神林杏子&Jアルトゥーロ・コスタ/デュオリサイタル




神林杏子さんは長野市出身のピアニストで桐朋学園大学を卒業、2010年から英国王立音楽大学大学院に奨学金を得ながら留学して2012年に最優秀で修了した本格派ピアニストです。
Jアルトゥーロ・コスタさんはスペイン出身で英国王立音楽大学大学院に留学、同校で神林杏子さんと知り合いました。世界各地のオーケストラと共演、現在は台北のヨーロピアンスクールで後進の指導にあたっています。1770年に製作されたイギリス製のチェロを使用しています。
オープニングはブラームス「5つの歌曲作品105より第1番、歌の調べのように」が演奏されました。ブラームス56歳の作品で晩年はアルト、バスの低声用の歌曲を好んで書いたそうです。
2曲目にプログラムにない曲が追加演奏されましたが筆記用具を忘れメモが出来ず残念でした。
続いて「5つの歌曲作品49より第4番、子守り歌」が演奏されました。ブラームスの歌曲の中で最もポピュラーな作品だそうです。
続いてブラームスチェロ、ソナタ第1番作品38ホ短調が演奏されました。ブラームスが生涯に残したチェロソナタの1曲で解説にあるように晩秋を感じさせるロマンチックな曲でした。
続いてガスパール、カサドのスペイン古典形式によるソナタが演奏されました。カサド28歳の作品でチェリストのレパートリーとして親しまれているそうです。カサドは1966年に亡くなりました。
続いてモーリス、ラヴェルの「ハバネラ形式の小品」が演奏されました。ハバネラはハイチからキューバにもたらされキューバの民族舞曲として確立、その後スペインに輸入され人気が高い舞曲になったそうです。
続いてイサーク、アルベニスの「組曲エスパーニャ作品165より第3曲マラゲーニャが演奏されました。マラゲーニャとは南スペインの港町マラガに伝わる民謡でアルベニスはこの作品を作曲した時にロンドンにいて母国への思いが綴られていた…と解説がありました。
続いてパブロ、カザルスの「鳥の歌」が演奏されました。20世紀最大のチェリストと呼ばれたカザルスの数少ないチェロのための作品になるそうです。
最後にガスパール、カサドの「愛の言葉」が演奏されました。スペイン出身でチェロの巨匠カサドが師匠のカザルスに贈った作品になるそうです。
アンコールに日本の秋の歌をメドレーで演奏して神林杏子さんがソロで演奏、最後に2人で演奏しました。
チェロの音色が素晴らしくアルトゥーロさんが手にするまで1770年からチェロが待っていたかのようでした。チェロとアルトゥーロさんが共鳴して美しい音を出していて神林杏子さんがさらに高い境地に引き上げている感じがしました。
会場の雰囲気も物音1つせずに音を聞き逃さないような緊迫感というか集中力がありテレビの画面やCDでは味わえない素晴らしいライブ感の演奏会でした。アルトゥーロさんはかなりの長身ですが終演後頭を腰の位まで深々と下げ頭の重い稲ほどよく下がる…のような人格者の雰囲気が素敵でした。
この日は何かと慌ただしい平日でしたがコンサートに行かなければ普通の平凡な1日でしたがこの日は美しい音色が聞けて最高の1日になりました。
このデュオリサイタルは東京公演も行われますが東京でコンサートを生で聞く機会の多い耳の肥えたファンも満足できると思います。さらにアルトゥーロさんが教える台北でもコンサートを行うそうです。台北の人々が本格的な音楽を聞けクラシックの素晴らしさを体感できる事を願っています。
神林杏子さんとアルトゥーロさん素晴らしいコンサートをありがとうございました。これからの活躍を願っています。
2014年10月31日 Posted by プラネマン at 12:03 │Comments(2) │コンサート
第19回写団F写真展/大自然を謳う


9名の会員の方が4作品、1、雲のある情景、
2、四季、
3、朝陽のゆくえ、
4、ふるさとの水景色、
5、美しき里山、山布施、
6、稜線の風貌、
7、高嶺のいろどり、
8、秋色、北信濃、
9、雨上がる、
をテーマに計36作品展示されていました。
北信では戸隠高原、志賀高原、飯綱高原、中条、黒姫高原、須坂市、大岡、鬼無里、小川村他長野県内各地の美しい写真が展示されていました。
どの作品も絵はがきにしたいような美しさで長野市周辺でもシャッターチャンスのある絵になる場所がこんなにあるのか…と驚きでした。これからも美しい写真や素晴らしい景色をたくさん残して欲しいと思いました。写団Fさんのこれからの活躍を願っています。
2014年10月31日 Posted by プラネマン at 10:32 │Comments(0) │長野市周辺 ギャラリー
郷土/BS日本・こころの歌

音大で声楽を学んだメンバーが次世代に語り継ぎたい日本の美しい歌を歌う番組です。今回は「郷土」というテーマで放送されました。
ソーラン節、男性7人、女性5人、
斉太郎節、男性7人、
会津磐梯山、男性6人、女性6人、
八木節、男性7人、
東京音頭、男性7人、女性5人、
お江戸日本橋、女性4人、
チャッキリ節、女性5人、男性2人、
茶つみ、女性4人、
武田節、男性6人、
鞠と殿様、女性4人、
金比羅船、男性2人、女性2人、
田原坂、男性4人、
黒田節、男性3人、
今回は古くから歌われている〇〇節という曲が中心でした。個人的にはお江戸日本橋の郷愁を誘う歌が良かったです。
ヤクルトスワローズの東京音頭や茶つみ、鞠と殿様、♪酒は飲め飲め…と歌う黒田節など聞いた事がある歌が多く親しみが持てました。日本の素晴らしい歌を次世代に語り継いで欲しいと思いました。次回のテーマは昭和伝記1です。どんな名曲が聞けるか楽しみです。
2014年10月31日 Posted by プラネマン at 08:54 │Comments(0) │BS日本・こころの歌
現代邦楽を楽しむ/NHK にっぽんの芸能

