第39回みゆき野ライン飯山市ロードレース参加賞のT シャツ

僕は若い頃格闘技を習いそのトレーニングの一環としてマラソンを始めました。初めてマラソン大会に参加したのがみゆき野ライン飯山市ロードレースでした。

当時は泉台小学校を会場に行われました。苦しかったですが終わった後の解放感や配られたキノコ汁の美味しさにハマってしまい格闘技はやめてもマラソン大会出場は続けていました。


東京湾アクアラインや明石海峡大橋開通記念や米軍基地などいろいろな場所を走りましたがオリンピックがあった1998年のみゆき野ライン飯山市ロードレースを最後に当時の勤務先をやめて転職しましたが仕事が1年近く決まらず赤字体質になったり新しい職場が肉体労働だったのを機会にマラソン大会から遠ざかって行きました。


その後2008年に最後にマラソン大会に参加してから10年を機に一発奮起して飯山市ロードレースに出場しました。


その時にゲストに浅井えりこさんが出場して参加賞が浅井えりこさんのサイン入りTシャツでした。結局マラソン大会はその数回参加して挫折しましたがTシャツは着心地が良く私生活でも使っていました。


しかし早いもので飯山市ロードレースに参加してから7年が過ぎ首回りがほつれてきました。僕は気にならなかったのですが母親が安く買えるのだから粗末な格好をするな!とTシャツを着る度に言われついに諦めました。


現在もみゆき野ライン飯山市ロードレースが開催されているか興味がありググってみましたが僕が参加してから数年後に場所が変わりみゆき野ラインの名前がなくなりその後は周辺の市町村も交え北信州ハーフマラソンになったようでした。

飯山市も新幹線の新駅が出来て大きなうねりがやってくると思います。そんな中でマラソン大会もグレードアップして規模が大きくなるのは自然の流れだと思いました。


オリンピック前の羽振りが良かった時代に僕はスポーツジムに通っていました。そこで女性インストラクターと仲良くなり木島平で開催されたロードレースに誘われたことがありました。後でその時のスナップ写真を見せてもらいましたが皆楽しそうでした。その後スポーツジムは潰れ木島平のロードレースもなくなりましたが北信州ハーフマラソン大会に木島平村もコースに入っていたことを思いだしスポーツジムでの楽しかったことが脳裏を過りました。


当時はブログもなかったし日記もつけていなかったので今となってはほとんど覚えていませんが記憶として自分が関わったことを残しておいた方が良いな…と思いみゆき野ライン飯山市ロードレース参加賞のTシャツをブログアップしてみました。  


2015年03月08日 Posted by プラネマン at 20:17Comments(0)マラソン

第24回越後あらいコシヒカリマラソン大会

プラネマン便りも最近テレビネタが多い感じがします。個人のブログは何を書こうと自由ですがブログは自分の意見や行動を発信出来る場なので有意義に使いたいな…と思います。

いざ発信する…といっても僕も普通のサラリーマンで特に何かしているわけではなく必然的に昔の話になってしまいますが昔の話でも発信する事によって熱く生きていた頃の事を少しでも思い出せたらいいな…と思います。


今回は2回目に参加したマラソン大会で1993年9月5日に参加した第24回越後あらいコシヒカリマラソン大会を振り返りたいと思います。

会場は新潟県新井市の新井総合公園多目的運動広場でした。この大会が同会場のオープン記念のようでした。

種目は2キロ、3キロ、5キロ、10キロの4種目で小学生から50〜60代コースまで1034名のランナーがエントリーしていました。


僕は一般10キロの部に出場しました。この種目は214名がエントリーしました。自衛隊員が多数出場していて群馬県榛東村陸上自衛隊が21人、上越市高田自衛隊が33人、静岡県御殿場自衛隊が17名参加していました。現役の自衛官や高校、大学の陸上部の選手も多数参加でレベルが高い大会だったと記憶してます。

