ドックカフェ クラーレオープン

僕は毎月27日を愛犬の日として食卓に刺身と季節の果物を添えて盛り上がっていましたが自分ばかり盛り上がっていて愛犬には何もしてあげなかったな‥と気付きクラーレさんが新規オープンしたと聞き愛犬を連れて行ってあげようと思いました。
クラーレさんの新しくオープンしたお店はヤングファラオ近くの南俣の信号と西友やアメリカドラッグの中間にあります。駐車場がそんなに広くなく周辺道路も交通量が多く以前店舗のあった広徳の方が広々としたイメージがありましたがお店の中に入って見ると思ったより奥行きがありました。
クラーレさんは犬と同伴出来て犬用の食事メニューがあるのが魅力だと思います。今回は僕はイチゴシェイク400円を愛犬はベリーと豆乳のモンブラン480円をいただきました。モンブランは美味しかったようで愛犬はあっという間に食べてしまい寛いでいました。
僕は45才独身子無し、同じ位の年の人には高校生位の子供がいて進路がどうした‥とかいう話を聞くと肩身が狭くなる思いがします。婚期を逃した後悔や独り身の不安を思うと自分がいけないにしろ過去の悔恨と未来の不安に挟まれて憂うつになりますが不思議な事に僕が落ち込んでくると愛犬は僕の気分が分かったかのように寄ってきて癒してくれます。
以前お互いのブログを訪問したりコメントをやりとりをしたブロガーがいました。そのブロガーが愛犬家を馬鹿にするブログ記事を書いて以後僕のブログに訪問しなくなりました。基本的に来る人は拒まず去る人は追わずが僕のブログスタイルで僕のブログに足跡があったほとんどの人が訪ねて来なくなるのでそれはいいのですが関係ない犬を馬鹿にされて言い返してやろうかな?と思った事がありました。しかし愛犬を見ているとそんな事はどちらでもいいじゃないか‥と思うほど愛らしいです。
クラーレとはイタリア語で「癒す、〜をしてあげる」という意味だそうです。僕もどれだけ癒されて励まされているか分からない愛犬を癒したりご馳走してあげたくてクラーレさんに連れてってあげたいな‥と思いました。これからもクラーレさん長野市周辺の愛犬家の癒しスポットとして盛り上がって欲しいと思いました。
2012年06月30日 Posted by プラネマン at 17:56 │Comments(0) │ドッグサロンクラーレ
極真空手長野県選手権94〜95

僕は市役所前駅の長野駅側の改札口を利用していました。夜に駅を出るとバービルなど飲み屋さんが賑やかだった印象がありますがすっかり寂れていた感じでした。パチンコ屋のパレスや書店もありもっと人の出入りが多かった気がしましたが時の移り変わりを感じました。散策を続けていると実戦空手の極真会館長野支部の道場を見つけ懐かしく感じました。僕は通学の時極真会館さんの道場の前を通っていました。中御所に移ったと思っていたので驚きでしたが道場の入っているビルの外観に年季が入っていてこの場所で僕が高校生の頃から鍛練が続けられていたと思うと感動的でした。高校時代より憧れていた極真会館さんの思いを書いてみたいと思います。
僕は高校生の頃渡辺次郎選手のプロボクシングの世界戦を見て打撃系の格闘技に興味を持つようになりました。高校の同級生が「これは凄いぞ!」と言って極真空手のオープントーナメントのビデオを見せてくれました。後にキックに転向した竹山晴友選手が準優勝した大会で中村誠選手が引退、三瓶啓二選手が出場しましたがまだ10代だった新星敷島和章選手に敗れ三誠時代が終わりを告げた大会でした。小笠原和彦選手の華麗な足技は素晴らしく何発打撃を食らっても怯まない打たれ強さが印象的でした。当時ハイキックで顔面を蹴るという概念がなかったので衝撃的でした。このビデオを見てから通学路にあった極真空手に興味を持つようになりました。部活を引退した高校3年生の夏に見学に行きました。支部長の藤原康晴氏が率先して気合いの入った稽古をしてい
たのが印象的でした。稽古は週3回月謝5千円だった気がしました。当時僕の小遣いは3千円で資金調達が出来なかった事や進路が決まってなかったので入門を諦めましたが志望大学に入学する、極真空手かボクシングを始める、旅を沢山する事が僕の当時のメインテーマになりました。
紆余曲折があり21才で専門学校に入学してボクシングジムに入門しました。ボクシングジムの方が空手道場より月謝は高かったですが風呂なしアパートに住んでいたためにボクシングジムにはシャワーがあるという理由でボクシングジムに入門しました。しかし当時はUWFが出来たばかりで東孝氏が大道塾を始め空手に顔面パンチを導入した頃でK-1もまだ無く総合格闘技が生まれたての頃でした。そんな中で競技体系がしっかりしていて全国各地に道場があり層の厚かった極真会館さんの格闘技界に与える影響はとても大きかったです。
僕は実際に極真会館さんの1989年の全日本選手権を見に両国国技館に行きウエイト制を大阪府立体育会館で見て神戸で開催された極真会館の全関西選手権を見に行きました。長野県では94年に松本で95年に長野市で開催された長野県選手権を見に行きました。15年以上前で詳しい試合内容は覚えていませんが長野県支部長の藤原康晴氏の演舞は素晴らしかったです。藤原康晴氏は30代になっても大会に出場を続け無差別級の巨漢空手家と真っ向勝負しているのを機関紙パワー空手で見た事がありました。僕が高校生の頃見学した時率先して稽古していた事を思い出し感動した記憶がありました。藤原康晴氏は後ろ回し蹴りでブロックを粉砕しました。現役を引退しても鍛練は怠っていない事を感じ素晴らしく思いました。
相撲、レスリング、ボクシング、キックなど裸体の格闘技は競技を引退すれば終わりで生涯スポーツという印象を感じませんが大山倍達総裁の千日をもって初心として万日をもって極めとする‥言葉は生涯修業の空手道の本質を表していて藤原康晴氏の演舞を見てその言葉を体得しているな‥と感じました。長野県選手権を2回見て試合の結果が全てではない極真空手の素晴らしさを藤原康晴氏から感じました。。
大山倍達総裁死後極真会館さんも分裂を繰り返し格闘技好きとしては残念に思いますがK-1、プライドと興業格闘技が何も残らなかった中で武道空手として極真会館さんが格闘技界や世の中に強い影響を与えてくれる事を願っています。
2012年06月29日 Posted by プラネマン at 06:11 │Comments(4) │格闘技の話題
長野県内ユースホステル13宿泊