伊福部昭氏は1914年生まれで今年生誕100年になりいろいろな音楽番組で特集されました。伊福部昭氏は日本的な様式を全面に押し出した作風で有名ですが芸術音楽100、映画音楽300、邦楽作品十数曲を生涯に残しました。
今回はその中で「郢曲、鬢多々良」が演奏されました。貴族の音楽にあたり平安貴族のダンスミュージックにあたるそうです。
箏の出だしで始まり箏が1つずつ増えて行き2箏、3箏となって行きます。筑前琵琶、薩摩琵琶、篠笛、竜笛、能官等が加わり和風で優雅な雰囲気が伝わってきました。
続いて昭和18年に作曲された交響譚詩が演奏されました。伊福部昭氏と古くからの知り合いの野坂恵子氏がインタビューに答えていました。
レコードでこの曲を聞くと箏を思わせるフレーズがあるそうです。伊福部昭氏が25絃奏に編曲しましたが難しくて弾き難いと話していました。
伊福部昭氏の偉大さを感じた番組でしたが日本の楽器の良さも引き出していました。伊福部昭氏が死去したのは残念でなりませんが伊福部昭氏の日本的美しさを引き継ぐ若手音楽家が出てくる事を願っています。
2014年10月31日 Posted by プラネマン at 06:48 │Comments(0) │音楽系番組、演奏会TV放送
秋の銘菓特集・京都ショコラおたべ600円/アップルランド大豆島店






ちょうど先週末僕の母校でイベントがあり行ってきました。自分が学んだ教室にいると高校時代の夢について考えていました。
高校時代は第1志望の進路に進めなければ格闘技をしてみたい…と思っていました。結局第1志望の進路には進めなかったですが格闘技は僅か3戦でしたがプロのリングに上がれました。
いろいろあった格闘技でしたが京都に太道(たいどう)という京都発祥の武道がある事を知りました。佛教大学を中心に活動していて門下生は修行僧のように真摯に格闘技に打ち込んでいました。僕は太道のオープントーナメントに出場するために京都に行った事がありました。礼に始まり礼に終わる…太鼓の音で始まり太鼓の音で終わる…試合前の緊張感や試合中膝蹴りを喰らい悶絶しそうになった事を思いだしました。試合前の緊張感や恐怖、試合後の解放感、太道の試合に出れて貴重な経験をして高校時代に思った第2志望の夢が実現した…と思いました。帰りにメロン味の八つ橋をお土産に買いました。
そんなことを思い出したら高校時代の夢が叶ったお祝いに八つ橋のショコラバージョンを買って帰り京都に想いを馳せようと思いました。
おたべショコラバージョンは10個入りで5個入り真空パックが2つになっていました。母親と1パック食べましたが美味しかったので黙って2パック目を食べたら母親も食べたかったらしく親子喧嘩になったほど美味しい八つ橋でした。
高校時代に叶わなかった第1志望の夢は大学に行って海外に行く事でした。最近歴史に興味を持つようになったので佛教大学の通信教育で歴史を学びスクーリングの時に京都の街を散策しながら太道を習い練習後に八つ橋を食べたいな…と最近考えています。
自分が真に学びたい事を学べれば高校時代に叶わなかった第1志望の挫折も昇華した気がします。直ぐにとは言いませんが佛教大学で歴史の通信教育を学ぶまでは八つ橋を食べてモチベーションを保ちたいと思いました。
2014年10月30日 Posted by プラネマン at 23:30 │Comments(0) │長野市周辺、食品フェア
味噌ラーメン500円/須商マーケット内麺処六角堂




僕の高校時代は卒業後の事ばかり考えていてあまり良い思い出はありませんでした。卒業後は同級生たちと音信不通になっていました。
今から10年ほど前に姪を預かる事になり何処に遊びに行こうか考えていたところながの情報という雑誌で須商マーケット開催を知り卒業後初めて須坂商業に行ってみました。
自分の使った教室、体育館、校舎、懐かしい風景でここに僕は存在したのだな…と思うと嫌いになっても母校、好きになっても母校…ならば愛着を持って接しようと思いそれから須商マーケットや母校の高校野球の試合を見に行くようになりました。
卒業後初めて行った須商マーケットでは姪は風船を貰ったりバザーでキャラクター商品を買ったりで喜んでいました。中を回った後で食事をしました。姪はアンパンマンのキャラクターのお菓子をもらい大喜びで母と僕と姪で食事をしても2千円でお釣が来てリーズナブルでした。姪はしばらくの間叔父君の学校に行きたい…て言っていました。
その時僕はラーメンを頼みました。値段はワンコインでお釣がきて安かったですが1階の理科室で調理したラーメンを2階の教室をレストランにした場所まで運ぶので少し伸びていました。これも母校の味だと思いながら食べていました。
以前は2階の教室レストラン臥竜は喫茶と食事が兼用でしたが数年前の須商マーケットからはラーメンが麺処六角堂に分離され体育館前の広場で販売されるようになりました。
メニューは醤油ラーメンと味噌ラーメンの2点のみですが本格的なラーメン屋さんとコラボして以前の臥竜で食べたラーメンとは別物でした。
いつも醤油ラーメンを頼んでいるので今回は味噌ラーメン500円を頼みました。須坂の地場産の味噌をベースにしたスープとたっぷりな野菜が美味しいラーメンで学園祭の域を超えた本格的なラーメンでした。
来春から須坂商業は統合になり麺処六角堂で食事をするのはこれで最後になります。僕は関係者でないので詳しい事は分かりませんが来年からは須商マーケットはどうなるのか…気になります。須商マーケットの形は変わっても麺処六角堂のラーメンは残って欲しいな…と思いました。
須商マーケットも僕の時代に比べれば格段と進化してラーメンは特に進化していました。ラーメンを食べ終わった後で後輩たちに負けないようにしっかりしなければいけないな…と思った美味しいラーメンでした。
写真は水の入った容器のシールと食券とパンフレットの案内です。
2014年10月30日 Posted by プラネマン at 13:12 │Comments(0) │旧須坂商業、須坂創成高校
楽天、宮川投手、小斉選手他7選手に戦力外通告

