天才!志村どうぶつ園に長野市が登場!

先週の土曜日5月30日にテレビ信州で放送された〔天才!志村どうぶつ園〕で捨て犬だったチビという犬と志村けんさんが各地を旅するコーナーに長野市が登場しました。


志村けんさんとチビが長野駅に現れると行列がありました。聞いてみると御開帳が開催されているとのことで駅から善光寺まで歩くと30分かかるよ!と駅にいた人に言われました。


志村けんさんとチビは最初に三河屋洋傘店に行きました。82歳だという店主の男性と話をしていました。撮影が終わったら志村けんさんが傘を買った…とテロップが流れました。


長野といえば蕎麦ですがチビと志村けんさんは蕎麦屋さんに行きました。犬も同伴OKの蕎麦屋で名前を聞き漏らして残念でした。


志村けんさんが境内に現れると気がついた人たちにより人だかりが出来ていました。写メを撮ったり動画を撮影した人もいましたがお坊さんも人だかりに紛れ写メを撮っているのには笑いました。志村けんさんを拝んだ方がご利益がありそうな気がしました。


最後に尾張部の小笠原瓦屋さんに行きました。善光寺の修繕で貰ってきた瓦を犬小屋に使っていました。欲しい人には瓦をあげると言っていましたが大人が4〜5人でやっと持てる重さだと話していました。


時間にすれば短い放送時間でしたが捨て犬で人に心を開かなかったチビが人混みを苦にしなくなったのが印象的でした。


志村けんさん長野市にお越しいただきありがとうございました。これからの活躍を期待しています。  


2015年06月01日 Posted by プラネマン at 22:21Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

NHKキッチンが走る!小川村の西山地方が登場!

昨日5月17日にNHKで放送されたキッチンが走る!という番組を見ました。


この番組を見るのは初めてですが新聞のテレビ欄で西山地方の名前を見つけ興味を持ちました。


今回の舞台は長野県小川村を中心とする西山地方で杉浦太陽さんと祖父が日本に中華料理を広めた陳建太郎さんが出演、西山地方の食材を集め陳建太郎さんが最後に料理する企画でした。

まず初めに標高800メートルの稲丘地区に行きました。そこは菜の花が綺麗でした。


そこに住む52歳の男性が登場しました。会社員から脱サラして西山地方にいる元気な菌を使って無農薬の有機農業をしています。

22歳の息子さんも他県で2年勉強した後で家業の農業を継いだそうです。お父さんは西山地方の自然条件が厳しいので農薬を使わない有機農業に反対で農薬は不可欠だと思っていたそうですが現在では軌道に乗り息子さんもお父さんが楽しそうに働くのを見て家業を継ぎたい…と思ったそうです。



続いて車はジンギスカン街道に行きました。そこで49歳の男性を訪ねました。10年前に家業を継ぎ羊を400匹飼っているそうです。


かつては軍服はウールで出来ていて養蚕と羊をセットで営み昭和20年頃には4千を超える羊がいましたが輸入製品に変わられ昭和57年からは食肉に転換しました。


陳建太郎さんは羊の肉の匂いが苦手だそうですが西山地方の羊は配合肥料を与えているので匂いはきつくないそうです。


陳建太郎さんは羊のモモ肉のたたきを食べたら大感激していました。


続いて過疎と高齢化が進行する限界集落と呼ばれる場所に車は行きました。

手前味噌という家それぞれで味が違う味噌があり地域の人が集まり味噌作りをする場所に行きました。


味噌の原料は西山大豆といい豆や麦が人々の暮らしを支えていました。西山地方の方言に「まめったい」という言葉がありますが元気な人…という意味で豆を食べて元気に暮らしていたと言います。


最後に訪問した家から集めた食材を陳建太郎さんが中華料理と融合させ調理しました。


中華料理の食材の名前が分からずメモがとれませんでしたが番組のホームページにレシピがあるそうなので興味のある方は見て下さい。


1、出会いの春の一皿

羊の肉をたたきにして野沢菜を乗せて春のイメージを作りました。


2、まめったい汁

四川風味噌汁で羊の肉に手前味噌で味付け、


3、西山の恵み、土鍋ご飯、

羊のロースをじっくり煮込みましたが余分な油が下に落ちてお湯と融合して濃厚なスープになりました。


地元の西山地方にこんなに豊かな食材があったのが驚きでした。地元を見直した素晴らしい番組でした。長野市近郊の違う場所にも来て欲しいと思いました。  


2014年05月18日 Posted by プラネマン at 23:55Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

長野ヤキメン/NHK めざせ!グルメスターに登場!