公開から28年、改めてメインテーマを見ると挿入歌スローバラードを背景に野村宏伸さんが旅をする場面に胸が熱くなりました。僕は結果的には全国41都府県を旅しました。劇中の野村宏伸さんとは旅のスタイルが違いましたが旅をしたかった‥という少年時代の夢が叶ってその点に対しては良かったと思います。僕の旅のスタイルはユースホステルという簡易宿泊施設を利用する旅のスタイルでした。僕がユースホステルを利用していたのは前に勤務していた会社を退職して気晴らし旅行に行った1999年まででした。メインテーマを見てから旅の原点だったユースホステルが気になって検索してみました。僕が利用していた頃に比べユースホステルは激減していてユースホステルの空白県がありユースホステルとユースホステルを繋いで旅をする‥というスタイルが出来ない地域が増えて寂しく思います。そんな中で長野県のユースホステルは衰退が全国的に見てまだ少ない方で頑張っているユースホステルが多く好感がもてました。僕のユースホステル利用は136泊で長野県内は13
泊でした。13泊を振り返ってみたくなりました。
1994年5月に松本市の浅間温泉ユースホステルに泊まりました。これは僕の27回目の誕生日を兼ねてのものでした。食事提供などなく素泊まりでした。館内に風呂は無く共同浴場をはしごしました。特別に宿泊者との交流は無かったですが外国人を中心に宿泊者は結構いました。95年2月に上田市の上田まほろばユースホステルに泊まりました。旅先で評判が良かったので週末にぶらっとした感じで寄ってみました。クロスカントリースキーツアーがあり別行動で帰りましたが別所温泉をはしごしました。95年のクリスマスに2泊、立科白樺高原ユースホステルのスキーツアーに参加しました。レベルごとに分かれたスキー教室やクリスマスパーティー、ビデオを使っての技術指導を兼ねたミーティングなど楽しかったです。96年5月には木曽旅情庵ユースホステルに泊まりました。当時好きだった女の子の誕生日プレゼントを買いに渥美半島に行きました。メロンのお菓子やグッズを買いに渥美半島まで行きその基地に木曽旅情庵に泊まりました。シーズンオフでしたがお客さんが男
ばかりで10人以上いてアットホームな雰囲気でした。96年夏に青木村の富士屋ユースホステルに宿泊しました。隣の観光ホテルの温泉が利用出来ました。花火大会をしていましたが山が邪魔で音だけ聞こえていました。
97の1月末クロスカントリースキーツアーに2泊参加して菅平牧場に行きました。クロスカントリースキーは楽しかったですが常連さんが仕切っていて後味の悪さもありました。3月には場所を変えて白樺湖ユースホステルの霧ヶ峰クロスカントリースキーツアーに参加しました。今回は幅を効かせる常連がいなくて楽しかったです。ツアーの後で経営者の奥さんがパイを焼いてくれ美味しかったです。97年11月に上田まほろばユースホステルで2泊ユースホステル初級指導者講習会に参加しました。ユースホステルに対する思いを語ったりネイチャーゲームをして楽しかったです。98年5月に小諸ユースホステルで歌手の新井英一さんのライブがありました。ユースホステルの食堂でライブが行われ盛り上がりました。6月には飯山市の戸狩観山荘ユースホステルに泊まりました。飯山市ロードレースに参加した時ついでに泊まってみました。お客さんは僕しかいませんでしたが館内には温泉があり食事も自家製のお米に竹の子料理と宿泊代以上の価値はありました。
長野県内のユースホステルで人があまり経験出来ない事をさせてもらい感謝しています。娯楽の多様化や宿泊施設の多様化などユースホステル業界には逆風が吹いていますがユースホステルの灯が消えないように県内のユースホステルには頑張って欲しいと思いました。
2012年06月28日 Posted by プラネマン at 05:59 │Comments(0) │ユースホステル、旅
第83回都市対抗野球日程決定

今大会長野県チームの参戦はありませんが北信越地区代表として富山県の伏木海陸運送が千葉県のJFE東日本と対戦します。都市対抗野球には補強制度があり同じ地区より3選手補強でき長野市の信越クラブから高橋選手が補強選手として選ばれました。高橋選手は信越クラブの他のメンバーの分まで頑張って欲しいと思います。
他に県関係者では上田西高校卒業の倉又選手が所属するJX-ENEOSが初出場の名古屋市ジェイ、プロジェクトと対戦します。居酒屋で働きながら野球に打ち込むジェイ、プロジェクトにも頑張って欲しいですが倉又投手が登板する事に期待したいと思います。松本工業から甲子園に出場した柿田投手の所属する日本生命は四国銀行と対戦します。中々登板機会のない柿田投手ですが東京ドームで甲子園の忘れ物を取り返して欲しいと思います。
個人的に注目しているカードは開幕戦JR東日本対王子製紙の一戦です。主力がプロ入りしましたが層の厚さは健在で4月に開催された社会人野球長野大会ではタイブレークで敗れはしましたが準優勝の強豪です。地元の大応援団を背に活躍する事を期待しています。対する王子製紙も優勝経験のある強豪で勢いに乗れば大躍進すると思います。開幕戦から好勝負が予想され楽しみです。
長野大会で優勝した東邦ガスは東芝と対戦します。東芝ガスは長野大会ではワイルドカードから決勝トーナメント出場、接戦を制して優勝しました。東芝は優勝経験のある強豪ですが東邦ガスは持ち前の粘り強さで頑張って欲しいと思います。
仙台の七十七銀行は大阪市のNTT西日本と対戦します。NTT西日本は関西を代表する強豪ですが七十七銀行も長野大会では混戦を制して決勝トーナメントまで出場した運の強さや粘り強さがあるのでトーナメントをかき回して欲しいと思います。プロ野球に何人も選手を送り出している強豪トヨタ自動車は北海道代表のJR北海道と対戦します。JR北海道は横浜や巨人で活躍した門倉投手が補強選手として参戦します。ベテランの切れ味を期待したいと思います。
ベスト8はJR東日本、ホンダ、ヤマハ、NTT西日本、パナソニック、エネオス、NTT東日本、JR九州と予想しますが盛り上がった大会になって欲しいと思います。
2012年06月27日 Posted by プラネマン at 05:39 │Comments(0) │社会人野球
メインテーマ28年ぶり劇場上映

「メインテーマ」は僕が17歳の頃の作品ですでに廃館になった須坂映劇で見ました。主演の薬師丸ひろ子さんは当時角川3姉妹として売れっ子でした。そんな薬師丸ひろ子さんが20才になり自分探しをする映画でした。僕は当時進路について悩んでいたので自分探しをしていた薬師丸ひろ子さん演じる小笠原しぶきに励まされました。他人のこの映画に対する評価は違うとは思いますが映画を何本も見れない小遣いの中でやりくりして見た映画であり子供向けのアニメ映画などを抜かすと初めて自分の意志で見たいと思った映画で思い入れが深い作品です。メインテーマは当時コマーシャルでもよく宣伝されていて南国のスコールに濡れる薬師丸ひろ子さんが印象的で大人になった時メインテーマを見てみたいと思いました。その時何を感じるだろうか‥と当時高校生だった僕は考えていました。ケーブルテレビを契約した時メインテーマが上映されていたのでオプションの番組も契約してメインテーマを見た事がありますがそれも10年くらい前の話で高校時代に見た映画を見て何を感じるの
か?楽しみでした。
僕がメインテーマに影響を受けたシーンは相方の野村宏伸さんがマジシャンの修業をしながら全国を旅した場面や沖縄で自分探しをする場面、桃井かおりさんのジャズを歌う場面などが印象的でした。久しぶりにメインテーマを見ると奥さんがいる財津和夫さんの家に薬師丸ひろ子さんが泊まりに行くのは不自然だし劇中財津和夫さんは奥さんの元に寄生しながら桃井かおりさんや薬師丸ひろ子さんと3股をしてけしからん!と高校時代と違う感想を持ってきました。財津和夫さんが夜中にドライブに行ったり沖縄などに頻繁に行っているのは今の時代考えられない気がしました。前半の人間模様を見るとあれ?と思う事もありますが小笠原しぶきが神戸から沖縄に向かう時挿入歌の「スローバラード」が流れてきた時は身体が熱くなってきました。
劇中野村宏伸さんがスローバラードをバックミュージックに各地を旅するのが格好良く見えました。僕は41都府県を旅して一泊以上しましたがやはり原点は野村宏伸さんだと思うのでスローバラードを聞きながら少年時代の旅をしたいという願いは叶って良かったと思いました。
前半はあまり面白くなかったですが沖縄に舞台が移ってから見応えがありました。小笠原しぶきがビーチで1人でいてそこにカップルが来てバツが悪い思いをした場面がありました。先日プロ野球を見に行きました。試合は面白かったですが1人で見に来ていた人はほとんどいなくて淋しい思いをしました。小笠原しぶきも海は綺麗だったけど1人で淋しかっただろうな‥とリアルタイムで見た時感じなかった点に注目していました。
桃井かおりさんと薬師丸ひろ子さんがレストランで話をする場面がありました。「セクシーになるってどういう意味?」と薬師丸ひろ子さんが聞き「頭を空っぽにする事」と桃井かおりさんが答えていました。僕は婚活をしていましたが上手く行かず諦めていました。「頭を空っぽにする」と聞いて年齢的にもうダメだ!いい出会いがない‥など否定的な考えから頭を空っぽにして来た縁に全力をかければいいと思いました。
ラストシーンが良かったです。僕は趣味で作詞をしていますが「君の誕生日には君の行った事のない海に行こう‥」という歌詞を作りましたが少年時代に見たメインテーマが知らず知らずに影響を与えていた事に気がつきました。
僕がリアルタイムでメインテーマを見て自分のメインテーマは志望大学に入る事だと思いました。残念ながら志望大学には入学出来ませんでしたが第2志望の各地を旅するという事と第3志望の格闘技をするという事は充分に叶ったと思います。今から大学に行くのは無理でこれに関しては青春の忘れ物を取り戻せませんが婚活成功は無理にしても女性と彼女が行った事が無い海に行ってみたいと思いました。それが僕のこれからのメインテーマだな‥と思いました。人は笑うかもしれませんが未だに夢の途中だな‥と28年ぶりにメインテーマを見て思いました。
人によって思い出の映画とは違うと思いますが見る人に青春時代を思い起こさせる名画特集に期待しています。
2012年06月26日 Posted by プラネマン at 06:21 │Comments(0) │長野ロキシーさん上映映画
二胡に魅せられて 高山賢人