最下位の今季は厳しい戦力外通告があるものだと思っていました。第1弾として育成選手や2軍選手を中心に戦力外通告があり今回は中島選手、ミトレ選手、高堀選手、宮川投手、島井選手、柿沢選手、小斉選手の7選手に戦力外通告がありました。
オリックス時代に契約金0で話題になり分配ドラフトで楽天に来た中島選手は長い間お疲れさまでした。
一軍に出れなかった選手は仕方ないと思いますが柿沢選手は大久保新監督が2軍監督時代に無理をされて心肺停止状態になり気の毒でした。プレーよりしごきの被害で有名になったのは気の毒でしたが柿沢選手は甲子園で宮城県のチームと対戦、震災に負けずに頑張っている姿に感激してプロの初任給を対戦した高校に寄付した…というエピソードには心が和みました。育成として再契約する方針だというので頑張って欲しいと思います。
高堀選手、宮川投手と小斉選手、島井選手は育成で再契約する方針と新聞記事にありました。復活を期待しています。
個人的には小山投手、金刀投手、青山投手、後藤選手のベテランには戦力外通告があるのでは…と思っていましたが現時点では無いようです。ベテランは年俸も高めになるので若手にスイッチしていった方が良いと思いますが誰を残す…戦力外にする…はフロントが決める事だとは思いますがプロの世界なので最下位の責任、後始末でバッサリやるのは仕方ないと思います。
とまれ来季はあまり期待出来ませんが楽天は田尾監督1年、野村監督4年、ブラウン監督1年、星野監督4年と監督の周期が1年、4年と続くので来期は選手が壊されない事にヒヤヒヤしながら辛抱の1年を耐えて次の大物監督に期待したいと思います。
2014年10月30日 Posted by プラネマン at 06:23 │Comments(0) │楽天イーグルス
都会のボクシングジム・ボクシングに魅せられる人々に密着/NHK ドキュメント72時間


9月17日水曜日、東京五反田駅前の雑居ビルにあるボクシングジムにカメラが入りました。時刻は夕刻で仕事帰りに一杯飲んでいる人をカメラが映しましたがそれと対極な行動をしている人々が今回の主人公たちでした。
まずは年配の人をカメラは映しました。52歳で電子部品メーカーに勤務しているそうです。かつてこのジムに所属した日本チャンピオン吉野選手のファンで吉野選手が気さくに声をかけてくれてジムに入会した…と話していました。
同じフロアにプロを目指して熊本から上京して来た19歳がスパーリングをしていました。劣勢でしたがボクシングを始めて1年になっておらずかつてはワルでしたが心を入れ替えボクシングに励んでいると話していました。
50歳を過ぎればしんどいな…と話つつも汗びっしょりで爽やかそうな年配の男性は52歳でお菓子メーカーに勤務していてトレーニングしてもご飯やビールが美味しくて痩せないと話していました。
カメラは女性を映していました。57歳の女性でメンタルヘルス専門の医師でストレスが多くても患者や職場では弱音は吐けないのでストレス発散のために打ち込んでいると話しこのジムには医者の練習生が多いと話していました。
8時を過ぎると女性が増えてきました。週に6回通う女子大生は難関の公認会計士の試験に受かった秀才でした。穂積選手の試合を見てボクシングに憧れ親の承諾のいらない二十歳を超えてから入門したと話していました。練習後は練習中の厳しい顔とは違い普通の若い女性でした。
時刻は23時13分、ジムが閉まる1時間前でしたが35歳の経営コンサルタントや36歳の新聞社勤務の男性が黙々と汗を流していました。
明けて翌日9月18日木曜日早朝6時、ジムがオープンすると45歳のシステムエンジニアや学習塾勤務の33歳がトレーニングしていました。55歳のホテル勤務の男性はモチベーションを保つためにスーツで練習していました。
13時18分、元フェザー級日本チャンピオンがきました。かつては大手おもちゃメーカーに勤務していましたがボクシングを忘れられずに退社しました。現在38歳でバイトをしながらボクシングに打ち込んでいるそうです。収入はサラリーマン時代の方が良かったそうですが人生お金に換算されないものもあるのだと感じました。
21時松葉杖をついたボクサーがきました。2ヶ月入院していたそうです。2年前に日本チャンピオンになりましたが網膜剥離で離脱、復帰後事故にあった…という不運なボクサーでしたがケガをしながらもボクシングの事を中心に考えているのは凄いと思いました。
23時12分外資系金融機関に勤めるサラリーマンが練習していました。練習後仕事に戻ると語っていました。その金融機関は社員全員に売上高毎に番号をつけるそうで皆一番を目指して切磋琢磨しているそうです。普通に暮らしていれば世界一の人に会う事はまずありえませんがこのジムには世界チャンピオンが2人いて世界一になるノウハウを身近で見聞きできるのが魅力だと話していました。上昇志向の強い人は時間を無駄にしていないと感じました。
9月19日河野公平選手が練習していました。その動きを練習生たちが注目していました。18時1週間後にプロデビューする若者をカメラが映していました。長野県出身の18歳で高校を辞めて上京、腕一本で稼げるボクシングを始めたそうです。
ジムの寮で寝泊まりして家賃は2万円で15人の若者が共同生活をして食事は各自が減量などによって違うので自炊をするそうです。このボクサーの夕食は調味料を使わないキャベツの千切りでした。試合後カリフラワーにマヨネーズをたっぷりつけて食べたいとインタビューに答えていました。
翌日一週間前に警官を辞めて広島から上京してプロボクサーを目指している若者をカメラが映していました。
僕は東京の専門学校に行きました。夢を抱いた専門学校でしたが大教室でマイクを使った授業に嫌気がさして自分を変えたくてボクシングジムに入会しました。バイトを後に始めるとそちらが中心になり今となっては後悔していますが卒業後大阪に転勤後キックに転向、3戦でしたがプロのリングに上がりました。
47歳の現在、運動とは遠ざかり今さら強くなっても…と考えていましたが僕よりも年上の人や多忙な人が寸暇を惜しんで自分を鍛えている事を知り考えさせられました。
ボクシングや格闘技は若者の特権と考えていましたが強さだけでなくこうして裾野を広げている人たちがいて魅力的なものになっているのを感じました。都会のボクシングジムに交差する様々な人間模様はボクシングの奥の深さを表しているようでした。ボクシングはスポットライトを浴びる人だけのものでない事を実感した素晴らしい番組でした。都会のボクシングジムに関わる人々に幸あれ!と思いました。
2014年10月29日 Posted by プラネマン at 08:23 │Comments(0) │プロボクシング
山中慎介選手、3度のダウンを奪い圧勝で7度目の防衛に成功!