今週の木曜日12月5日にNHKBSプレミアムで放送されためざせ!グルメスターという番組を見ました。

今回は地元長野市のB級グルメ「長野ヤキメン」が登場しました。

販売が低迷する長野ヤキメンを地元サッカーチーム長野パルセイロの公式フードにして起死回生を図る取り組みの特集でした。


長野ヤキメンは豚のバラ肉を鍋で炒めニンニクや長芋など加えた特性太麺の食べ物です。信州味噌や温泉卵も入った地元の特産品を生かした食べ物です。タレントの篠原ともえさんが長野に訪れヤキメンを食べましたが好評のようでした。


長野ヤキメンは3年前に町起こしで行われたB級グルメ選手権で130の中から選ばれて優勝しました。


その後38店舗で販売されましたが現在は7店舗のみの販売に落ち込みました。

落ち込んだ理由としてはニンニクを使用するためにランチタイムに定着出来なかった事や販売を許可する認定書の基準が高くクリアできないお店が増えた事等が理由でした。


長野ヤキメンを盛り上げたい保険屋さんやラーメン屋さんお好み焼き屋さんの長野ヤキメン普及チームは地元サッカーチーム長野パルセイロの公式フードになる事によって知名度を上げる事を目指しました。


パルセイロのクラブハウスに出向いた長野ヤキメン普及チームはかつて選手だった籾谷氏と交渉しました。

籾谷氏から選手と試食会をして過半数以上の了承がとれる事とスタジアムでの300食販売をクリアする事を条件に出しました。


番組のアドバイザー殿村美樹氏はかつてJリーグ発足時にガンバ大阪サポーターに顔にチームカラーのペイントをする事をアドバイスしてそれがガンバ大阪の枠を超えて各地のサポーターに普及して行った事がありました。


サッカー普及に縁があった殿村氏は長野ヤキメンに小さい「ッ」を入れて長野やっき麺と名付けました。

躍起麺はヤッキmenとして男性サポーターを中心に売り込み彼らをターゲットに応援ソング、ポーズ、グッズを作るようにアドバイスしました。


10月20日のパルセイロのホームゲームで長野ヤキメン普及チームは300食販売を目指しスタートしました。

生憎の雨降りでしたがヤキメンのブースには行列が出来ました。しかしヤキメンは時間がかかるために行列から離れる人が続出、販売は伸びず予定を大幅に下回る170の販売でした。


普及チームは提供時間の短縮やサッカーは野球のように表裏の攻防がなく90分間気が抜けないので片手で食べられるスタイルが必要だと感じました。


成功しているスタジアムグルメの紹介がありました。
富山は20センチのソーセージをカターレWINNERと名付け言葉で印象つける例を紹介しました。


札幌はコンサ赤黒カレーといいチームカラーでサポーターを引き込む例を紹介しました。トッピングがVの字になっている遊び心もよかったと思います。


山形は炎のカレーパンでカレーパンの中にシュウマイが入っていました。これは横浜チームとの対戦用で横浜で有名なシュウマイを食べて相手を「食う」という事に拘った企画でした。

福岡と対戦するときは明太子を草津と対戦するときは温泉饅頭をカレーパンに入れて飽きさせない企画でした。


長野ヤキメン普及チームはチームカラーのオレンジを取り入れるべく白味噌入りのソースを入れました。


おやきを蒸籠で暖める文字通りの道具を取り入れ勝負に出ました。


おやきは相手サポーターから好評でしたが相手サポーターが少なく動員数が少なかった事や優勝が絡み他店も力を入れていたので販売数は198でした。


3日後普及チームはパルセイロの選手スタッフと試食会をしました。

一部の選手から味が濃すぎるという指摘がありましたが36名中33名が合格を出し過半数をクリアしました。

パルセイロの社長は1656人の動員数で198を達成、動員の1割強の売上でした。


パルセイロが3000人動員すると300食販売は可能であり公式フードとして認められ長野ヤキメンは新たなスタートをきりました。

実力的にはJリーグに上がれながらもスタジアムや動員数がネックになっているパルセイロですがスタジアムの目処がたち来年が勝負の年になりました。


僕も南長野で開催していた頃はよく見に行っていましたが佐久になってからは足が遠ざかり申し訳なく思います。来年は動員と躍起麺の販売に貢献できるようにスタジアムに足を運ばなければいけないな…と思いました。