新潟県を中心に近県の出場者が多かったですが兵庫県からの参加者もいました。
田園地帯の中を走った事しか覚えていませんが完走後コシヒカリのおにぎりのサービスがあったのと参加者がコシヒカリ1キロでした。優勝商品がコシヒカリの米俵1俵でした。


実際は185人完走して僕は156位でタイムは48分21でした。

後になって分かりましたが谷川真理さんがゲストランナーで出場していました。

あれから20年、僕もメタボ化していろいろな意味で劣化していますがもしも越後あらいコシヒカリマラソン大会がまだ開催しているならもう一度チャレンジしたいな…と懐かしさに浸りながら思いました。  


2013年10月16日 Posted by プラネマン at 18:07Comments(0)マラソン

第24回飯山市ロードレース大会、

先週の日曜日10月6日に飯山市泉台小学校で開催されたコンサートに行ってきました。

このコンサートは長野市にある交響楽団が毎年秋に北信地区の各地を回り生のオーケストラを聞く機会を持たせたり地元の音楽団体とコラボするコンサートでした。

今年のコンサートの会場は飯山市泉台小学校でした。
僕はいまから20年前に一発奮起して本格的に格闘技に打ち込もうと思いそのトレーニングとしてマラソン大会に参加するようになりました。

その記念すべき1回目に参加した大会が泉台小学校で開催された飯山市ロードレースで1993年6月20日でした。


今はマラソンも格闘技も離れてしまいましたが何か忘れたものを取り戻したくて泉台小学校に行ってみました。


コンサートは交響楽団の素晴らしい演奏や地元で活躍する音楽団体の演奏に音楽の奥行きの深さや楽しさを感じて音楽の素晴らしさを再認識したコンサートでした。

しかしマラソン大会については20年前に1度だけ行った会場で特に感極まるものはありませんでした。


初めてのマラソン大会で勝手が分からずジャージを着て参加したり横っ腹が痛くなり苦しかったですが終わった後の解放感が最高だった事やキノコ入りのスープのサービスがあり凄く美味しかった思い出がありましたがいざ泉台小学校に行ってみたら感傷に浸る事はありませんでした。


20年の時の流れやあれから60回以上マラソン大会に参加していろいろな記憶がゴッチャになっているのだと思いました。


原点だったマラソン大会を振り返り自分の記憶として残しておこうと思いブログアップしました。


協議種目は10キロ、5キロ、3キロの3種目で計509人の選手がエントリーしました。

僕は10キロの部に参加しました。10キロの部は35歳未満の1部、35歳以上の2部、高校生の部の3部に分かれて行われました。

僕は当時26歳だったので1部に参加しました。1部は48人、2部が59人、高校生の部が33人エントリーしました。

コースは泉台小学校周辺の比較的平らなコースだったと思います。

記録は会場内に張り出されましたが当時は記録しないで帰ってしまったので今となってはわかりませんが…参加賞としてTシャツをもらい飯山市産のキノコ汁のサービスがありました。

大規模な大会ではなかったですが東京や神奈川からもエントリーがありアットホームな大会でした。


翌年から飯山市ロードレースは泉台小学校から戸狩温泉街に場所を移し行われました。


個人的にはその後長野オリンピックの特需があり各地のマラソン大会に出場するようになりましたが長野オリンピックがあった1998年の飯山市ロードレースを最後に転職して肉体労働の仕事になったり収入が落ちたりでいつしか走らなくなり2008年の飯山市ロードレースにマラソンを始めて15年の節目として参加しました。

しかし現在の仕事の肉体労働とトレーニングの両立が出来ずいつしか走るのを辞めてその後太り出しますます走るのが嫌になり現在に至ります。


重い身体をさすりながらこれではいけないな…と思いつつ日々の生活に流されています。年をとるのは仕方ありませんが向上心が失せているのは不味いな…と思いながら20年前の飯山市ロードレースのパンフレットを見ながら思いました。  