山中慎介選手はこの試合が7度目の防衛戦になります。山中慎介選手は現在5連続KO防衛中でこの試合に勝つと具志堅用高氏に並ぶ国内最多記録の6試合連続防衛記録になります。記録のかかった試合にKO負けが1度もないタフな挑戦者と対戦しました。
山中慎介選手は身長が171センチ、対するスリヤン選手は161センチと10センチの差がある対戦でした。1ラウンドはスリヤン選手の積極性が目立ち個人的ジャッジは10対9でスリヤン選手、2ラウンドまスリヤン選手の積極性が目立ち10対9でスリヤン選手、
3ラウンドもスリヤン選手の積極性が目立ち10対9でスリヤン選手、4ラウンド終了間際山中選手左右の連打をヒットさせ山中慎介選手が10対9、
WBCは4ラウンド毎に公開ジャッジがあり個人的には39対37でスリヤン選手とみましたがジャッジは38対38が2人、39対37でスリヤン選手が1人でスリヤン選手を優勢に見るジャッジがいました。
5ラウンドスリヤン選手がペースを握り10対9でスリヤン選手、6ラウンド山中選手がペースを取り戻し10対10のイーブン、
7ラウンドラスト30秒山中選手の左でスリヤン選手が腰から落ちてダウン10対8で山中選手、8ラウンド山中選手ラスト30秒に再び左でダウンを奪い10対8で山中選手、
8ラウンドの公開ジャッジは個人的には76対75と山中選手逆転とみましたがジャッジは78対72、77対73、76対74で3対0で山中選手が序盤の劣勢を跳ね返しました。
9ラウンドスリヤン選手投げで1点減点、山中選手がガードが上がった隙を見逃さず10対7で山中選手、10ラウンドスリヤン選手も前に出て10対10のイーブン、
11ラウンドスリヤン選手のペースが落ちて10対9で山中選手、12ラウンドスリヤン選手は棒立ち状態で精神力だけで立っていた感じで試合終了と同時に膝をつき10対9で山中選手、
個人的には116対110で山中選手の勝ちとみましたがジャッジは115対109、116対108、114対110で山中選手が3対0で勝ち7度目の防衛を果たしました。
山中選手の連続KO防衛記録は惜しくもストップしましたが序盤の劣勢を跳ね返す3度のダウンを奪う圧勝で手強い挑戦者を敗りました。スリヤン選手もタフで好勝負になり世界戦に相応しいスリリングな試合になりました。山中選手の更なる活躍に期待しています。
2014年10月29日 Posted by プラネマン at 06:19 │Comments(0) │プロボクシング
東大野球部、公式戦86連敗/仲間の分まで頑張れ!井坂肇投手


来春卒業する4年生は公式戦1度も勝つ事がなく終了しました。4年生で卒業後も野球を続ける選手はいないそうです。
今季信濃グランセローズに東大を卒業した井坂肇投手が入団して話題になりました。現在の4年生で卒業後も野球を続ける選手はいない…と書きましたが逆にいえばほとんどの野球部の選手が野球を続けるよりも条件や待遇の良い場所に就職したのではないか…といえると思います。
そんな中で長野県に来てまでも野球を選んだ井坂肇投手は敬意をもってチャレンジャーだと言いたいと思います。
東大野球部が最後に勝ったのは2010年にハンカチ王子が登板した早稲田戦になるそうです。その時井坂肇投手は1年生だったと思います。井坂肇投手が東大野球部でどのようなポジションにいたかは分かりませんが井坂肇投手は高卒後の野球人生でほとんど勝利を味わっていない事になると思います。
僕は今季グランセローズを10回観戦しました。6月28日に井坂肇投手が先発した試合を見ました。2回KOでしたがその後井坂肇投手をマウンドで見る事はなく気がつけばパンフレットの選手紹介に練習生扱いで載っていました。
シーズン終了後グランセローズから9選手が去りました。現時点では新戦力は未定ですがBCリーグに埼玉、福島の新規参入チームが増える事と今季NPBのドラフトで四国アイランドリーグの方に多数の選手が指名され上昇志向の選手はアイランドリーグに行くのではないか…という気がします。
グランセローズ関係者がよほどコネがないと有力な選手が来る可能性は少ないと思います。故に残った選手に対する期待が高まってくると思います。
井坂肇投手、野球を辞めて行った東大の仲間の分まで頑張って欲しいと思います。そして高卒後味わえなかった勝利の美酒に酔いしれまくって欲しいと思います。この冬しっかりトレーニングして大化けする事を期待しています。
2014年10月28日 Posted by プラネマン at 23:21 │Comments(0) │信濃グランセローズ
グランセローズ、三家和真選手、知成投手、仁藤敬太選手退団



三家和真選手は前所属が広島カープでした。まだ20歳でスイッチヒッターでNPB返り咲きも可能かと思いましたがほとんど見る事はありませんでした。
知成投手は新潟明訓高校から武蔵大学に進みました。篠田投手の後輩でしたが今季10回観戦した中で見た記憶がありませんでした。
仁藤敬太選手は専修大学から新卒で入団しました。独立リーグを渡り歩く選手もいる中で楽しみな選手でした。今季オリスタ開幕戦でタイムリーを打ったのが印象的でした。
3選手の皆様1年間お疲れさまでした。思う事はいろいろあるでしょうがグランセローズで培ったものを生かして新天地で活躍することを願っています。
2014年10月28日 Posted by プラネマン at 22:12 │Comments(0) │信濃グランセローズ
グランセローズ篠田朗樹投手、笹平拓巳捕手/分配ドラフトで退団