パルセイロも長野ヤキメンもさらに飛躍できるようにそれに負けないように頑張りたいと思いました。  


2013年12月08日 Posted by プラネマン at 22:21Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

百年の町なみ 千曲市稲荷山登場

昨日3月1日にBSジャパンで放送された「百年の町なみ」という番組を見ました。今回は「ジャズが流れる商家の町」というタイトルで千曲市稲荷山の特集があり楽しみでした。


千曲市稲荷山は江戸時代善光寺街道の宿場町として栄えましたが善光寺地震で町は全焼してしまい火に強い町になって行きました。明治時代には繭や生糸絹織物を扱い栄えていたそうです。

カメラは生糸で富を築いた旧松林邸を映し続いて旧呉服商の山舟邸を映していました。鮮やかな表蔵があり裏にも屋敷を取り囲むように蔵があり千曲川の氾濫用に石垣を築いてありました。

続いてカメラは80年以上続く小出靴下店さんが登場しました。稲荷山は大正〜昭和の初めにメリヤスの町として栄えていましたがメリヤスの代表品が靴下でした。ご主人は3代目ですが違う夢があったそうですが家業を継いだそうです。奥さんも商売とは無縁な家から嫁いできましたが夫婦仲が良く地元の女性従業員と和気あいあいと働いている様子を見ると功利主義が主流で人間関係がギクシャクしている世の中で強烈な光を放っているようでした。古くから残る蔵を倉庫として利用しているそうですが湿度や温度が一定に保たれるので商品管理に古い蔵は最適だそうです。


続いてカメラは菅谷医院さんを映していました。菅谷医院さんは4代続く医者の家系で60年程前の医療機器が残っていました。地域に根付いた暖かな町のお医者さんでした。


続いて喫茶店風雅さんが映りました。マスターは84才でかつては東京で活躍したジャズピアニストでした。19才で上京してクラブやキャバレー等で演奏活動をしましたが28才で地元に帰りました。ジャズ仲間からの誘いで権堂で演奏活動をして長野のジャズ界を引っ張ってきました。お友達が来て「ブルーレディに赤いバラを」を演奏してその曲をバックミュージックに30分の放送が終わりました。


30分枠では足りなかったですが古い町並みとそこに生きる人を感動的に描いていました。稲荷山の町並みは古きを残しながら栄えて行って欲しいと思いました。  


2013年03月02日 Posted by プラネマン at 11:48Comments(2)長野市周辺登場テレビ番組

鉄道・絶景の旅 豪雪秘境飯山線

今週の木曜日2月14日にBS朝日で放送された鉄道・絶景の旅という番組で「奥信濃の豪雪地帯と湯の里を巡る飯山線」という特番があり地元飯山線が登場しました。正確に言えば2011年1月27日放送分の再放送ですが地元の事が放送され嬉しく思いました。

飯山線は豊野駅が始発駅でしばらくは信越本線と平行に走り千曲川に沿って奥信濃を行きます。最初にカメラは替佐駅に着きました。ホームには唱歌ふるさとが流れていました。駅を出てしばらく行くと赤茶の建物が見えそこはグランメール末広さんというレストランでした。洋食のお店ながら地元の人に親しんでもらえるようにお座敷がありました。シェフは帝国ホテルで修行した事があり地卵3個を使ったオムライスは美味しそうでした。


カメラは飯山駅に着きました。飯山駅のホームには鐘があり誰でも自由につく事が出来て駅舎は寺院風で飯山市内には22の寺社があり仏壇作りは300年の歴史があるそうです。飯山市内にある高橋まゆみ人形館が映され笑顔の人形が多いのが印象的でした。


カメラは戸狩野沢温泉駅に着きました。そこからバスで15分で野沢温泉に着きました。13の外湯があり浴場によって効能が違うそうです。


森宮野原駅にカメラは着きました。1945年に7メートル85センチの積雪がありJR最高積雪地になります。交流館ふきのとうがあり食品や民芸品を販売していますがトマトも名産品でこの地のトマトは甘味が強くそれを利用したナポリタンは本当に美味しそうでした。


カメラは新潟県に入り津南駅に着きました。津南温泉雪国さんに宿泊しましたが温泉は単純温泉で筋肉痛や間接痛に効くそうです。料理は鮎の炭火焼き、和牛ステーキ、七輪で一晩煮込んだ鯉こくなどが美味しそうでした。津南駅には温泉があり蕎麦が食べられるそうです。蕎麦豆腐、蕎麦かき、盛り蕎麦をつゆにつけず藻塩をふりかけて食べていて美味しそうでした。この地の蕎麦には山ごぼうが入っていてコシがあるそうです。


