんの本が山積みになっていました。その中で「聖拳伝説1覇王降臨」というタイトルの本を見つけました。

この本は1985年に初版が出版され僕が学生だった1989年に偶然本屋で見つけて読んだ作品でした。その作品が「聖拳伝説1覇王降臨」として再出版されました。懐かしさのあまり思わず買ってしまいました。


服部家は千年以上にわたり日本の陰の首領として日本の権力と密接な関係を築いていました。服部家のトップに君臨する宗十郎は自ら死期が近づいているのを悟り自分が生きているうちに服部家の権力を確実なものにするため表舞台に進出しようとします。


服部宗十郎は手始めに自らの孫娘水島静香を大学生片瀬直人に近づけます。そして片瀬直人の大学の先輩にあたる松永丈太郎に片瀬直人の身辺調査をさせます。内閣総理大臣しか直接命令を下せない権力を自由に使える服部宗十郎が恐れる大学生片瀬直人とは‥


いつしか水島静香と片瀬直人に恋心が芽生えてきます。そんな頃服部家の表舞台の進出をよく思わない内閣総理大臣は内閣調査室に服部一族の追い落としを命じ片瀬は服部家と政府の二大勢力の争いに巻き込まれていきます。


服部家に出入りする男子は服部家に代々伝わる「角」という格闘技を体得しますが角のトップレベルの実力者は空手3段の松永丈太郎を子供扱いします。そんな角の使い手が片瀬直人に襲いかかって行き‥


片瀬直人と水島静香の純愛、片瀬直人が使う神秘の拳法、国家権力、自分の人生と何の接点も無い世界を描いていましたが一気に読み終えてしまいました。1985年の出版とは思えぬ素晴らしい作品でした。


20年ぶりに読んでみてかつて新聞記者でスクープを嗅ぎつけ記事にしたくても上司に握りつぶされ見せしめのため婚約者を傷つけられ自暴自棄に生きる松永丈太郎が片瀬直人との出会いによって人間性を取り返して行くストーリーがよかったです。


運命に翻弄されながらも自らの人生を切り開いて行く片瀬直人、心に傷を負った松永丈太郎の再生などただのアクション小説ではなく人間ドラマを上手く描いています。聖拳伝説シリーズは全3巻片瀬直人と松永丈太郎の活躍が楽しみです。  


2011年03月01日 Posted by プラネマン at 06:14Comments(4)格闘技関連の本

本 新・餓狼伝1

夢枕獏さん原作の餓狼伝を読みました。主人公丹波文七は姫川勉に敗れた後、本州最南端の街に傷心の旅にでますがそこで姫川源三なるおでん屋に会います。かつて丹波文七と野試合した剣豪が雇われている暴力団幹部の愛人を追いかけて姫川源三と対決しますが剣豪は返り討ちにあいます。

日本有数の製薬会社の東製薬の使者が丹波文七の元に現れ姫川源三の事を聞かれます。謎の人物姫川源三とは…


その頃、東洋プロレス主催でバーリトゥード、チャレンジという何でもありの試合が開催されました。倒産した東海プロレスから西村、関根、カイザー武藤の3レスラーが参戦、他に柔道界の異端児隅田元丸、ブラジルの総合格闘技ルタ、リブリよりマカオと個性派の選手が多数出場、全6試合組まれます。


この巻は東洋プロレスの長田弘と元東海プロレスの関根音の試合の途中で終わってしまいますが動画が無く文字の世界に没頭したのは本当に久しぶりでした。


物語はまだまだ続き主人公丹波文七はプロレスラーカイザー武藤と対戦します。カイザー武藤はジャイアント馬場選手がモデルで日本人離れした長身でプロレス以外の格闘技経験が無くプロレスを始める前はバスケットボールをしていたという設定です。前哨戦では掌の上で遊ばれた感じがしましたが丹波文七は苦戦しそうで次の展開が楽しみです。


アントニオ猪木選手をモデルにした巽真は実戦空手の北辰館の堤城平と対戦します。松本市でのプロレス興業を観戦していた堤城平に外人レスラーをけしかけた事がありその時から巽真と堤城平に因縁があります。夢枕獏さんの想像力というか文章力には驚くばかりですがトーナメントと平行して日本古来のスクネ流や姫川源三がどうストーリーに絡んでいくのか楽しみです。


この本の中で印象に残っているのは丹波文七が姫川勉に負けた後で姫川源三を追いかけているルポライターから姫川勉はスクネ流の技を使ったのではないか‥と言われ姫川に確かめたいと北辰館に縁のあるプロレスラーに話した時、「自分が弱かった、という事が受けとめられず負けた理由を捜しだすとマットが柔らかかったとかロープがゆるかったとか、そんな事を言いだし空の星の位置がよくなかったと考えてしまう‥」とプロレスラーが丹波文七を諭す場面が印象的でした。