グランセローズからはその分配ドラフトで篠田朗樹投手が埼玉県に笹平拓巳捕手が福島県に移籍する事になりました。
篠田投手は昨シーズン抑えとしてリーグのセーブ王を獲得する大活躍しました。安定感がありもしかしたら育成でNPBから指名があるかも…と期待しましたが指名はありませんでした。
今季は安定感に欠け昨シーズンほどのインパクトはありませんでした。来季は先発に転向した方が良いかな?と思いました。プロテクトされていたと思っていたのでまさかの埼玉移籍でした。
篠田投手は埼玉県春日部共栄高校出身で原点回帰したのだな…と思いました。グランセローズは投手の駒不足の中で計算できる篠田投手の退団は痛いと思いますが年齢的に後がないので環境を変えてNPBにチャレンジして欲しいと思います。
グランセローズでは尾中捕手がマスクを被る事が多かったですが笹平捕手も出場機会は多かったと思います。尾中捕手の方が打撃センスが良かった分スタメン出場が多かったのではないか…と思いましたが福島に移籍して出場機会が増えると手強い存在になると思います。
今シーズングランセローズを支えてきた篠田投手、笹平捕手の退団は痛いと思いますが新天地で頑張ってBCリーグを盛り上げて欲しいと思います。両選手の今後の活躍に期待しています。
2014年10月28日 Posted by プラネマン at 16:20 │Comments(0) │信濃グランセローズ
元グランセローズ星野真澄投手巨人を戦力外に…


星野真澄投手は上場企業のバイタルネットを辞めて信濃グランセローズに入団、その後巨人軍に育成で入団した地元に縁のある選手だったので戦力外を知り残念に思いました。
僕は社会人野球も好きで観戦に行きますが社会人野球に興味を持ったばかりの頃星野真澄投手の試合を見た事がありました。
すでに廃部になったTDK千曲川との試合に星野真澄投手が先発した試合でした。味方が初回に4点リードしてくれたのにリードを保てず途中降板しました。長野県の縁のTDK千曲川を応援していたので星野真澄投手の乱調はラッキーでしたが球は速いのにダメだな…と強烈な印象を残しました。
その後星野真澄投手は地元のNTT信越クラブが都市対抗に出場した時に補強選手として呼ばれました。チームは2試合しましたが星野真澄投手の登板はなくこれでは補強選手の意味がないな…とその時は思いました。
社会人野球時代の星野真澄投手は西武の牧田投手が社会人だった時に所属していた日本通運の試合に先発して牧田投手と投げ合いましたがゲームを作れず途中降板してコールドゲームに近い有り様でチームは負けました。
バイタルネットを辞めてグランセローズに移籍した開幕戦を見に行きました。星野真澄投手に責任はないにしても群馬の野手が記録は内野安打でもエラーばかりしていてこんな所で勝った負けた言っても仕方ないな…と都落ちした感じがハンパなかったです。
常に星野真澄投手にはダメな印象がついて回りましたが巨人軍に育成で指名され頭角を現しました。社会人野球時代に上がれなかった東京ドームのマウンドに上がりオリンピックスタジアムの巨人戦では凱旋登板をして僕も星野真澄投手を見直すようになりました。
一時はケガで再び育成に落ちましたが今季はファームで45試合登板、3勝2敗で防御率は1・25で被本塁打0とまずまずの成績だったので今回の戦力外は意外でした。
故障しているのかな?とも思いましたが今後の進路は未定…とありプレーに影響がある故障なら引退するはずでその辺の情報が分からず気になります。
まだプレーができるのならぜひトライアウトを受けて欲しいと思います。出来たら楽天に入り活躍してくれたら個人的に嬉しいのですが…
星野真澄投手は高校時代はベンチに入れずグランセローズから育成で入団…と常に努力で道を切り開いてきた選手です。星野真澄投手のサクセスストーリーはまだまだ終わらず巨人を退団してからが本番だと思います。今まで道を切り開いてきたように新天地での活躍を願っています。
2014年10月28日 Posted by プラネマン at 11:55 │Comments(0) │信濃グランセローズ
楽天ドラフト2位、小野郁選手に二刀流構想…

結果は安楽智大投手他に有望な選手を獲得できました。2位の小野郁選手は投手ですがMAX153と期待できる他に高校通算25本のホームランを打ちパンチ力があります。楽天は右の大砲が不在なのでバッターとしても期待されているそうです。
大久保新監督は小野郁選手に二刀流を考えているそうです。この件で2CHの芸スポにスレが立ちました。色々と論議されていましたが共感できる意見がたくさんありました。自分の意見でなく申し訳ありませんが…
大久保新監督はすぐに変わった事をしたがる…
プロで成功するには運も必要だ…
楽天ファンは苦業の1年
ソフトバンクの松本選手も高校通算50本なのに投手1本で行くのに小野郁選手は大丈夫なのか…
松井投手も1年目は苦戦したのに二刀流させて大丈夫か…
大谷選手は190センチあり驚異の身体能力があるのに175センチの小野郁選手に同じような成果を望むのは無理ではないか…これらの意見に共感できました。
大久保新監督は西武時代の菊池雄星選手へのトラブル、18日間無休キャンプなど火薬庫でいつ爆発しないか心配しています。今年は我慢の年だと思いますが根性論で将来有望な選手を壊さないようにして欲しいと願っています。
2014年10月28日 Posted by プラネマン at 06:13 │Comments(0) │楽天イーグルス
和風パフェ380円/須商マーケット内教室レストラン臥竜