カメラは十日町駅に着きました。道の駅クロステンでは物産ホールがありコシヒカリが有名で町の至るところにおぎにりの幟が立っていました。中越地震ではこの地のコシヒカリでおにぎりの炊き出しを行い絆を結んできたのでおにぎりには思い入れがあるそうです。カメラは越後川口駅に着き上越線と接続になり飯山線の旅は終わりましたが楽しい一時で地元でもまだまだ知らない事がたくさんあると感じました。  


2013年02月16日 Posted by プラネマン at 12:09Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

未来へのおくりもの マルコメ

昨日2月2日にBS-TBSで放送された「未来へのおくりもの」という番組を見ました。

明るい未来を創造する企業やプロジェクトを紹介する番組で今回の放送は長野市に本社を置くマルコメさんが特集されました。


途中からテレビをつけましたが直径16メートルの鍋等をコンピュータ制御で動かしていてスケールが大きく驚きました。


マルコメさんは新しい取り組みとしてキッチンカーマルコメ号を作っていました。毎週火〜金曜日の朝、マルコメさんの東京支店がある高田馬場界隈で一杯100円で味噌汁の出張販売をしていました。豆腐やワカメ等5種類のうち2種類をブレンドして提供していました。利用者にインタビューをしていましたが朝食をとらずに出社している人もいるので好評でした。


キッチンカーマルコメ号は被災地でも活躍していて福島県いわき市へ出張しました。被災者の方は暖かい味噌汁で癒され商品の配布もしていて喜ばれていました。宮城県七が浜震災ボランティアセンターには味噌汁マシーンが置かれボランティアの方にも喜ばれていました。味噌汁は日本人の食生活にはなくてはならないものでどなたが貰っても嬉しそうでした。


マルコメさんは子供への取り組みとして小学校に出張授業をしていました。味噌は1300年前から食べられていた事や基礎調味料であることや発酵食品である事の説明がありました。味噌には本味噌、麦味噌、豆味噌があり原料の違いによって味が違ったり味噌は熟成が進むと柔らかくなる事等を小学生に解説して最後にみんなで味噌汁を作りました。


マルコメさんはプラス糀シリーズとして生糀味噌、生しょうゆ糀、糀ジャム、糀鍋のもと等を開発してホームページでレシピを紹介しているそうです。2013年は発酵元年として今年の1月にマルコメ春夏新商品展示会があり外食産業を中心に1000人ほど集まったそうです。

長野市に本社のある会社が全国規模で有意義な活躍しているのを知ると嬉しくなります。僕が小さな頃から坊主頭の男の子が登場するコマーシャルを放送していた事を思いだし懐かしく感じると共にあの頃から発展していて凄いな‥と思いました。最近ではプロバスケのオールスターのスポンサーをしていてスポーツにも理解が深いマルコメさんですが日本人の食生活をいつまでも支えて欲しいと思いました。  


2013年02月03日 Posted by プラネマン at 18:21Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

野沢温泉村 楽しさ100%+1

先週の土曜日BSフジで放送された「わがまま、気まま、旅気分」という番組を見ました。

この番組はタレントの野々村真さんと息子さんが冬の野沢温泉村を訪れその魅力を紹介する番組です。

野沢温泉村にスキーが伝来して101年、村内には36のコース国内屈指のスキー場があるそうです。野々村真さん親子がスキーをしていると「野沢菜+スキー」から名付けられたマスコットのナスキーが登場して競争をしました。+1とはナスキーが遊んでくれる事でした。


スキーを楽しんだ後野々村真さん親子は温泉街に来て野沢温泉のシンボル麻釜にいました。村には源泉が30ほどあり麻を茹でて皮をを剥きやすくするそうです。野沢温泉の台所と呼ばれているそうです。野々村真さん親子は茹でた野菜を美味しそうにいただいていました。


野々村真さん親子はお土産屋にやってきました。フキヤ商店のこしあん、つぶあん、栗入りの3種類の饅頭を食べました。野沢菜は野沢温泉が発祥地で息子さんはお母さんに野沢菜のラー油やリンゴのシュークリームを買っていました。

続いて地酒専門店の富屋酒店さんに行き野沢温泉村名産の水尾を試飲しました。野々村真さんは水尾が気に入り買って帰りました。野々村真さん親子はサンアントンジャムさんでいろいろな種類のジャムを食べていました。