高山賢人さんの二胡の他にギターとピアノの演奏家の方も加わり演奏会が始まりました。オープニングは映画タイタニックのテーマ曲「MY HEART WILL GO ON」が演奏されました。続いて「虹の彼方へ」「ひまわり」「花」が演奏されました。二胡の神秘的な音色で聞く「ひまわり」はホロッとしました。題名は忘れましたがプログラムに無いアップテンポな曲を演奏されました。
ギターコーナーとしてピアノは休み二胡とギターで谷村新司さんの「スバル」「いい日旅立ち」が演奏されました。二胡の音色で聞くいい日旅立ちはロマンチックでした。続いて二胡の代表曲「空山鳥語」が演奏されました。この曲は二胡の代表的な曲で野外で演奏すると鳥が来る事があると言っていました。続いて「となりのトトロ〜さんぽ」「情熱大陸」「JIN」「川の流れのように」と馴染みの曲が演奏されました。
最後に二胡の代表的な曲「賽馬」が演奏されました。アンコールで題名は聞き逃しましたが中国の二胡の代表的な曲とフィギュアスケートの浅田真央さんが使用した曲が演奏されあっという間にコンサートは終了しました。二胡の神秘的な音色に癒された一時でした。これで入場無料とは申し訳ないコンサートでした。高山賢人さんをはじめギター、ピアノの演奏者の皆様素晴らしい演奏会をありがとうございました。皆様のこれからの活躍を願っています。このような素晴らしい機会を与えてくれた篠ノ井公民館のスタッフの皆様もありがとうございました。このような素晴らしいイベントの開催を期待しています。
2012年06月25日 Posted by プラネマン at 05:11 │Comments(0) │コンサート
フルートアンサンブルながの21

フルートアンサンブルながの21さんは平成11年にフルートの普及と向上、メンバーの親睦を目的に設立されプロ、アマチュア、年齢を問わず現在30名余で活躍しているそうです。個人的には長野もんぜんまち音楽祭でフルートアンサンブルながの21さんの演奏を聞き去年の長野市民吹奏楽団さんの演奏会にゲスト演奏していたのを聞きフルートの音色に魅せられました。アンサンブルバームクーヘンさんの演奏会で代表の中野清史氏がゲスト出演して素晴らしいフルートの音色を奏でていました。開催を知りぜひ行ってみたいと思いました。
演奏会は夕方の5時半からの開始でした。土曜日出勤だったので途中からの鑑賞でした。会場は満員でかろうじて一番後の席に座れました。フルートの愛好者やファンが多い事を実感しました。
5曲目七瀬あゆこ氏の『わらべうたファンタジー「ほたる」』からの鑑賞でした。ほたるの歌のメロディで曲を演じていましたがフルートの音色を聞きながらホタルの幻想さを想像すると素敵な気分になりました。前半最後の曲でドビュッシーの小組曲より「小舟にて」「行列」「メヌエット」「バレエ」が演奏されました。ピアノで二人4手で演奏される曲だそうですがフルート3パートとピアノで演奏されました。
後半は中学生5人のジュニアアンサンブルのメンバーが加わりドボォルザークのユーモレスクとゴセックのガボットが演奏されました。聞いた事がある曲で一般の人も聞けば思い出す曲だと思います。フルートを通じて年代を超えて1つになれる事は素晴らしいと思いました。
続いて八木澤教司氏の「テルミニ」が演奏されました。テルミニとはローマ中央駅という意味だそうで作曲家の八木澤教司氏がイタリアを旅した時に作曲したそうです。続いて藤井修氏の「綾渡り」が演奏されました。日本的なメロディでフルートが日本的曲調を奏でるのが興味深かったです。続いてヴィバルディーのフルートコンチェルト二長調「ごしきひわ」が演奏されました。
最後にヘンデルの「私を泣かせてください」が演奏されました。この曲を演奏したのは代表の中野清史氏が故本田美奈子さんのアルバムを聞いて感激した事がきっかけだそうです。本田美奈子さんは僕が高校時代にアイドル歌手として活躍していましたがアイドル歌手時代から歌唱力は評価されていましたがアイドル歌手とは違う世界で研鑽を積んでいたのは驚きでした。音楽は時空を超えて人々に感動を与えるものだと中野清史氏の話を聞いて感じました。中野清史氏は祈りに似た曲調だと言っていましたがそう感じた素晴らしい曲でした。
アンコールに荒井由美さんの「やさしさに包まれたなら」がこの日演奏した全ての演奏家によって演奏されました。土曜日出勤の疲れがとれ梅雨空を吹き飛ばすような素晴らしい演奏会でした。この日演奏された皆様お疲れ様でした。皆様の奏でるフルートの音色により世の中が癒されていく事を願っています。
2012年06月24日 Posted by プラネマン at 12:07 │Comments(0) │コンサート
巨人対燕 オリスタ 12年6月

この日は7時頃エムウェーブに着きそこからシャトルバスでオリスタに行きました。バスの乗客は親子連れなど8人でした。7時半頃球場に到着しました。レフト側外野席に若干の空席がありましたが2階席上段まで観客でびっしりで圧倒されました。僕は毎年オリスタに10回位野球観戦に来ますがここが本当にオリスタか?と思うほどたくさんの人が集まっていました。
試合は6回裏ヤクルトが2対0でリードしている場面から観戦でした。7回表巨人ピッチャー内海投手から福田投手に交代、2死から四球、ヒットで1、2塁バレンティ選手の3ランが出てヤクルトが5対0と5点リードになりました。巨人ピッチャー福田投手から高木投手に交代しました。
7回裏巨人は先頭打者村田選手が2ベース、阿部選手ヒットで1、3塁、高橋選手内野ゴロの間に1点返し5対1、エレガー選手ヒットで再び1、3塁、谷選手のレフトに抜けそうな打球をショートがナイスキャッチ3塁ランナーは生還して5対2になりましたが1塁ランナーはアウトになりました。2死2塁で代打亀井選手三振で巨人の攻撃が終了しました。
8回裏ヤクルトピッチャー林投手登板、2死まで押さえましたが坂本選手村田選手の連打で1、3塁、阿部選手の打席でヤクルトはピッチャー林投手から日高投手に交代、阿部選手はセカンドフライに倒れ2者残塁でした。
9回裏ヤクルトはピッチャー日高投手からバーネット投手が登板、1死よりエレガー選手四球、谷選手ピッチャー強襲の内野安打で1、2塁、代打小笠原選手三振、長野選手がライトフライで試合終了、ヤクルトが5対2で勝ちました。
ホームランが出たり敗れた巨人も7回〜9回まで得点圏にランナーを送り年に何度もないプロ野球興業としては見せ場があり盛り上がったと思います。行きは観客がそれぞれ別々に球場に来ますが帰りはほぼ一緒に観客が家路に着くので慌ただしかったです。去年は試合終了後のシャトルバスで一時間以上待ったので今年は篠ノ井駅まで歩いて帰りJRで帰りました。電車が遅れ都会のラッシュ並みに混雑しました。家に着いたのが11時を回っていました。帰りの混雑が玉に傷ですがこれもオリスタのプロ野球観戦の一部だと思うようにしたいと思います。
両チームの選手の皆様お疲れ様でした。土日東京ドームでも試合があり休んでいる暇もないと思いますが野球を盛り上げて行くように頑張って欲しいと思います。
2012年06月23日 Posted by プラネマン at 06:28 │Comments(0) │野球その他
CD バイオリン 天満敦子 BALADA