「須坂のいいモノ再発見」
須商の生徒が企画運営したオリジナル商品を扱う「くますぎ」
「刑務所作業製品の販売」など須坂市内のいろいろなお店とコラボして楽しい時間を過ごせました。
最後に教室レストランの「臥竜」でお茶にしました。臥竜は実際に使用している教室をレストランにしています。
メニューは須坂特産の味噌すきカレー、カツ丼の食事類の他に喫茶も兼ねています。
自分が学んだ教室に来るとここに確かに自分が存在した…という手応えがあり高校時代に思った叶わなかった夢、少しだけ叶ったものを見直し自分の原点に帰ったり明日への活力が湧いてきます。年に1度しか来れませんが僕の好きな場所が須商マーケット内の「臥竜」です。
今回は抹茶パフェ380円を頼みました。
バナナ、桃、さくらんぼ、抹茶のアイス、黒ゴマのアイス、白玉、小豆、コーンブレークといろいろなものが入っていた美味しいパフェでした。食べ終わると高校時代を回想していました。
僕は高校時代柔道部に入りました。当時金曜日8時から放送されていたプロレス中継に影響された…と思います。
校内に柔道場がなく東高校近くの市営柔道場を借りて顧問がいなくて自己流の練習でしたが…国体に行った中実の選手と試合をした時に有効をとり場内を騒然とさせ有効をとられた相手は試合後正座させられ「あんな雑魚に手こずると上には行かれないぞ!!」と渇を入れられているのをみると何か快感でした。
柔道部の先輩にプロボクサーがいた事を知りエピソードを聞いてボクサーや強さに憧れました。その後僕は進みたい分野が出来て進学希望になりましたが柔道部を通じて強さに憧れるようになり第1志望の進路が叶わなかったら格闘技を習ってみたい…と思うようになりました。
結果的には第1志望の夢は叶いませんでした。格闘技に関しては紆余曲折はありましたがある時に3歳年上のお姉さんに告白した事がありました。しかし「プラネマン君は悪い人じゃないけどちょっとね…私は強い人が好きなの…」と言われ一発奮起して格闘技を始めました。
その後僅か3戦で終わってしまいましたが…
西日本の格闘技の殿堂の大阪府立体育会館のリングで試合をしました。ライトが眩しかった事と人の血がマットに染み込んでいて飛行機の上から雲を見ているようでした。
2回目は吉本興行が主催で難波グランド花月の地下のディスコで試合をしました。難波グランド花月は高校の修学旅行で行った場所でクラスのみんなと集合写真を撮影しました。そこで試合をした事は格闘技に憧れた高校時代の夢が叶った瞬間でした。
もう1試合は山梨県の空手道場が格闘技の興業を行いプロレスを呼んで空手対プロレスの異種格闘技戦を行いました。その道場に障害を空手で乗り越えた選手がいました。その選手がグローブをつけてキックボクシングの試合に挑戦する事になり地元の放送局でドキュメンタリーが組まれ対戦相手に僕が選ばれました。
その選手と僕の試合がテレビ中継されました。結果は負けましたがプロレスのリングに上がれレスラーと同じ控え室にいて夢心地でした。
だいぶ長くなりマニアックな話になってしまいましたが古くはプロレスや強さに憧れた少年時代の夢が須坂商業に進学した事で叶った…と自分が学んだ教室で実感しました。
47歳になった現在は婚期を逃したり上手くいってない事もありますが自分が学んだ教室で夢と向き合ってみるともう一度熱く生きたいな…という希望がふつふつと湧いてきました。
須坂商業の名前は消えて校舎はどうなるか分かりませんが10代後半に須坂商業で過ごした事は自分の基盤になっているんだ…と感じた臥竜での一時でした。
2014年10月28日 Posted by プラネマン at 00:14 │Comments(0) │旧須坂商業、須坂創成高校
第75回須商マーケット










まずは昼時に混雑する前に六角堂でラーメンを食べて腹ごしらえをしてから「須坂のいいモノ再発見」コーナーに行きました。
須坂市内の名産品がたくさんありました。須商まんじゅうや団子などが販売され地元の専門学校と提携して日本酒のパッケージのデザインをお客さんに選んでもらう企画がありました。
体育館では玩具文具、お菓子スイーツ、バザー、家電品、スポーツ品、刑務所作業製品などの販売がありました。
バザーでは須坂商業のマグカップが10円で販売されていました。
刑務所作業製品としては「長野監獄」と書かれたメモ用紙と折り紙を買いました。
お菓子スイーツでは地元の須坂学園さんで製造されたラスク等を買いました。
くますぎという須坂商業の生徒が企画した商品の販売がありました。「村山さんちのゴボウスープ」と「もっちりケールおやき臥竜金箱煮玉子」を買いました。
ゴボウスープはまだ食べていませんが煮玉子は臥竜公園で販売されているおでんの玉子をおやきの皮でくるんだ美味しいおやきでした。すごい企画力だと思いました。
表には自動車の販売、植木、青果の販売がありました。僕の高校時代は部活単位で分かれ柔道部だった僕は3年間植木を販売しました。僕が卒業してしばらくして柔道部は廃部になりました。植木コーナーには女子高生がたくさんいましたが自分は30年前に植木を売っていたんだよ…とニヤニヤしながら話そうかと思いましたがキモいと思われても嫌なので黙っていました。
ジュリアンという花を買いました。僕が高校時代にチェッカーズのジュリアンにハートブレイクという歌が流行ったのを思い出したからでした。
イベント会場では信州プロレスが行われていました。2階に行き教室レストラン臥竜でパフェを食べました。中庭には屋台処蔵町があり焼きそばなどが販売されていました。ラーメンとパフェを食べた後ではお腹がきつくてあきらめました。
自販機がありました。パンと缶ジュースと紙コップのものでした。僕の高校時代は紙パックのジュースが60円で販売されていた記憶があります。最後に玄関の横のトロフィーを見て帰りました。たくさんのトロフィーに学校の歴史が刻まれているようでした。
僕が入学したのが1983年でした。それ以前は普通の高校のような文化祭をしていたようでしたが僕が入学した年から授業の一環で実習販売として行われました。
僕は正直な話で長商デパートのパクりみたいで乗り気でなかったですがくますぎのオリジナル商品や刑務所や地域との密着した販売など須商マーケットは巷のディスカウントストアと違う須商マーケットに来なければ味わえないオリジナルなものになっていたのは驚きでした。
校門から出ると来年もここで須商マーケットが行われるような気がして統合の実感はありません。75回の歴史で須商マーケットが終わってしまうのは残念ですが統合後のバージョンアップした新しい歴史に期待したいと思います。
すべての買い物の写真を載せられず残念ですが写真の最後の校舎は僕が入学した当初の校舎を卒業アルバムから載せてみました。
2014年10月27日 Posted by プラネマン at 20:45 │Comments(0) │旧須坂商業、須坂創成高校
フジ会館・14年7月31日で閉店/須坂市駅前通り