野々村真さん親子は旅館さかやさんに行きました。17代続く老舗旅館で源泉から引くお湯はかけ流しの硫黄泉です。料理も豪華で金糸瓜はつゆにつけて食べ岩魚、鯉、の刺身に岩魚まぁーすという岩魚と野沢菜、信州味噌をブレンドした料理を食べていました。


村内には13の温泉浴場があり大湯と呼ばれる共同浴場に行きました。熱湯とぬる湯があり名古屋から来たお客さんにインタビューしていましたが来て良かったと絶賛していました。


野々村真さん親子は日本スキー博物館を訪れました。スキーが伝来した頃はストックを1本の杖を使ってしていました。昭和25年に後楽園球場でスキーをした記録の紹介などがありました。

野々村真さん親子はかんじき作り体験をした後民宿とうふやさんにお昼を食べに行きました。豆腐自慢のお店で野沢温泉の澄んだ水を使い60年の歴史のあるお豆腐屋さんです。野々村真さん親子はおぼろ豆腐や地元の豚を使った豆乳しゃぶしゃぶを美味しそうに食べていました。その後上の平スキー場に行き野沢菜のガーリックステーキや野沢菜のピザ、野沢菜のパン、野沢菜ソフトクリームを食べていました。


野沢温泉村については特に気にしてなかったですが地元にこんなに素晴らしい場所があったとは知りませんでした。僕は長野市に住みながらもスキーはした事がなくもったいない事をしていたと思いました。野沢温泉村の良さを知った番組で見て良かった番組でした。  


2013年01月28日 Posted by プラネマン at 05:44Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

檀れい 長野善光寺ゆかりの技

一昨日1月21日にBS日テレで放送された名匠の里紀行という番組を見ました。
この番組は檀れいさんが全国を周り職人の手技を発見する番組です。今年に入り同じ長野県内の小布施が紹介されましたが今回は長野市の特集で善光寺に縁のある職人さんが登場しました。

オープニングに善光寺近くの三河屋洋傘専門店さんが登場しました。現在で3代目になり店内には3千本の傘が置いてあり全てが完全手作りになるそうです。

手作りの洋傘を見せてもらいましたが二重織りなので外と中の色が違ったりふちに縫い目のない傘がありました。雨に濡れると絵が浮き出て乾くと絵が消える傘もあり芸術的でした。

制作に対して1ミリ違うと傘の形が変わってしまう繊細な作業をしていて二日酔いは厳禁、ご主人が形を作り奥さんがミシンをかける共同作業のために喧嘩をしたら仕事にならず仕事を通じて常に夫婦円満でいられるそうです。

現在使用しているミシンはドイツ製の手回しミシンで神戸の港が開港した時に輸入された物でご主人が以前神戸の博物館で自分が使用しているミシンと同じタイプの物が展示されていて感激したそうです。

布と傘の骨組みを縛る時は丁寧に縛りハサミで切らない限りは切れないそうです。伝統を守りながら一本一本丁寧に作る洋傘はどれも同じ物はなく全てがオーダーメイドで雨が降った後日陰干しすれば30年は保つそうです。

この番組を見るまでは雨さえ防げれば傘などなんでもいい‥と思っていましたが職人のこだわりの技はお金を出しても買うに値すると思いました。檀れいさんも傘を買って帰りましたが時代の流れに負けずにいつまでも続いて欲しい後世に残して欲しい職人の技でした。


続いて善光寺山門が登場しました。1750年に建立された山門は2002年〜07年にかけて平成の大修復が行われました。文化財の修理は勝手に出来ず元の雰囲気を残しダメな部分だけ作り直すそうです。

その時修理に関わった建具屋さんで篠ノ井横田にある栄建具工芸店さんの組子細工が登場しました。数々の賞を受賞した組子細工は美しくイスラム教のモスクのアラベスク模様を入れた組子細工は和洋が交じった美しい作品でした。

薄皮一枚残してパーツに使う技術など職人のこだわりや技術にただ感心するばかりでした。組子細工に魅せられて弟子入りした若い女性の仕事の様子が放送されました。若い女性の人生を変えてしまうほど日本的な美が入った作品でした。


続いて2009年に善光寺に奉納された竹垣に使われた職人の技が紹介されました。善光寺に奉納された竹垣はオリジナルな竹垣だそうですが市内合戦場にある小出竹材店さんが登場しました。小出竹材店さんの竹の作品は市内の飲食店にも飾られ日本的な美しい作品でした。