天満敦子さんというバイオリンを弾く女性の演奏だそうです。今年の1月にホクト文化ホールで天満敦子さんのコンサートがありました。僕の母親は友人に誘われて生まれて初めてクラシック系のコンサートに行ったそうですが天満敦子さんの演奏に大感激したそうです。天満敦子さんは演奏した曲は一切譜面を見なかったそうですが予備知識の無かった僕の母親でも天満敦子さんの練習量の豊富さと華を感じ凄かったと言っていました。
演奏後天満敦子さんがCDを買ってくれた人にサインをしてくれるといい僕の母親もCDを買ってサインを貰いました。僕がCDを貸して欲しい‥と頼みましたがサインを貰った貴重なCDを貸したくない‥と言われ写真撮影だけ許してくれました。
天満敦子さんは東京芸術大学在学中に日本音楽コンクール1位になり注目を集めたそうです。1992年に文化使節としてルーマニア訪問、ポルムべスクの望郷のバラードを日本に紹介、1994年7月7日に人気テレビ番組「徹子の部屋」に出演、ブレイクしたそうです。
僕の母親がサインを貰ったこのCDは「BALADA」といいます。エルガー「愛のあいさつ」カッチーニ「アヴェ、マリア」など14曲収録されています。母親の部屋から天満敦子さんの曲が聞こえてくるとゆっくりと聞きたいと思いますが本当の芸術は自分でお金を払って鑑賞すべきだな‥と思いました。他に天満敦子さんは12枚のCDを発売しているそうなので収録された曲を見ながら何を買うか考えてみたいと思います。
天満敦子さんは8月3日〜2日間八ヶ岳音楽堂でコンサートを開催するそうです。高原の爽やかな風の中で聞くバイオリンの音色は最高だと思います。僕の母親に天満敦子さんが八ヶ岳に来る‥と話したら行きたかったが遠方で残念だ‥と言っていました。現在天満敦子さんは東邦音大大学院教授をしているそうですが後進の指導も含めこれからの活躍を期待したいと思います。
2012年06月22日 Posted by プラネマン at 06:18 │Comments(0) │CD
作詞 ピアノ

鑑賞100回を節目に自分でも何か始めたいな‥と思いますが先立つ物が無くて直ぐにというわけにはいきません。2年前の6月自宅の外壁修理に45万円かかり毎月12500円を3年払いしていますが来年の今頃終わるので楽器を始めたいと思っています。
個人的にはピアノがいいな‥と思っています。以前行ったコンサートで選曲がよく美人なピアニストがいて印象的でした。僕とそのピアニストでは年齢がお父さんの友達くらい離れていて今まで育ってきた環境など接点がなく住む世界が違いすぎますがそのピアニストをモデルに「ピアノ」という詞を作ってみました。情感が入らないと詞とかは作れず交差点の歌とか看板の歌とかは僕には作れませんが詞の内容はともかく情感が極まり詞が作れるほど素敵なピアニストでした。
♪明日が来るのがいやだった‥1人の夜は長すぎた‥
♪闇に塗れて一生終わるなら生きるに値しないと‥生きながら死んでいたけれど‥
♪君の優しさが救ってくれた‥君の微笑みが救ってくれた‥君にもらった新たな命なのさ‥
♪今から東大には入れないけれど君のために何か始めたいから‥ピアノを始めたよ‥世界で一番素敵な君のために‥
♪ピアノ、ピアノ、ピアノを弾くたびに‥君の事を思い出すのさ‥
♪ピアノ、ピアノ、ピアノが上手くなった分、僕の愛を感じて欲しい‥
♪ピアノ、ピアノ、和音に託して‥この思い君に届け‥
ピアニスト某さんのこれからの活躍を願っています。僕も仕事との両立、時間的制約や経済的問題、良い師との出会いなど環境が整いピアノ(楽器)を始めてみたいな‥と思っています。
写真は取り壊しになった旧長野市民会館です。イメージで貼っておきました。僕の姉がピアノを習っていて僕もピアノ教室について行った事がありました。片手でキラキラ星を弾きました。演奏後舞台の脇から帰らず中央階段から「お母さーん」と客席に降りていき大爆笑を受けましたが子供心には快感だった事を覚えています。あの時から続けていれば良かったと後悔していますが早くピアノを始める日を夢見て日々頑張っていきたいと思います。
2012年06月21日 Posted by プラネマン at 06:01 │Comments(2) │作詞
生年月日が同じ男達の物語です。

濱田岳さん演じる主人公今村は仙台で空き巣を生業にしています。ある日プロ野球選手尾崎の家に空き巣に入りました。試合が終わるまでは戻って来ない事を知ってる今村はのんびりと構えていました。そこに電話がかかってきました。今村はかつて空き巣中にかかってきた電話に出た事がありました。それは木村文乃さん演じる若葉という女性でした。空き巣に入った家の主と恋愛のもつれから若葉は自殺すると言いだし今村は若葉を説得して二人は付き合うようになりました。そんな事があり今村は尾崎にかかってきた女性からの電話に出ました。
電話をかけてきた女性の指定する喫茶店に今村と若葉は行きました。そこには若い女性がいました。以前ストーカー被害で困っていたところを尾崎に助けてもらい尾崎の連絡先を聞いたそうです。再びストーカーにあっていると尾崎に相談したかったのに今村と若葉が来て驚いていました。その時ストーカー男の車が喫茶店に現れました。今村はナンバーを控えストーカー男の住所を調べました。
若葉は今村になぜ尾崎の事にそんなに首を突っ込むのか?訪ねました。今村はかつては野球少年でしたが芽が出ずに終わりました。尾崎は今でこそ監督に干されていますが高校時代は地元のヒーローでした。そんなコンプレックスもありましたが今村と尾崎は生年月日が全く一緒で同じ病院でほぼ同時刻に生まれました。尾崎が気になって仕方ない今村はストーカー男の住むマンションに向かいますが‥
今村と尾崎の話を中心に68分にコンパクトに収め感動的に仕上がっていました。年の差婚をして尊敬する大森南朗さんが今村の空き巣の師匠役で登場、所々で強烈なインパクトを放ちストーリーを盛り上げてくれました。石田えりさんが今村のお母さん役で登場しました。石田えりさんはアントニオ猪木さんが映画初主演した「アカシア」で猪木さんの妻役で出演しました。亡くなった子供について猪木さんと言い合いになった時は目頭が熱くなり映画初主演の猪木さんを見事にカバーしました。今村と尾崎の因縁を石田えりさん演じる母親は知りませんが石田えりさんの演技や役柄がストーリーを引き立ててくれアカシア以上のインパクトがありさすが実力派女優だと思いました。大森南朗さん石田えりさんが脇を固め素晴らしい出来になっていました。
劇中尾崎が所属する球団キングスが出てきます。楽天イーグルスをモチーフにした感じです。今村と若葉と今村の母親、今村の空き巣の師匠でキングスの試合を見に行くシーンがあります。野球に興味の無い若葉が野球に魅せられるシーンが印象的でした。僕は社会人野球のファンですがきっかけは七十七銀行の試合を見たのがきっかけでした。七十七銀行野球部は毎年社会人野球長野大会に出場していてわざわざ長野まで遠征して来てくれ親しみが持てます。楽天イーグルスというプロ野球があるのでインパクトはないとは思いますが都市対抗野球に出場決定、東京ドームで試合をするので楽しみにしています。キングスの試合のシーンは七十七銀行野球部で撮影して欲しかったと思いました。
僕の仕事関係で意気投合した人がいて誕生日が同じだと知りました。僕は映画が好きで映画の話をよくしていたので映画に連れて行って欲しいと言われ何回か行きました。映画を見たりダベったり楽しかったです。その人は独身でした。同じ星の下に生まれたから女に縁がないな‥と話していましたが間もなくその人は結婚して一緒に映画に行く事がなくなりました。今村と尾崎の関係ではありませんが星回りや星占いよりも今生の努力が大事だと感じました。
スポーツは素晴らしいな‥と感じた映画でした。以前長野ロキシーさんで公開されたフィシュストーリーも好きな映画でしたがポテチと監督が一緒だと知りました。伊坂監督の次回作も楽しみにしています。
2012年06月20日 Posted by プラネマン at 03:28 │Comments(0) │長野ロキシーさん上映映画
パルセイロレディース対鹿児島