2013年10月08日 Posted by プラネマン at 05:28Comments(0)マラソン

名水とオオムラサキの里マラソン

最近昼夜を問わずマラソンのトレーニングをしている人をたくさん見かけるようになりました。師走になり寒空の中で黙々と走り続けるランナーをクルマ越しに追い越しながらかつては僕もランナーだった時代があり懐かしく思うと同時に久しぶりに会う人に「太ったね!」と言われ自分でも自覚がある出てきたお腹をさすりながら運動しなければいけないな‥と思いつつ日々の生活に流されていく自分に対して情けなくなる今日この頃です。


僕はかつて79回マラソン大会に出場していました。振り返ってみると距離が長かったフルマラソンや海岸沿いを走る非日常的なマラソン大会が印象深いですが個人的に一番お気に入りだったマラソン大会は山梨県の旧長坂町で開催された名水とオオムラサキの里マラソン大会で毎年11月23日に開催され94年〜96年の第3回大会〜第5回大会まで3回出場しました。

この大会が好きだった理由は参加賞が豪華でTシャツとテレホンカードに弁当付きでした。普通のマラソン大会は参加賞はTシャツというのが定番ですが当時は携帯電話が普及する前でテレホンカードも現在に比べればかなり価値がありそのうえ弁当付きで初めて参加した時はそんな事は知らず近県で参加しただけだったのでサービスがよく感激しました。写真はこの大会の完走書でペナントみたいになっていて壁に飾れるようになっていて他のマラソン大会にない工夫がしてありました。


長坂町は山梨県の北端にあり八ヶ岳南麓高原に位置する高原の町で国蝶オオムラサキの生息地として全国的に有名で八ヶ岳高原に湧く三分一湧水があり日本百名水に指定された事があるそうで空気と水が美味しく八ヶ岳がきれいだった環境のいい大会でした。


環境もよくサービスもよくお気に入りの大会でしたが長坂町は合併してしまい合併と同時に名水とオオムラサキの里マラソン大会は無くなってしまったようです。このマラソン大会で知り合い結婚したカップルがいたというアットホーム的なマラソン大会でしたが現在となっては思い出の世界になってしまい寂しく思います。旧長坂町の大会関係者の皆様素晴らしい大会をありがとうございました。第2の名水とオオムラサキの里マラソン大会を探しに再び走りはじめたいな‥と思っています。  


2010年12月02日 Posted by プラネマン at 06:12Comments(0)マラソン

飯綱高原マラソン無くならないで

先週の日曜日長野市飯綱高原で開催されたマラソン大会で蜂の大群にランナーが刺される事件があり中止になったと聞きました。

僕は今ではマラソン大会に無縁の生活をしていますが93年〜95年までマラソン大会に夢中になった時期があり93年と95年には実際に飯綱高原マラソン大会に参加した事があります。

携帯カメラの調子が悪く写真をアップ出来ませんが初めて飯綱高原マラソン大会に参加した93年の第7回飯綱高原マラソン大会のパンフレットを見ました。当時は3キロ、6キロ、クロスカントリーというコース分けでした。個人情報も今ほどうるさくなく名簿には住所と年齢が記載されていました。僕が26歳になっていて完走書には長野市長塚田佐さんの名前になっていて時の流れを感じてしまいます。95年の大会では10キロコースが新設されていました。


その後転職などを機会に全く走らなくなり辞めた10年の区切りになったので2年前に思い切って飯綱高原マラソン大会に参加してみました。秋の飯綱高原のさわやかな風の中で市内からクルマでひとっ走りでこんなにさわやかな場所があるのが感動的で手作りの大会の中でいい雰囲気のマラソン大会でした。

事故があったので来年度のマラソン大会はもしかしたら中止になってしまうかも‥という不安があります。

93年のパンフレットの中に地元走友会の会報が入っていて「第16回志賀高原健康マラソン大会」「第8回戸隠健康マラソン大会」の案内がありました。僕は最近のマラソン事情には疎いですがこの2つの大会はもう無いのかな?と思いました。