長男が表と裏で縫い目が違う花籠などの竹製品を作り次男が竹垣作りをしていました。結び目の美しさや芸術の域に達している手技の素晴らしさは文章で説明が出来ず申し訳なく思います。一本の竹が人間の手でいろいろな形に変わって行くのは感動的でした。


今回の放送では長野市に残る洋傘、組子細工、竹細工と3分野の手技や職人技が登場しました。長野市内にもこんなに素晴らしい技が残っていたと思うと感動的でした。大量生産の時代で同じ型ばかりの世の中ですが後世まで素晴らしい技が伝わって欲しいと思いました。この日登場した職人さん達のますますの活躍を願っています。  


2013年01月23日 Posted by プラネマン at 06:03Comments(2)長野市周辺登場テレビ番組

檀れい 小布施・栗と北斎紀行

昨日1月7日BS日テレで放送された檀れいさん主演の「名匠の里紀行」という番組で小布施の特集がありました。


まずは檀れいさんが北斎ホールを訪れ農家のお母さんが地域伝統の食文化を伝える催しに参加しました。

栗の渋皮煮が紹介されました。手がかかって人に食べさせたくない‥と地元のお母さんは言っていましたが砂糖を3回に分けて入れたり隠し味に自家製のワインを使ったり渋皮に気を使ったり手が込んでいるのがよく分かりました。檀れいさんが美味しそうに食べていました。渋皮煮と対称的に手がかからない料理の茶巾絞りや栗ご飯が紹介されていました。


小布施の栗は600年の歴史があり江戸時代には米の代わりに栗を年貢に納めていて幕府への献上品になっていたそうです。地元の農家の人は年貢を納める前は勝手に栗を食べれなかったそうです。


地元の栗菓子として栗のロールケーキ、栗のババロア、栗のアイスクリームの紹介や小布施堂さんの栗の花びら餅や煎茶の紹介があり京菓子に通じるワビやサビの世界を感じ感動的でした。

続いて小布施を愛した北斎というテーマで進んでいきました。1842年82才の北斎は小布施に行きました。地元の権力者であり妖怪などを描いて芸術に精通していた高井鴻山が北斎を招いたそうです。


北斎の二美人や七小町などの肉筆画、起き抜けに獅子を描いてすぐに捨てていたそうですが家族がそれを拾い後世に残った獅子の絵の紹介、男波と女波という絵では天使が描かれ早くから西洋に憧れ研究していた事に驚きました。


続いて豪商文化という事で小布施のお隣の須坂市にある田中本家が紹介されました。近世の正倉院と呼ばれる田中本家は数々の文化財が残っているそうです。子供のおもちゃの羽子板にも芸術品を使い幻の須坂吉向焼きなどが紹介されました。

続いて温泉宿の紹介で渋温泉にある金具屋さんは国の登録文化財に指定されていますが小布施出身の大工さんが全国の有名温泉宿を研究して作ったそうです。

文化人にも愛された山田温泉山田館さんの料理の紹介がありイワナ料理や信州サーモンの刺身、信州牛のキノコ鍋などが美味しそうでした。


続いて小布施ワイナリーさんの紹介がありました。国産のブドウにこだわり自家製100%を目指しているそうでスパークリングワインにこだわっていて毎日1/8ずつ正確に動かしているそうです。ルーツは昭和17年ですが今植えているブドウは30年〜40年後に成果が出れば良しと言い時代の先を見ていて感心しました。


最後に小布施の岩松院さんの天井画、八方にらみという畳21畳分の大きさの絵が紹介されました。鳳凰の図で長生きの象徴で長生きをし過ぎて鳥に松が生えていたり逆さ富士が描かれている北斎の最晩年の完成作品でした。

最後のナレーションで70才までの作品はとるに足らない!と言い生涯を求め続けた北斎に感激するばかりでした。


あっという間に一時間が終わりましたが北斎に栗に豪商文化に地元に住みながらも何にも知らないんだな‥と感じた特番で見て本当に良かったと思いました。  


2013年01月08日 Posted by プラネマン at 05:30Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

日本100巡礼 長野市善光寺へ後編

一昨日10月10日にBS日テレで放送された「日本100巡礼、思いの道、願いの道」という番組を見ました。この番組は10月の再編で新しく始まった番組で記念すべき第1回目に長野市善光寺を放送してくれて嬉しく思います。