明け方には激しい雨が降りましたが試合開始時刻には雨は止み蒸し暑い中で試合は開催されました。ここまで勝ち点5で11位と低迷するパルセイロレディースですが今回の対戦相手は9位のジュブリーレ鹿児島です。前半戦折り返しのこの試合ですが勝って後半戦に弾みをつける事を期待しての観戦でした。
試合は開始5分頃パルセイロコーナーキックから始まりました。9分頃に鹿児島7番の選手にゴールライン付近からシュートを決められて鹿児島が先制しました。14分頃鹿児島9番の選手と3番の選手の連携が冴えてヒヤリとしました。17分頃、18分頃、19分頃と鹿児島にコーナーキックのチャンスが3回ありパルセイロ厳しい時間でした。26分頃左サイドゴールライン付近から鹿児島18番の選手がゴールを奪いパルセイロ2点目の失点でした。28分頃と33分頃鹿児島コーナーキックと厳しい時間が続きましたが38分頃浦崎選手から濱垣選手がシュートを打ちパルセイロ久々の攻撃でした。40分パルセイロ11番橋浦選手がカウンターからゴールを奪いまず1点返しました。41分頃パルセイロ10番浦崎選手が同じ展開で同点ゴールを決めました。2点返した直後の42分頃鹿児島18番のクロスボールに13番の選手が決めてパルセイロ逆転されました。44分頃鹿児島の選手をフリーにさせたりロスタイムには鹿児島のコーナーキックがあり厳しい時間でした。前半戦は
2対3で1点ビハインドで終了、コーナーキックで攻められる機会が多く鹿児島優勢に攻めていました。
後半戦は10分頃と12分頃パルセイロコーナーキックが2回ありペースをつかんできました。しかし25分頃鹿児島コーナーキック2回続けてあり30分頃再び鹿児島コーナーキック、33分頃鹿児島シュート、35分頃鹿児島コーナーキックとパルセイロ陣地を攻め込まれていました。パルセイロ濱垣選手アウトで英選手イン、40分頃パルセイロ直接フリーキックロスタイムにはパルセイロコーナーキックと最後のチャンスがありましたがゴールは遠く後半は0対0でトータル2対3で敗れました。2点追いついた時は期待しましたが鹿児島の方が一枚上手だと思いました。パルセイロレディースこれで前半戦終了して相手と一巡したので修正して望んで欲しいと思います。
対戦相手のジュブリーレ鹿児島の皆様も遠方よりお疲れ様でした。僕は若い頃鹿児島アリーナに行った事があり親しみが持てます。ジュブリーレ鹿児島の皆様も南国の太陽のように熱い闘いを期待しています。プレナスチャレンジリーグますます盛り上がって行く事を願っています。
2012年06月19日 Posted by プラネマン at 06:05 │Comments(0) │パルセイロレディース
月夜の室内楽演奏会 ソワレ2

ソワレとはフランス語で「夜会」という意味でこの演奏会は土曜日の夜、食後のリラックスした時間に重奏と若手演奏家達の魅力を静かに楽しむ事を目的とした大人向けの演奏会です。毎回メンバーが交代して楽器の種類も違いますが去年の12月に続き2度目の開催でした。
今回出場したのは長野市出身で国立音大出身で洗足学園音大大学院卒業のチェロの小島遼子さん、長野市出身で国立音大出身のピアノの青木千佳さん、岡山県出身で岡山大学教育学部芸術分野音楽専攻を卒業、洗足学園音大大学院卒業のサックスの須々木由子さんの3名が出場しました。
チェロの小島さんとピアノの青木さんは祖父が教員仲間母親が同じ音大で声楽とピアノを学んだそうで本人達も同じ音大に通っていたそうで深い縁というのはあるんだな‥と感じました。チェロの小島さんとサックスの須々木さんは同じ大学院で学んだそうです。
小島さんは中学の部活でバイオリン希望でしたが希望者が多く身体が大きかったのでチェロはどうか?と言われ学校に楽器があるから買わなくていい‥といわれチェロを始めたそうです。須々木さんも吹奏楽部の体験入部で先輩からサックスがいいのではないか?と言われサックスを始めたそうです。何気なく始めた楽器が生涯の道になるというのも興味深いと思います。
オープニングはドビュッシーの月の光です。この曲はソワレのテーマ曲でオープニングに必ず月の光を演奏するのがお約束になります。見事な3重奏でした。
続いてチェロの小島さんがソロでバッハの無伴奏チェロ組曲、プレリュードとアルマンドを演奏しました。続いて小島さんとピアノの青木さんがサンサーンスの動物の謝肉祭より白鳥が演奏されました。この曲は映画カルテットのクライマックスで演奏されその時の感動が甦ってくるようでした。
続いてサックスの須々木さんがソロでイベールの「物語より「金の亀を使う女」「白い小さなロバ」「机の下で」「水晶の籠」の4曲が演奏されました。イベールはドビュッシーの影響を強く受けているそうです。須々木さんの気迫が伝わってくる素晴らしい演奏でした。続いて須々木さんと青木さんでピアソラのリベルタンゴが演奏されました。ピアノとサックスという組み合わせは珍しく素晴らしい演奏でした。須々木さんと青木さんは小島さんを通じて知り合い初対面たったそうですがそんな事を感じさせない息のあった演奏でした。
最後にドビュッシーピアノ3重奏曲ト単調第1、4楽章が影響されアンコール曲一曲が演奏されました。一時間ちょっとの短い時間でしたがリラックス出来て癒されました。この演奏会の前に地元サッカーチームの試合を見に行きましたが腑甲斐ない試合をして敗戦、ストレスを感じましたがソワレに癒されました。この内容で入場料はワンコイン500円で場内ではワインやコーヒーの販売をしていて大人の雰囲気の演奏会でした。土曜日の夜のイベントとしてソワレが定着して欲しいと思います。この日出場した演奏家の皆様お疲れ様でした。皆様のこれからの活躍を願っています。
2012年06月18日 Posted by プラネマン at 05:58 │Comments(0) │コンサート
パルセイロ テレビ中継弱すぎ‥