須坂駅と駅前を散策してから去年も須商マーケットの帰りに寄ったフジ会館さんに行ってみました。フジ会館さんは僕が高校生だった30年前には建物の5階で食堂を営業していてエレベーターで昇っていくのが楽しみでした。
フジ会館さんのなると巻きが1枚だけ入っていた素うどん150円が好きでした。食堂はかなり前にやめた事は知っていましたが去年はフジ会館さんで買い物をしたので今年も買い物をしようと思いました。
いざフジ会館さんに着くとシャッターが降りていて閉館した事を知りました。普段から利用しているお店ではありませんが古くからあるお店が閉店するのは一抹の侘しさを感じました。
近くの須坂ショッピングセンターに行きました。去年は同施設の果物屋さんで買い物をしましたが今年も行ってみるとシャッターが下ろされていました。去年はお寿司屋さんが営業していていつか行ってみたい…と思いましたがお寿司屋さんのシャッターも閉まっていました。
前々からシャッター通りと化していた須坂ショッピングセンターでしたが1年間でその流れがさらに加速した感じでした。
そこから須坂ハイランドに行ってみました。高校時代にはバンバンというゲームセンターがあり知った顔を良くみました。ゲームの音が響きわたり若い人もたくさん出入りしていましたが様相がすっかり変わっていてゲームセンターを思い出させるものがありませんでした。
当時須坂にはバンバンとショッピングセンター内にあったナムコというゲームセンターの他に須坂駅近くにプレーバックというゲームセンターがありました。当時はボスコニアンやギャラガを好んでプレーしました。
ゲームセンターには部活仲間と行きました。僕は鬼無里から来たのでゲームセンターは珍しくハマってしまい電車の定期券のお金をゲームセンターで使いしばらくの間自転車で長野市から須坂まで通いました。
プレーバックには軽食コーナーがあり部活仲間がよくカレーライスを食べていました。ナムコ、バンバンと回ったのでプレーバックにも行ってみましたがそれを思わせるものはありませんでした。
去年も須商マーケットの帰りにフジ会館さんとショッピングセンターに寄ってみました。日々の生活の中で忘れていましたが時代の移り変わりを目にして思い出の中に居場所を探してはいけないな…と感じた事をブログに書いた事を思い出しました。
フジ会館さんでうどんを食べたい…プレーバックで部活仲間が上手そうに食べていたカレーライスを食べたい…バンバンでゲームをしたい…
それらが残っていればいくらでも楽しめば良いのですが無くなってしまった思い出の世界に居場所を求めても時は流れているので同じものを得られない…たがら現実に適応して生きて行くしかないと改めて思いました。
30年の時間の流れの早さや時の移り変わりを感じた須坂商業界隈の散策でした。現在あるものが思い出になる前に楽しむだけ楽しむようにしたいと思いました。須坂商業も新しく生まれ変わるように僕も古い殻を破っていかなければいけないと感じた須商マーケットと学校界隈の散策でした。
2014年10月27日 Posted by プラネマン at 12:42 │Comments(0) │長野市周辺、閉店閉館
平安堂須坂店/長野電鉄須坂駅前


最初に須坂駅に行った後で須坂駅前にある平安堂須坂店さんに行ってみました。
僕は長野市から須坂駅まで電車通学をしていましたが学校から駅までの通学途中に平安堂須坂店さんがありました。
当時は週間ジャンプを愛読していて「北斗の拳」「聖闘士星矢」「男塾」「ウイングマン」「キン肉マン」「きまぐれオレンジロード」「あぁ一郎」ボクシング漫画の「KID」が好きでした。
平安堂須坂店さんは入り口の横に山積みにされたジャンプが置かれたテントが出され多くの高校生が立ち読みをして賑わっていました。
僕は週間プレイボーイも購読していて平安堂さんで買って帰りの電車で読んでいると付属中学の生徒が興味深そうに覗いていました。インターネットが普及した現在とは違い雑誌のグラビアが中高生に与える影響が強い時代でした。
僕は当時は進学希望だったので参考書のコーナーによく寄ってみたり金曜日夜8時からプロレスが放送されていてプロレス雑誌を立ち読みして平安堂須坂店さんは高校時代の僕にとって馴染み深いお店でした。
現在は雑誌類はコンビニで立ち読みをして済ませていますが僕が高校生の頃は現在ほどコンビニが発達しておらずインターネットも普及しておらず電車通学で本を読む余裕があり現在よりも書店が身近な存在でした。
高校時代に親しんだ平安堂須坂店さんに約30年振りに寄ってみました。入り口の横にテントはさすがにありませんが何か発見がありそうでウキウキしながら店内に入りました。
店内に入ると第一印象はこんなに狭かったかな…でした。今年も後2ヶ月で日記や手帳の販売スペースが大きかったですが雑誌が中心でドラマ化される流行りの本が多く僕が高校生の頃に比べ店内のレイアウトがかなり違っていました。
娯楽の多様化やインターネットの普及による活字離れ、少子化による市場の縮小…
クルマ社会になり駐車スペースの狭い駅前に行かなくなり人の流れが変わったこと…など平安堂須坂店さんは時代の変化をモロに受けてしまった感じがしました。
せっかくなので新聞の見出しで見た三原じゅん子議員と元巨人軍の水野氏の金銭トラブルを書いた週間文春を買いましたが410円しました。
増税や不景気で収入が減って財布の紐が固くなって行く中で410円は高いな…と感じました。毎週買えば1ヶ月で約1600円で缶コーヒーが2週間分、ラーメン2杯分になり1冊200円位ならまだしも500円近いと気軽に週刊紙も買えなくなったことも平安堂須坂店さんにとって逆風になったと思います。
僕が高校生だった30年前と社会情勢がすっかり変わってしまいましたがそれでも30年間同じ場所にお店を出している平安堂須坂店さん…どうか時代の流れに負けないで頑張って欲しいと思います。
2014年10月27日 Posted by プラネマン at 10:23 │Comments(0) │長野市周辺イベント、スポット
ながでん駅なか商店/長野電鉄須坂駅内