僕がマラソン大会に夢中になったのはオリンピックの前で今よりずっと羽振りがよく県外のマラソン大会の方が多く参加しました。その中で県内は松本アルプスロードレース、信濃山形ロードレース、アルプス展望ロードレースIN塩尻、聖高原ロードレース、もみじ湖耐暑マラソン大会、に参加しましたが大会がどうなっているか気になってしまいます。

記憶が確かではありませんがゴールデンウイークの頃三郷村?5月頃野尻湖、6月頃車山クロスカントリー、6月頃木島平で、10月には上田古戦場マラソン大会があったような気がしました。長野マラソンが出来た事によって長野県のランナーは増えた気がしますがマラソン大会自体は減ってきているのか?と感じました。

平成の合併で市町村の数が減ってきた事もあると思いますがマラソン大会を通じて特産品による接待や町お超しを期待してしまいます。長野マラソンのように競技者専門のマラソン大会だけでなく体力作りや初心者でも気軽に参加でき地元飯綱高原をアピール出来る飯綱高原マラソン大会が他のマラソン大会のように消えて行かないように願うばかりです。
  


2010年10月09日 Posted by プラネマン at 02:58Comments(0)マラソン

千曲川ロードレース出場者募集中

毎年8月の最終日曜日頃戸倉上山田温泉街で開催されている千曲川ロードレースに去年参加しました。朝の千曲川のサイクリングロードを中心に走り川辺の風が心地よく参加賞に入浴券がもらえます。

今年で30回の節目を迎える千曲川ロードレースですが今年は8月29日開催の予定です。申し込み締め切りは7月23日消印有効でまだまだ間に合います。長野市上田市等から近いのでぜひ盛り上がって欲しいと思います。

コースは比較的平坦ですが戸倉上山田温泉街のメインストリートを中心に開催されるので1時間半の制限時間があるのがネックになっています。

僕は去年の大会に参加しましたがその後全く走らなくなり体重も70キロを超えてメタボ予備軍になっています。申し込んではみたものの制限時間をクリア出来るか今の走力では心配で1ヶ月でどこまで走れるようになるのか不安ですがここで走り始めないと永久に運動をする事がないと思い申し込んでみました。


完走を目指して頑張りますので初心者の方、来年の長野マラソンを目指す方も完走後の温泉を満喫するように頑張りましょう!  


2010年07月10日 Posted by プラネマン at 07:12Comments(0)マラソン

千曲川ロードレース

一昨日8月29日、千曲市の戸倉体育館を会場に第29回の千曲川ロードレースが開催されて参加してきました。

当日は小雨混じりでしたが夏にしてはマラソンに適した気候で県外から参加のランナーをはじめ多数のランナーが参加しました。


僕は10キロに参加、戸倉体育館をスタートして万葉橋を通過して千曲川沿いの自転車専用ロードを走り黒彦団地を通過して再び万葉橋からゴールの戸倉体育館を目指すというコースでした。

8月にしては涼しかった気温とコースが平坦でアップダウンがほとんど無くて走り易かったです。千曲川から吹いて来る風もさわやかで雨降りが多くて練習不足で望んだ大会でしたが気持ち良く完走できました。


参加賞に写真の水色のTシャツとリンゴがつきました。千曲市の観光のパンフレットと千曲市の飲食店ガイドブックももらいました。

レース後、戸倉上山田温泉の共同浴場の入浴サービスがあり汗をかいた身体には嬉しかったです。記録証もその場で発効してくれてありがたかったです。スタートは朝8時でしたが早く終わり時間を有効に使えました。


長野市や上田市からも近くコースも平坦で初心者の方や記録を狙うランナーの方には参加しやすい大会だと思います。余裕があれば前日から温泉街に泊まり心身ともにリラックスしていただけたらと思います。

大会関係者の方々、この場を借りてありがとうございました。多くのランナーが参加して盛り上がって欲しい大会です。  


2009年09月01日 Posted by プラネマン at 05:54Comments(0)マラソン

遠来賞をゲットしよう!