天気予報は大荒れの予想で朝方は雨が降りましたが試合開始頃には止みました。現在4位ながらも首位に勝ち点3差で迫っているパルセイロは15位で今季よりJFL参戦のHOYO大分と対戦です。パルセイロは前節首位長崎に勝ち勢いに乗っている事やHOYOが最近数試合大量得点差で負けているのでここはしっかり勝ってJFLの洗礼を浴びせて欲しいと思いました。この試合はテレビ中継があったり芸能人の来場があり注目度の高い試合です。テレビ中継があると中々勝てないパルセイロですがジンクスを打ち破る大勝を期待しての観戦でした。
試合は開始4分頃HOYOの24番のクロスボールをパルセイロの守備が手薄になった左サイドから25番が決めてHOYOが先制しました。直後HOYOがコーナーキックからフリーになった14番が鋭いシュートを打ちヒヤリとさせられました。パルセイロも終始ボールを支配しているように見えますが得点の匂いがせずにHOYOの守備の固さだけが目立ち去年のホームの横河戦を見ているようでした。シュートはそれなりに打ってはいますが去年のホーム最終戦の琉球戦のような圧倒する勢いがなくゴール前でこねくり回しているイメージしかありませんでした。前半0対1のビハインドで終了しました。
後半もボールを支配しているように見えますがパスミスや後から来た相手にボールをとられたりセカンドボールの位置にパルセイロの選手がいないパターンが多くイライラする展開でした。何回か決った!と思ったシーンもありましたがHOYOの選手の方がボールに対する執念が強い気がしました。宇野沢選手が3人から囲まれる場面もありHOYOもかなり研究してきた感じでした。客席からは厳しい檄が飛び時間ばかりが空しく過ぎていく展開でした。佐藤選手アウト、藤井選手イン、藤田選手アウト、松尾選手イン、野沢選手アウト、田中選手インとメンバーチェンジをしますが流れを変えるまではいきません。38分にはHOYOに2点目を入れられました。客席から「二人だけに決められて何をしているんだ!」と野次が飛び同感だと思いました。
2点目が入った時に帰ったお客さんもいました。松尾選手がゴールを決めたのが唯一の収穫でしたが1対2で敗れ終了のホイッスルと同時に帰りました。なんでテレビ中継があると惨敗するのだろうか?去年のワクワクするような試合はどこにいったのだろうか?去年のホーム最終戦がピークで段々と劣化している感じがしました。
スタジアムJ1企画にしてもしかしたら前倒しするかもしれない‥と発表した直後にこの内容では長野市民にスタジアム問題で理解を求めても無理だと感じました。この試合3129人入ったそうです。確かにここ数試合に比べれば観客が多かったですが少年サッカーの動員が多かったです。子供達が試合中に平気で観客の前を通り過ぎて何度かシュートシーンが見れない事がありました。少年動員はスタジアムの一体感に水を差す感じがしました。ファールボールが欲しくて子供が走り回っているグランセローズの雰囲気にそっくりでした。
この試合を松本サポーターも見ていたと思います。戦前の不利を言われながらも一戦一戦成長している松本サポーターの目にパルセイロがどう映ったのか気になります。JFLで無双しているのならまだしもフルタイム働いている完全社会人チームのHOYOにも勝てない‥新しい友達と馴染んできて降格制度がスタートして一戦一戦が重みのある松本サポーターにとって信州ダービーをやる意味が今のパルセイロとあるのか?敗戦を見ながら考えていました。僕は信州ダービーがきっかけでパルセイロを応援するようになったのでダービーには思い入れがありますが実際にダービーを牽引しているのは松本側で南長野でダービーがあった次のホームゲームの観客が1570人だった事を思うとまだまだ長野側にはダービーは根付いていなくて松本側がダービーに価値なし‥といえばダービーが成立しなくなると思います。この敗戦で松本側にそっぽをむかれないか心配になりました。
琉球のアドバイザーの金子氏はかつてJ1チームとサッカーで勝負出来るのはパルセイロだけ‥と言いましたが現在も同じ発言が出来るのか気になります。僕がパルセイロを見始めてから間もなく一年、今回の試合が最低な観戦でした。早期の立て直しを願うばかりです。今回のスタ飯は焼きそば400円でした。パックにあふれそうな焼きそばもダメ試合では消化が悪くなりそうです。美味い勝ち飯を食べれるように選手関係者には期待しています。
2012年06月17日 Posted by プラネマン at 10:18 │Comments(0) │AC長野パルセイロ
エロスへの招待 岡部和彦個展

岡部和彦氏は1967年に長野高校を卒業、高校時代は吹奏楽部に所属していて美術には無縁な生活を送っていたそうですが岩手大学教育学部の特設美術科という学科に興味を持ち高3の2学期からデッサンを始めたそうです。同大学を卒業後国画会新人賞、国画賞受賞、イタリア留学など美術を極めてきました。
1983年に中国で会社経営を始めたそうです。30代後半から表現活動から離れていた時期があったそうですが50代から復活を果たしたそうです。今回の展示会ではこの10年の作品約40点が展示されていたそうです。時間帯が早かったので岡部和彦氏が丁寧に解説してくれるサプライズがありました。
CGで描いたような鮮やかな色彩、デッサンの美しさ、など素晴らしい作品群でした。作品の中で空想を導くような作品がありそれもまた楽しく思いました。個展は明日17日までの開催ですが一見の価値はあると思います。岡部和彦氏これからの活躍が楽しみです。
2012年06月16日 Posted by プラネマン at 14:07 │Comments(0) │長野市周辺 ギャラリー
不倫歴10年の女性に幸あれ‥

一般人なので詳しい内容は書きませんが某県に住む37才の独身女性は住宅関係の会社に勤務していて同じ社内に勤める男性と10年間不倫しているそうです。ブログ主の37才女性が不倫の様子をブログアップしていました。モデルハウスで肉体関係を持ったりラブホで焼き肉をやったり不倫相手とその父親が海外旅行に行った時にブログ主の女性も同行したとか凄い内容が書いてあり話題には事欠かない感じでした。
ブログ主の写真も掲載されていました。携帯からではよく見れなかったので会社のパソコンでそのブログを覗いてみました。アクセス数が多いのか某県住宅と検索するとブログ主の勤務する会社が上位に出てきてこのブログがすぐに分かりました。ブログ主の写真を見ました。髪を染めているヤンキー系のヤンキー風のイメージがありましたが制服を着ている会社の全体写真を見ると普通のOLさんといった感じでした。プライベート写真を見ると黒髪の年相応の女性で何の先入観もなく紹介されたらぜひ会ってみたいと思いました。黒髪のブログ主の写真を見ていると胸が痛くなりました。
詳しい内容は僕のブログの「携帯小説、黒髪は恋の残像」に書いてありますが僕は新卒で入社した会社で大阪営業所に配属になりました。そこで3才年上のOLのお姉さんを好きになりました。しかしその女性は上司と不倫していました。泊まりで行った社内忘年会で不倫を巡り上司達が殴り合い寸前の喧嘩になりました。それがきっかけか間もなくそのOLさんは会社を退職する事になりました。若者同士で送別会を開催する事になりました。送別会が終わった時僕はその女性を駅まで送って行きたいと言いました。先輩方も僕がその女性に気があるのを知っていたので誰にも邪魔されず駅まで一緒に帰りました。そこで告白しましたが見事に振られました。駅に着くとOLさんは一足早く改札口に消えて行きました。僕はそのOLさんの後ろ姿をずっと見ていました。彼女の黒髪が終わってしまった恋の残像のように僕の目に焼き付いていました。ここまでが「黒髪は恋の残像」の内容でした。
後日談がありましてその頃はまだバブル経済の余韻があり景気が良くOLさんが退職した後中々次の女性社員が定着せずに派遣の女性を採用しました。しばらくして近郊の小さな温泉旅館を貸し切りで忘年会がありました。酒が入って盛り上がっていた頃不倫していた元上司と派遣の女性が一緒に風呂に入ると言いだしお前たちは来るな!と言いました。少し前に不倫が原因でOLさんが退職しているのに当事者が何をしているんだ!僕は腹が立って仕方ありませんでした。その風呂は温泉で地下から湧いてくる事は分かっていましたが不潔な気がしてその風呂には入りたくなく早く帰りたくて仕方ありませんでした。しばらくして僕は父親が倒れ長野に帰る事になりました。同じ頃その派遣女性は退職して高卒の女の子が新卒で入社しました。その新卒の女の子は不倫していた元上司のルートで入社したそうです。僕はその後長野に帰りましたが元上司が新卒の女の子を妊娠させてその子は退職して元上司と結婚、地方に飛ばされたそうです。その元上司には妊娠させた女の子と同じ年の
娘がいたそうですがとことん腐っているな‥と腹が立つ思いでした。ほとぼりがさめた頃女クセが悪い元上司は本社に栄転していました。結局社内不倫は女性が損をして終わりなんだな‥と思いました。
あれから時間が過ぎ僕もそんな事を忘れていました。映画「最後の忠臣蔵」で役所広司さんと安田成美さんがやりとりをする場面があり安田成美さんが「女の黒髪は男を救う‥」というセリフを言いました。現在はほとんどの女性が髪を染めているので特に黒髪というセリフを強烈に感じました。
不倫ブログ主の黒髪を見てそのセリフを思い出しました。社内不倫では女が圧倒的に不利である事やネットに晒し者になり恥をかいた事や女性の売り頃の20代後半を不倫に費やしこれからの人生は大変だろうな‥と思いました。自業自得といえばそれまでですが黒髪のブログ主が気になって仕方ありません。
黒髪の女性と夢の続きを見たいのか‥もう恋愛のチャンスもそんなに無いのが分かっているので現実逃避しているのか‥事件を起こした犯人、古くはオウム関係者や最近では市橋容疑者や監禁王子を英雄扱いする心理に似て不倫ブログ主に幻想を抱いているのかな‥と思いました。ブログ主に幸あれ‥と思いつつ僕も病んでいるな‥と嘆きたい気持ちになりました。
2012年06月15日 Posted by プラネマン at 06:51 │Comments(0) │つぶやき
K-1運営会社 経営破綻