僕もかつて前に勤めていた会社を退社した時、知人に占いオタクがいていつ何処に行けばいいぞ‥と言われ2週間ほど放浪して散財した事があり丹波文七とプロレスラーの話を聞いて赤面する思いでした。ストーリーに関係なく考えさせられる事が多かったです。


とまれ夢枕獏さん、多忙ではあると思いますが続編を楽しみにしています。  


2010年12月26日 Posted by プラネマン at 13:37Comments(0)格闘技関連の本

本 餓狼伝 夢枕獏

篠ノ井の南部図書館に久しぶりに行きました。偶然夢枕獏さんの餓狼伝を発見して大感激でした。

 
餓狼伝は14才から空手を始めた主人公丹波文七が特定の組織に所属しないで強さを求め空手の大手流派北辰館や東洋プロレスなどの敵と闘い続け成長して行く話ですが20代の僕のバイブル的な本で僕は丹波文七にだいぶ影響を受けて長野に帰ってきてから無所属自己流、もしくはフリーを名乗り各地の格闘技のオープントーナメントに参加して出場歴は30回を超えていました。(今から思えば試合数より勝つ事の方が大事だと思いますが夢枕獏さんの格闘技小説をカバンに詰め込んで各地を旅したのはよき青春の思い出です。)

夢枕獏さんも多忙で他の連載も抱えていたので餓狼伝の単行本化は年に1度あればいいペースだと思いましたが僕自身が格闘技から離れると同時に餓狼伝を見る事もなくなりいつしか記憶から消えて行きました。


何年振りかで見た餓狼伝ですが懐かしさから思わず借りてきました。図書館にあった餓狼伝は全4冊でしたが1冊6百ページほどあり読みごたえがあります。僕が最後に餓狼伝を見たのは丹波文七が試合前に控え室で葵流に襲われる所でしたがこの文庫本シリーズでは第3巻の後半でした。読み始めるとあっという間に読み終えてしまいました。4巻からは未知の領域ですので約六百ページ楽しんだ後復習もかねて第1巻から読むつもりです。


個人的に餓狼伝が好きなのは丹波文七が特定の組織に属していないで強くなった事と餓狼伝には女性がほとんど出なくて竹宮流の泉宗一郎の娘が北辰館の姫川と浮いた話が出るくらいで基本的に男女の惚れた云々は関係ない純粋な強さを求めるストーリーが気に入っています。


夢枕獏さんが山好きという事もあると思いますが松本市や信州大学がストーリーの中に出てきます。松本のプロレス興業でリングサイドで観戦していた北辰館の堤城平にプロレスラーがケンカを売って乱闘になりグレート巽がそれを収拾するシーンにはワクワクしましたが格闘技とプロレスをうまくマッチして小説に出来る夢枕獏さんの才能には脱帽しました。


竹宮流や葵流など他の作家が思いつかないような登場人物も個性的で読者を飽きさせず素晴らしいと思います。丹波文七はどこまで強くなるのか?格闘技界はどこに行くのか続編が楽しみです。休日はそこそこに充実していると思いますが平日は犬とケイタイしか楽しみがない今日この頃、しばらくは餓狼伝で楽しめそうです。  


2010年11月30日 Posted by プラネマン at 03:04Comments(2)格闘技関連の本

雑誌 格闘技通信休刊


僕は若い頃格闘技をかじっていました。その頃の知り合いから何年かぶりに電話がきて当時僕達がよく読んだ格闘技通信という雑誌が休刊になると聞きました。
一般の人にはなじみはないと思いますが、週間プロレスという雑誌で他の格闘技を扱う企画をしたところ好評でその企画を雑誌にしたのが格闘技通信の始まりでした。

創刊したのは1986年で引きこもりをしていた当時から格闘技通信は見ていて強さに憧れていました。家を建てて完全に格闘技を辞めた1997年頃まで買っていました。

約23年の発行の中で僕は二回格闘技通信に載った事があります。一回目は1993年福岡県で開催された格闘技委員会さんが主催の格闘技フェスタに参戦してベスト8に進出、結果のコーナーに初めて僕の名前が載り嬉しかったです。写真がその時の表紙で当時のキックボクシングフェザー級チャンピオンの立嶋篤史さんです。続く  


2010年03月16日 Posted by プラネマン at 23:50Comments(0)格闘技関連の本