先月みゆき野ライン飯山市ロードレースに参加してランニング熱が高まり久々にマラソン雑誌のランナーズを買ってしまいました。

僕が本格的にマラソン大会に参加をしていたのは93年6月の飯山市ロードレースから98年6月のみゆき野ライン飯山市ロードレースの5年間で北は秋田県の田沢湖マラソンから南は宮崎県で高速道路が青森県から鹿児島県まで開通した記念に一度だけ行われた田の神さあハイウェイマラソン、フルマラソン4回を含め79回マラソン大会に参加しました。


転職を機会に走るのをやめ太りだし悪循環で動くのがイヤになりそのまま時間は流れてしまったという感じです。


走っていた時期よりブランクのほうが倍長く10年のブランクはマラソン雑誌が120冊になりブランクの長さを感じてしまいますがこれからはタイムよりも健康な身体を保てるように生涯スポーツとして取り組みたいと思います。


ランナーズを見ながら次の大会は何処に行こうか考えていますが、マラソン大会の醍醐味は遠方の大会に参加して遠来賞をもらう事にあると思います。


町お越しで市町村が主催しているあまり有名でない大会は遠来から参加すると遠来賞がもらえる事があります。


石川県猿鬼マラソン大会、猿鬼の字が入ったリンゴと忘れてしまいましたがもう一品もらいました。


栃木県南那須健康マラソン大会、近くに大金という地名があり大金もちというお菓子をもらいました。


新日本体育連盟の東北ブロック大会に参加した時仙台の銘柄をもらいました。


熊本県の大津白川ラインマラソン大会に参加した時は熊本国体のキャラクターのトレーナーとさつまいもをもらいました。


有名な大会よりも手作りの大会のほうがサービスがいい傾向にあるみたいですが、高速料金のETC割引が使える現在、家族サービスやランニング仲間で遠来の大会に参加して見てはいかがでしょうか?  


2009年07月05日 Posted by プラネマン at 10:55Comments(0)マラソン

みゆき野ライン飯山ロードR09

毎年6月の第3週の頃、飯山市でみゆき野ライン飯山市ロードレースが開催されますが、今年も開催され40回目となる歴史ある大会に参加してきました。


朝方はあいにくの雨でしたがスタート時は止みました。

今年は10キロの部に参加、今年は雨が降ったので気温が上がらなかったのと、去年も参加してコースが解っていた事もあり去年に比べれば余裕をもってゴールできました。


スタートの号砲が鳴って2、3分すると回りからランナーがいなくなったり、20キロの先頭集団と一緒にゴールしたりレベル的にはまだまだですが、北信濃の自然の懐に抱かれているようで距離を重ねるごとに汗が出ますが、体の中の毒素が抜けていくようで壮快でした。


参加賞は写真の緑のTシャツ、飯山市特産のキノコ汁のサービス、戸狩温泉の共同浴場に100円で入浴できるサービス券、ゲーターレードが付きました。


ただ練習で10キロ走れと言われてもエンジンがかかりにくく億劫に感じる事もありますが、いい気分で走れたのは奥信濃の大自然の温もりとスタッフの皆様の手作りの暖かさがあったからだと思います。


参加者が僕の出場した10キロ40才以上男子が22人、女子は10キロ、20キロ合わせても20人位しかいませんでした。

長野マラソンも10回を越えて長野県民の中でもマラソンが浸透してきていると思いますが、ぜひ腕試しに飯山市ロードレースに参加してみてはいかがでしょうか?