女優の仁科亜季子さんが善光寺を訪れます。福島県在住で住職であり作家でもある玄侑宗久さんが「観光とは光を観る‥という仏教用語からきていて光とは何かを求めるのが巡礼の原点にあたる」と言っていました。今回の巡礼旅行のキーワードは「闇の底の光」で仁科亜季子さんにはお戒壇巡りを通じて光を体感して欲しいと玄侑宗久さんは言っていました。


番組の始めは前編の復習的な感じでしたが仁科亜季子さんがすや亀さんで味噌ソフトを食べたり一茶亭さんで蕎麦を食べる場面が放送されていました。すや亀さんの味噌ソフトに対して和洋が交じりあった味と言っていました。一茶亭さんの3種類の蕎麦も美味しそうでした。


午前4時半におじゅじゅ頂戴の場面が放送されました。多くの人は寝ている時間なのに善光寺さんでは何百年と続いてきた朝の営みがこれからも続いていくのかと思うと素晴らしいな‥と思いました。

仁科亜季子さんはお朝事というお勤めに参加していました。内陣には25体の菩薩が祭られていてそのうち1体は参拝者ように空いてるそうです。

仁科亜季子さんは念願のお戒壇巡りを始めました。もちろんカメラや取材の関係は立ち入り禁止で仁科亜季子さんは1人で暗闇の中に入って行きました。出てきた仁科亜季子さんはしばらくして泣き出しました。自分は病気続きで何で自分ばかり‥と嘆いていましたが悟りというか考え方の転機があったようです。仁科亜季子さんは参拝後藤屋旅館で玄侑宗久さんに手紙を書いていました。仁科亜季子さんは闇の底の光を見たんだろうな‥と思いました。

僕はかつて若気の至りで某新興宗教に首を突っ込んだ事がありましたがその教団の教えに疑問を持つと頭に輪がついているだの魔が入っているだの脅かされた事がありました。何年かぶりに同郷の先輩に会いゆっくり会って話たいと言われ会いにいったらその先輩はカルト宗教の信者になっていて4時間以上脅かされたという経験があったのでそれを思うと宗派にこだわりがなく古くは女人禁制でなく女性や庶民に開かれていた善光寺さんの懐の深さを感じた番組でした。

近すぎる故か特に何も思った事のない善光寺さんを見直した番組で見終わった後は善光寺さんがある事を誇りに思うようになりました。仁科亜季子さんは善光寺さんのご加護の下健康運と仕事運に恵まれて芸能活動を続けて欲しいと思います。人々の癒しの場としてこれからも善光寺さんが栄続けて欲しいと思いました。  


2012年10月12日 Posted by プラネマン at 05:56Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

日本100巡礼 長野市善光寺へ

10月に入りテレビ番組は新しくなりましたがBS日テレで「日本100巡礼、思いの道、願いの道」という番組が始まりました。第1回目は女優の仁科亜希子さんが善光寺を訪ねました。

福島県三春町に住む作家としても活躍している住職の立侑宗久さんの説法がありました。闇の底に光があり人間の底には光明があり暗闇の最後には灯りが見えるといいその形を現しているのが善光寺のお戒壇巡りだと話した事から始まりました。

今回の案内人は女優の仁科亜希子さんですが仁科亜希子さんは歌舞伎役者の親元に生まれ姉妹も芸能活動をする芸能一家でした。今から40年前の1972年にデビューしましたが1991年頃子宮の癌になり胃の1/3を摘出するなど苦難の時期が続きました。仁科亜希子さんは善光寺に参拝したいと思っていたそうです。

善光寺には年間700万人が訪れるそうですが特定の宗派に属さず女人禁制ではなく庶民に開かれていたお寺です。


仁科亜希子さんは始めに大本願を訪れました。松尾芭蕉の碑を見た後でお守りを売っているところで「ひとにぎり地蔵」を買いました。お守りの効力は1年ほどだと言いますがひとにぎり地蔵は一生だそうです。手でひとにぎり出来る大きさですがいろいろな顔のお地蔵様がいました。


続いて仁王門から仲見世通りに行きおやきや餅を食べた後仲見世通りから一本横の通りにある世尊院に生きました。世尊院には等身大の銅製の寝釈迦があり珍しいそうです。お釈迦様は肉体があるので食欲があり人間そのものですが寝ている状態は悟りを開いている状態で寝釈迦には価値があるそうです。お釈迦様の境地に近づける貴重な寝釈迦が長野市にあったとは驚きであり光栄でもあります。