楽しさや懐かしさが入り交じった有意義な時間を過ごせました。しかしもう須坂商業に来ることもないのか…と思うと最後に学校界隈を散策して帰ろうと思いました。
手始めに須坂駅に行ってみました。僕は高校時代に長野市から須坂駅まで電車通学をしていました。
以前屋代線廃線にあたり須坂駅から屋代線を乗った事がありましたがそれ以来の須坂駅でした。
あの頃はまだ駅ビルのテナントにラーメン屋さんがありましたが今回行った時はもぬけの殻のようにテナント募集の看板が出ていました。僕が高校生の頃はテナントにラーメン屋のポッポさんがあった事を思い出しました。
階段を登り切符売り場に行くとこんなに狭かったのか…と思いました。高校卒業後は東京や大阪で暮らして電車が普通に日常生活になっていた時期があったので須坂駅の規模や駅の周辺の人気の無さに卒業後の時間の長さを感じました。
切符売り場や改札口の前のスペースに「ながでん駅なか商店」の幟が出ていました。以前屋代線廃線で須坂駅を利用した時は金曜日夜で乗車が目的だったので気にはとめていませんでしたが時間があったので寄ってみました。
長野電鉄沿線の名産品や須坂市の農家の栽培した野菜や果物を販売していました。生産者がはっきりしていて近年食品偽装や中国産が多い中で好感がもてました。欲しいものはたくさんありましたが…
須坂産の王林というリンゴとカリフラワーが100円、
味噌汁用に須坂産の白玉麩が100円、
しめじのせんべいが110円と良い買い物ができました。
王林は美味しく母親がもっと買ってくれば良かった…と言っていました。白玉麩もキャラクターが可愛くて良かったです。しめじせんべいも長電限定パッケージで鉄道好きやお土産ものとして喜ばれると思います。
ながでん駅なか商店は良い企画だと思いますが電車が到着する度に降りて来る人や乗って行く人があまりいなくて淋しく思いました。
須坂市には美術館が多くメセナホールでは素晴らしいイベントがたくさん行われていますが駅から遠く長野市から片道540円を使い来るには利便性が悪いと思います。
駅前が閑散としているのが気になりました。この日は須坂商業の生徒は昼間須坂駅は利用しないとしても中高生は足がないので電車利用が多いはずですがその中高生をほとんど見かけませんでした。
僕が高校生の頃は日曜日の部活帰りで須坂駅を利用すると部活帰りの生徒や中高生がたくさんいて活気があった気がしました。少子化で全般的に子供の数が減っているのかもしれませんが約30年振りに須坂駅を利用すると寂れた感じがハンパない気がしました。
僕は鉄道マニアではないのでマイカーが1人1台の時代に電車で須坂駅に来る事はないと思いますが長電と須坂市が協力して時代の流れに負けない魅力ある駅前の町作りをして欲しいと思いながら帰りました。
2014年10月27日 Posted by プラネマン at 06:41 │Comments(0) │長野市周辺イベント、スポット
グルック「精霊の踊り」/王妃マリーアントワネットが愛したオペラ/NHK らららクラシック

毎回クラシック音楽の名曲を1曲特集します。今回はグルックの「精霊の踊り」でした。毎回クラシック音楽ファンのゲストが登場しますが今回はタレントのクリス松村さんが出演しました。
番組は3つのテーマで進行しました。最初のテーマは「オペラを変えたオペラ」でした。
まず始めに文豪森鴎外のこの曲に対するエピソードから始まりました。ドイツ留学中にオペラを見て舞台の様子を漢文でメモした様子が紹介されました。
1762年にオペラ「オルフェオとエウェリテーチェ」がウィーンで初演されました。当時のイタリアオペラはカストラートと呼ばれる去勢した男性が主流でした。
カストラートの歌謡ショーになっていて歌手至上主義をグルックは行き過ぎに感じていました。当時のイタリア語のオペラは歌手の喉のテクニック頼りだったり型にハマっていたりしましたが歌手とコーラスが交互に歌うなどドラマチックな展開にしました。
カストラートの喉のテクニックに頼らない音楽と劇が融合した骨太で斬新なオペラになりました。日本では1903年明治36年で東京芸術大学で初演されオーケストラの代わりにピアノ伴奏で行われ後に国際舞台で活躍をした三浦環さんが出演しました。
第2のテーマは「グルック先生のために」でした。
マンガのベルサイユの薔薇の中にグルック先生が登場する場面があり王妃マリーアントワネットとグルックの関係の深さを知るエピソードを表しています。
グルックは音楽家を志しましたが親の反対にあい押しきって家出しました。旅から旅を重ねてましたがウィーンで結婚、妻の縁で宮廷の仕事をするようになりマリーアントワネットの音楽教師になりました。
その後ウィーンでオペラが好評になるとパリでの成功を目指すようになりました。アントワネットはパリに嫁いでいましたがワルツのオペラを嫌う宮廷の人々を説得させ上映の機会を得ました。パリ上演に対して「精霊の踊り」を書き加えました。
グルックとアントワネットはお互いに認めあい良い方向に持っていきあいました。グルックは6000リーブルの年金を授かり60近くで音楽家として成功しました。
マリーアントワネットはウィーンの宮廷に世継ぎ問題を書いた大事な手紙を託した事がありマリーアントワネットとグルックの関係の深さを知るエピソードの紹介がありました。
第3のテーマはフランスでバージョンアップでした。
1762年のウィーンで初演されたパターンをAとすると1774年にパリで上演されたパターンはBが加わりA+B+Aで上演された…と解説がありました。
Aは安心感、温もりがありへ長調で表されBは二短調で表された…と解説がありました。ヴァイオリンが演奏するメロディは黄泉の国の川の流れを表している…と解説がありました。
最後に東京フィルハーモニーの皆様の演奏で締めくくられあっという間の30分が終わりました。
親の反対を押しきってまでも進んだ音楽の道で成功してあっぱれなグルックでした。グルックが先に亡くなりマリーアントワネットの処刑を見なかった…というのも歴史の深さを物語るエピソードになったと思います。クラシック音楽の深さを知った番組でした。次回はバッハのゴールドべるく変奏曲でどんなエピソードが聞けるか楽しみです。