ノルディックウォーキングも同時に開催されていてたくさんの外人の方も参加され盛り上がっていました。普段運動不足気味の人や家族連れの方も楽しめると思います。

歴史あるみゆき野ライン飯山市ロードレースに参加させていただきありがとうございました。来年はぜひ20キロにチャレンジしてみゆき野ラインの自然を満喫したいと思います。  


2009年06月22日 Posted by プラネマン at 06:10Comments(0)マラソン

京都国際ハーフマラソン大会

部屋の模様替えをしていて押し入れの整理をしていたら、昔参加したマラソン大会のパンフレット等がでてきました。


手が止まってしまい見ていましたが、1994年3月20日京都国際ハーフマラソン大会のパンフレットを見つけました。



平安京遷都1200年の記念イベントで京都の街中を通行止めにしてマラソン大会をする事になりました。


道路事情等があり、制限時間があったり、抽選だったり等の条件がありましたが、大阪にいた頃は京都に月2、3回は行き愛着があり平安京遷都1200年のイベントには関わりたかったので申し込みました。


3倍の競争率の中当選しました。大会当日、1万人近くのランナーが参加、最初のランナーがスタートして僕がスタートラインを越えるのに5分以上かかりました。


見渡す限り人だらけでしたが、同じ目的を持つもの同士、満員電車の不快感や繁華街の人疲れ等がなくゴールを目指してひた走りました。


平安神宮、京都御所、賀茂川沿い等、京都らしい場所がコースの中にありました。

1時間44分20秒でゴールしましたが、タイムより京都で走れた事が嬉しかったです。

あれから15年が過ぎ、日々の暮らしに流されていて、あの頃のように何かに取り組んでいないのは反省しなければいけないと思いました。



当時は、今ほど個人情報がうるさくなかったので、写真屋さんが沿道でランナーの写真を撮り、ゼッケンから住所を調べて写真を買いませんか?と案内がよくきました。


京都の大会では、テレホンカードに写真を印刷してくれるといい、オリジナルテレホンカードを作ってもらい取引先の女の子に配りました。


今から思うとドン引きでしょうが、当時はテレホンカードも価値があったので使ってすぐにゴミ箱に直行したと思います。  


2009年03月21日 Posted by プラネマン at 13:08Comments(0)マラソン

日帰りでアメリカに行きました

週末ランニングをしようと思いつつ、野球観戦と映画鑑賞で終わってしまい自己嫌悪におちいるプラネマンです。昔のマラソン大会の話を持ち出しランニング意欲を高めようと思うのですが…

普段行けない場所でマラソン大会が行われる事があります。 その1例が米軍基地でプラネマンは横田基地で行われたフロストバイトロードレースと厚木基地で行われたローズロードレースに参加しました。


2つの大会とも米軍基地内を走りますが、滑走路の周りを走りレース中に戦闘機の写真を撮っているランナーもいました。 参加賞は横田基地がトレーナーで、厚木基地がTシャツでした。 屋台村があったりアメリカのお菓子も売っていて、運動会とお祭りを足したみたいで楽しい時間を過ごせました。 当時は新幹線が無く、急行能登という夜汽車がありそれを使い関東のマラソン大会に参加しました。

今は大会を開催しているか知りませんが、山口県の岩国基地でも基地を解放したマラソン大会があったと思います。 マラソンといえば修行僧みたいとか苦しいとかあまりいいイメージは無かったですが米軍基地の明るさはマラソンの固定観念を破ってくれました。  


2009年03月09日 Posted by プラネマン at 01:08Comments(0)マラソン

牡蠣三昧のマラソン大会

人間ドックで、メタボ予備軍と言われショックを受けましたが、その後ランニングをしようと思いつつ日々の生活に流されています。 20代の頃は年間20回以上マラソン大会に参加した年があったので、古い話になってしまいますが、参加してよかったマラソン大会の事を書いてランニング意欲を高めたいと思います。 マラソン大会は、街起こしの一環として行われるパターンが多いですが、石川県の〈なかじま万葉の里マラソン〉もそのひとつでした。 牡蠣といえば広島のイメージでしたが、石川県も産地だそうで、アピールもかねてマラソン大会の参加賞は殻付きの牡蠣でした。 会場には、炭火が置いてありその場でバーベキューが出来、家族連れや仲間達で盛り上がっていました。