続いて山門の手前に六地蔵があり仏教でいう六道を見守っているそうです。仁科亜希子さんは大勧進に行きました。宝物殿には武田信玄と上杉謙信の位牌があるそうです。敵として戦いながらも同じ仏閣を信じた二人が祭られているそうです。大勧進の中にある護摩堂に行きました。願いを書いた護摩木を住職の方が燃やしますがその炎を見ていると人間の罪汚れが許されていく気がしました。


続いて山門に行きました。山門の善光寺の文字の中に5羽の鳩が隠されていたり善光寺の石畳は7777枚ある事や四国88ヵ所の霊場の仏様が祭られているなどの話がありました。

お馴染みの大香炉で煙を浴びた後で305年前に建立された本堂の中に入りました。入り口にはびんずる尊者が祭られていました。びんずる尊者は今年で299才で長きに渡り人々を見守り続けてきたそうです。この日は時間が無かったのでお目当てのお戒壇巡りは翌日になり仁科亜希子さんは宿坊に泊ました。かつては参拝客を本堂に泊めていたそうですが宿泊客が増えてお坊さんの自宅を解放したのが宿坊の始まりだそうです。善光寺界隈には39の宿坊があり精進料理が楽しめるそうです。


この日の放送はここで終了しましたが予告編では仁科亜希子さんが感極まって泣いている場面が映し出されていました。次週も善光寺さんの特集が楽しみです。  


2012年10月04日 Posted by プラネマン at 06:00Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

絶景・鉄道旅 ロマンの長野電鉄

昨日9月13日にBS朝日で放送された鉄道・絶景の旅という番組で地元長野電鉄の特集がありました。この番組は2010年10月21日に放送された番組の再放送でしたが地元の特集という事で楽しみにしていました。


長野電鉄の長野駅から長野電鉄沿線を途中下車しながら旅をする番組でした。まずは善光寺下駅で下車しました。雲切目薬という幟がありました。老舗の薬局で販売され雲が切れるように良く見える目薬という事で名付けられたそうです。1543年に出来たと言われていますが昭和57年に当時の薬事法で販売禁止になりましたが復活の要望が強く再販されたそうです。続いて善光寺さんの特集でした。江戸時代中期の代表的な建築で長野市を代表する観光名所ですが撮影当時は山門の特別解放をしていて山門からの景色が写し出されていました。


続いて須坂駅で途中下車しました。須坂は蔵の町で有名で現存する蔵の数は日本有数だそうです。塩屋醸造さんという味噌屋さんの見学をしました。えのき味噌の試食をしていました。具がなかったですが味噌の中にえのきがブレンドされていて時間が経つと具がえのきの具が浮いてきました。美味しそうでした。

続いて小布施駅で下車しました。小布施堂本店で栗の食事をして美味しそうでした。続いて信州中野駅で下車、駅の改札口近くでえきなか商店が出店していて地場産のキノコや農作物が安く販売されていました。食べ物の中にふるさとのウサギ、月ウサギなどウサギの人形が販売されていました。ウサギの人形に興味を持ったスタッフは駅員に聞くと詳しい事は日本土人形資料館に行くとよい‥と言われ訪問しました。時間をかけてゆっくりと見たいと思いました。信州中野駅に戻るとホームには小田急電鉄のロマンスカーがゆけむり号になっていてゆけむり号で田園風景を見ながら電車は走りました。


湯田中駅に着くと渋温泉にある歴史の宿金具屋さんに行きました。金具屋さんは昭和11年開業で国の登録有形文化財に指定されているそうです。長生閣という部屋に泊まりましたが趣きがあり僕も行ってみたくなりました。金具屋さんには5つの源泉があり温泉の質が違うそうです。鎌倉時代の雰囲気がある鎌倉風呂や浪漫風呂という風呂もありこの浪漫風呂が見つかり金具屋さんは鍛冶屋から金具屋になったそうです。


2日目は湯田中から須坂に向かい屋代線に乗り換えました。井上駅で下車してトレインギャラリーさんに行きました。鉄道模型が約4千両あり素晴らしかったです。続いて松代駅で下車、松代城址と真田邸を見学しましたが真田邸の庭園は鮮やかでした。屋代線は2012年4月1日で廃線になりました‥と字幕が出ていて一抹の淋しさを感じました。


あっという間に一時間が終わりました。長野市に住んでいながら知らない事ばかりだな‥と思いました。放送から2年過ぎましたが続編を期待したいと思いました。地元を見直した番組で見てよかったと思いました。  


2012年09月14日 Posted by プラネマン at 06:02Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組