僕は戦績は別にしても若い頃キックボクシングを経験した事があり格闘技は同じ条件で1対1で戦うものだ‥という思いがあります。ヘビー級なので体重差があるのは仕方ないにしてもワンナイトトーナメントだけは馴染めず組み合わせによってはダメージがある選手とノーダメージの選手のハンディがあったり第1試合に出場した選手がインターバルをたくさんとれて有利など不平等が馴染めませんでした。人の世は何かと不平等が多いのでリングの上だけは平等で対戦出来るようにして欲しいと思いました。
しかし個人の思いとは別に運営者の石井和義正道会館館長には一目おいていました。留学して高度な経営学を学んだわけではなく現場から学んだ知識で組織を大きくしていった事は尊敬出来ました。格闘技雑誌で石井館長の記事を読むのが楽しみで「野球はバットやグローブを買ってお金がたくさん動くが空手は道着を買って終わりで生産性があまりない」「一般の人にサッカーやテニスの話をすれば盛り上がれるが格闘技の話をすると引いてしまう」「格闘技のジム、道場経営は不便な場所に作ったり設備を押さえている傾向にあるが正道会館はあえて駅前などの一等地に道場を出し設備投資をする逆転の発送をした」などのインタビューが印象に残っていて感覚が格闘技業界の人とは違い凄いと思いました。
1997年7月に名古屋ドームでK-1興業がありこの興業に極真会館より世界チャンピオンのフィリョ選手が登場してアンディフグ選手と対戦するビッグマッチがありました。この二人は極真会館の世界大会で対戦した事があり舞台をK-1のリングに変えての対戦でした。フィリョ選手ほど話題になりませんでしたがボクシング界の名門協栄ジムがヘビー級のK-1ファイターを育成するといい協栄ジム所属の日本人選手2名が名古屋ドームでデビューしました。極真会館を含めフルコンタクト空手界と日本人ヘビー級ボクサーの2つの勢力を飲み込んでK-1がどこまで大きくなるかその一歩を見たくて実際に名古屋ドームまで行きました。
ヘビー級日本人ボクサーにはがっかりしましたがフィリョ選手は豪快なKO勝ちをしてフルコンタクト空手界からフィリョ選手に続く選手の登場が楽しみになりました。
その後K-1はサップ選手やミルコ選手など人気選手が出場、総合格闘技にも進出してどこまで大きくなるか楽しみでしたが石井館長が脱税で逮捕されてからK-1はケチがついた感じでした。その後のK-1は身体の大きな選手が主流のモンスター路線になり一気につまらなく感じました。サップ選手にKO負けしたホースト選手がトーナメント優勝して4タイムチャンピオンと言っているのを見てトーナメントの価値がよく分からなくなりました。2002〜3年頃のK-1のスポンサーがサラ金屋さんやパチンコ屋さんが中心でした。その頃サラ金屋さんにお世話になっていたので僕が支払った利子がファイトマネーになっているのかと思うとやりきれなくなりK-1を見なくなりました。しばらくK-1を見ないうちにファイトマネーの未払金から経営破綻につながり??という感じでした。
僕は詳しい内情は知りませんが格闘技業界はダーティな世界との繋がりが強い印象があり一般のファンが入りずらいのだと思います。全盛期のK-1にはダーティなイメージとは無縁なイメージがありました。全盛期の頃に優良なスポンサーがつけば違ったかもしれませんがプライドしかり黒い部分と決別出来なかったのが失敗の要因だったと思います。時代の流れの激しさを感じたK-1破綻でした。
2012年06月14日 Posted by プラネマン at 06:19 │Comments(0) │格闘技の話題
長野市民新聞 12年5月

5月で一番印象に残っている記事は5月3日号に見開きになっていた「3チームファン必携、グッズで応援一体感」という記事で長野市や近郊地域に本拠地を置くプロスポーツチームの長野パルセイロ、信州ブレイブウォリアーズ、グランセローズの応援グッズの特集がありました。僕も数年前までは地元のプロスポーツには興味はありませんでしたがチケットを買った入場料がそのままチームの経営に反映されたり声援が直接チームに届きチームと一緒に成長しているように感じられるのが地元プロスポーツチームの魅力だと思うようになりました。僕はかつて野球は楽天イーグルス、サッカーはJリーグの某チーム、バスケットボールは実業団系の某チームを応援していましたが地元プロスポーツチームの良さに気がつき競技レベルより地元にチームがある事の方が比重が大きくなり都合がつくかぎり地元プロスポーツの観戦に行っています。パルセイロは取引先が後援しているので仕事関係の人に会う事はありますが昔の同級生とか知人をプロスポーツ会場で見かける事はあまりなく人口
を思うと3チーム共にまだまだ盛り上がる可能性があると思います。昨日サッカーの日本代表の試合がありました。帰りに取引先に納品に行くとほとんどの訪問先でサッカーを見ていたり僕の勤務する会社でもテレビの前で盛り上がっていました。オリンピックや野球のWBC、サッカーの日本代表の試合など国際試合は盛り上がるので長野市民の多くの人が国際試合を見る気持ちの少しを地元プロスポーツに向けて健全な娯楽の提供や地元プロスポーツチームの結果や話を普通の会話として出来る日がくればいいな‥と思いながらサッカーの日本代表戦の盛り上がりを見ていました。
5月1日号で金環日食の解説が見開きページでありました。5月22日号では日食観測の様子が記事になっていました。三本柳小学校の観測会の様子が記事になり日食のピークの7時35分には全員でカウントダウンして迎えたそうです。その時間僕は通勤途中でしたが急に肌寒くなり太陽が暗くなった気がしました。日食の度に各地に観察旅行に行く日食マニアの気持ちが分かる気がした金環日食でした。
5月8日号で旧屋代線、代替バス利用で利用者の記事があり目標を900人にしたところ平日平均800人強でまずまずの利用状況とありました。しかし通勤通学客が利用する平日の朝夕以外の乗客数が極端に少ない便があったり終点までの間の乗客数が一桁台になってしまう便もあるそうなので活性化に期待したいと思います。
5月8日号で小麦粉などを使った料理を通じて地域振興に取り組む「篠ノ井こなもん会」さんは郷土料理こねつけをアレンジした創作料理の試食会を開催したそうです。ハンバーガー風やピザ風、恐竜の形をした物など8種類のこねつけ料理が並んだそうで楽しみです。
ほのぼのとしたニュースは5月24日号の一面で「子ヤギの命つなぐ縁」という記事で篠ノ井の円福幼稚園で飼育するヤギに子ヤギが生まれたそうですが出産直後母親ヤギが体調不良になり母乳不足が心配されたそうです。事情を知った昭和小学校の児童が同小学校で飼育するヤギの乳を与えてヤギの命をめぐり子供達に交流が生まれたそうです。ヤギの出産に立ち合った昭和小学校の児童は血がたくさん出て苦しそうに鳴くヤギをみんなで泣きながら見守ったそうで出産に立ち合った経験が命に対する児童の意識を変えた‥と記事にありました。最近は無関係な人に対する通り魔的事件が多くゲームやテレビ番組で人が殺されたりするのを普通に接していますがそんな中でヤギがつなぐ命の絆は心暖まる話だと思いました。
まだまだ良い記事がたくさんありましたが長野市民新聞今月も楽しんで行きたいと思います。
2012年06月13日 Posted by プラネマン at 06:03 │Comments(0) │長野市民新聞
パルセイロレディ対日本体育大学