牡蠣汁や牡蠣飯、パック牡蠣の販売もあり、マラソン大会に参加しないランナー以外の人も楽しんでいました。
愛媛県にも中島という街があり姉妹都市として、みかんなど名産品の販売がありました。 近くの国民宿舎の大浴場で入浴のサービスがあり、僕は電車だったので送迎をしてもらいましたが一人しかいなくVIP待遇でした。 あの日以来、牡蠣が大好物になりました。毎年3月の第2週頃大会があります。 1年間こまめに走りこんで来年は参加できたら、と思ってます。  


2009年03月06日 Posted by プラネマン at 06:08Comments(0)マラソン

飯綱高原健康マラソン大会

人間ドッグでメタボ予備軍と言われショックを受けましたが、考えてみれば最後に運動をしたのは去年10月の飯綱高原健康マラソン大会でした。 飯綱高原は、オトナリ高原としていろいろなイベントを行っていましたがその中の1つとして13年ぶりに飯綱高原健康マラソン大会に参加しました。 当日はあいにくの曇り空でしたが、高原の中の森などクロスカントリー的なコースを走り、10月の飯綱高原の空気は心地よく、飯綱高原に愛着をもってしまいます。 参加賞は、黒いTシャツと、そばのふるまいとモロコシ2本とソイジョイとドリンクがつきました。 なぜかサインボールと色紙をもらいましたが誰の書いたものかわからなかったです。 会場近くのアゼリア飯綱にお風呂に入りに行きました。近くに天狗の湯があるためか空いていましたが、広い浴槽でくつろげました。大座法師池の横の
富士見茶屋でざるそばを食べましたが美味しかったです。ほとんどの人はそのまま戸隠に行ってしまうと思うので以外な穴場でした。 秋の飯綱高原を満喫できた1日でした。1人でも多くの人が参加して大会が盛り上がり自分なりに飯綱高原を満喫して欲しいと思います。メタボ予備軍と言われた僕も今年はこの大会を目標にしっかりと走り込み参加したいと思います  


2009年02月27日 Posted by プラネマン at 06:20Comments(0)マラソン

みゆき野ライン飯山ロードレース

小さい頃、悪さをして怒られると、校庭を走れと言われ、走るイコール罰則というイメージがあり、好きではなかったのですが、二十代後半、格闘技の試合に出場すると決め、トレーニングの一環として、ランニングを始めました。たまたまランニング雑誌を見て申し込んだのが飯山市ロードレースでした。最初は泉台小学校が会場でした。ジャージを来て出場したら、周りは皆ランニングシャツに短パンで、浮いていて恥ずかしかったですが、ゴールした後、飯山特産のキノコ汁が振る舞われ、美味かったです。翌年からは会場が戸狩スキー場になり、みゆき野の自然の中を走るコースになり、戸狩温泉の入浴券もサービスで付くようになり、場所も行きやすい事もあり、マラソン大会の原点として恒例行事になりました。 転職した98年を最後にマラソンから遠ざかり、太り始めるという悪循環になりましたが、最後に出場してから十年になり、この節目を逃したら一生走らないと思い、十年ぶりに申し込みました。
去年の6月15日、大会がありました。大会のゲストに、ソウルオリンピックに出場した浅井えり子さんが出場、運動会とお祭りを合わせたようなマラソン大会の会場はいいなーと、初めは余裕でした。女性ランナーを追いかけようとストーカー作戦に出ましたが、スタートと同時に女性ランナーどころか、年輩のランナーも僕の周りから居なくなりました。標高差150メートルあるのを忘れていて、女性のストーカーをするどころか、折り返してきた女性ランナーに励まされてしまいました。かつてはフルマラソン四時間十分台で走った脚力は、とうの昔にさびついてしまい、若さを懐かしみながら一時間三十分台でゴール、ろくにトレーニングもなく、若いときの貯金でごまかせるほどマラソンは甘くありませんが、何事においてもコツコツと積み重ねていくことの大切さを実感しました。 6月の飯山の新緑は素晴らしく、キノコ汁のおいしいこの大会、今年も参加したいとおもいます。  


2009年02月05日 Posted by プラネマン at 06:50Comments(0)マラソン