試合は開始早々パルセイロ橋浦選手がドリブルで突破してシュートをしたところから始まりました。4分日体大20番植村選手がフリーになったところを決められパルセイロ先制されました。6分頃日体大の選手がフリーになったところをパルセイロ山下選手がナイスディフェンスしました。相手のコーナーキックとゴール前の混戦をクリアしてパルセイロピンチを逃れました。8分頃パルセイロ内山選手のクロスボールに村山選手がシュートして攻撃が形になってきました。14分頃日体大コーナーキックの連続攻撃がありましたがパルセイロ踏ん張りました。20分頃日体大のパスをカットして内山選手がシュートしました。35分頃パルセイロディフェンスの隙をつかれ日体大20番植村選手に2点目を決められました。36分パルセイロコーナーキックを2回ありましたが生かせず前半戦0対2と終了しました。過去数試合の観戦と比べ守備には粘りが出てきた感じがしました。日体大植村選手をしっかりマークして欲しいと思いました。
後半4分2点目と同じ展開で守備の隙をつかれ日体大植村選手に3点目を決められました。パルセイロ波多野選手負傷で退場、浜垣選手がインしました。16分頃日体大植村選手とキーパーが1対1になり決められ0対4となりました。20分頃橋浦選手のクロスボールを英選手がシュート、決まりませんでしたが形にはなってきました。
日体大20番植村選手が交代しました。4点入れられた植村選手が交代した事で反撃して欲しいと思いました。パルセイロも縦パスが通り浦崎選手から橋浦選手のシュート、浦崎選手フリーキックを直接シュートと諦めず攻め続けます。32分頃日体大8番の選手が右サイドより決めて0対5になりました。パルセイロ北川選手アウト佐山選手インしますが日体大の流れは止まらず終了間際日体大11番の選手に決められてパルセイロ0対6で敗れました。
パルセイロレディース大差で敗れましたが1戦1戦良くなってきている感じがします。負けた悔しさをバネにさらなる飛躍を期待したいと思います。次節もホームゲームですのでそろそろ勝ち点に期待したいと思います。日体大の選手の皆様も遠方よりお疲れ様でした。皆様のさらなる活躍とサッカーを通じていろいろな事が学べるように願っています。
2012年06月12日 Posted by プラネマン at 06:01 │Comments(0) │パルセイロレディース
パルセイロ松尾選手と大津町の縁

松尾昇悟選手のプロフィールを見ると熊本県出身で大津高校出身とありました。僕は若い頃各地を旅して自分探しをしていましたがその時に大津町に行った事があったので松尾昇悟選手が大津高校出身と聞き親しみがもてました。
僕か大津町に行った目的は大津白川ラインマラソンというマラソン大会に出場したためでしたがもしかして松尾昇悟選手もマラソン大会に出場していたかな?と思いパンフレット類を広げてみました。僕が大津白川ラインマラソンに参加したのは1998年2月15日の長野オリンピック開催中でした。松尾昇悟選手は1987年生まれで当時11才でした。名簿を見ましたが11才位で松尾姓の選手は出場していませんでした。松尾選手は高校が大津高校で熊本県の他の地域出身かもしれないし当日サッカーの試合があったかもしれないのでマラソン大会に参加していなくても不思議ではありませんが松尾選手と同じマラソン大会に出場出来たら嬉しかったな‥と思いました。松尾昇悟選手をきっかけに忘れていた熊本旅行の事を思い出し懐かしかったです。
僕が大津町に行こうと思ったきっかけは‥1997年12月のある夜丹波島橋近くの土手を自転車で走っていると対向車を運転していた某大学の女子学生が携帯電話で話をしていてハンドルを切りそこねセンターラインを超えて僕を跳ねとばしそのまま土手に落ちてしまいました。詳しい話は僕のブログのその他のカテゴリーの「部屋は綺麗にしましょう」に書いてあるので省略しますがその事故により補償金が結構でました。当時は長野オリンピックに対してあまり興味がなくオリンピック中に他の社員は海外に社員旅行に行くといい旅行に行かない社員は3連休になりました。上司に気を使う社員旅行も億劫だったので社員旅行には行きませんでした。僕は当時マラソンをしていて登山にも興味があったので登山とマラソンが出来て空港へのアクセスが良い場所という事で大津町白川ラインマラソンに参加しました。
大津町は翌年に開催された熊本国体のサッカーの会場で町の至るところにサッカーのロゴ入りポスターが貼ってありました。マラソン大会の参加賞が豪華で遠来賞も含まれますが写真の帽子とシューズ袋と着潰しましたがトレーナーを貰いました。昼食付きで一番のサプライズはさつまいもを貰った事でした。スーパーに売っているさつまいもと全く違いいろいろな料理方法のレシピ付きで家の母親も喜んでいました。長野オリンピックの特需も終わりこれが僕の最後の遠方の旅行になりましたが阿蘇山の雄大さを感じたり高菜料理が美味しかったりぶくぶくと沸騰していた温泉があり真心がこもっていたマラソン大会に参加出来て最後の遠出旅行が大津町周辺で良かったと思います。サッカー熱が高い場所で雄大な自然のある大津町で幼少期を過ごした松尾昇悟選手には親しみが持て頑張って欲しいと思います。
僕はプロ野球は楽天イーグルスのファンでもありますが創立2年目に加入した草野選手の所属したホンダ熊本は大津町にあったと思います。松尾昇悟選手は野球とサッカーの違いがあるにしろ大津町に縁のある有名人として草野選手に匹敵する活躍をして欲しいと思います。
先日の長崎戦に勝った事でJFL首位長崎とパルセイロは勝ち点3差で1試合少ない事を思うと天皇杯のJFLシード枠出場の可能性が出てきました。そうなると1回戦は熊本の地で熊本代表と対戦になり松尾昇悟選手の凱旋試合になります。ぜひJFL1位通貨出来るように松尾昇悟選手には大暴れして欲しいと思います。大津町が縁の松尾昇悟選手地元の阿蘇山のような大地の躍動に似た活躍を願っています。