世界最強伝説ラスベガス世紀の一戦

昨日1月30日にNHKで放送された世界最強伝説、ラスベガス、世紀の一戦を見ました。1月27日にNHKスペシャルとして放送された番組の再放送でした。

始めにプロボクシングのプロモーターボブ、アラム氏が登場しました。ユダヤ系アメリカ人のアラム氏は弁護士として活躍していましたが47年前にモハメッド、アリ選手と出会いプロモーターの仕事をするようになりました。モハメッド、アリ選手には抜群の強さとストーリーがありましたが今一番のお気に入りはフィリピンのパッキャオ選手だと言っていました。パッキャオ選手にはアリ選手と通ずる強さとストーリーがあると言っていました。


2006年パッキャオ選手は4階級を制したモラレス選手に勝ちました。2008年には3階級上のデラホーヤ選手に勝ちデビューの頃よりも20キロ重いクラスに勝ち6階級を制覇しました。パッキャオ選手は国や人種を超えたスターになりました。アメリカのスポーツ収入の番付ではタイガー、ウッズ選手を超え55億円稼いだそうです。アメリカのプロボクシングはペーパービューといって1試合60ドルを払い好きな試合を見るスタイルが主流になり1試合で何十億円のお金が動くそうです。


カメラはパッキャオ選手の出身地フィリピンのミンダナオ島を映していました。パッキャオ選手の幼なじみであるトレーナーにインタビューしていました。パッキャオ選手は父親がいなくて貧しい暮らしをしていて賭けボクシングのリングに上がりました。現在では故郷に学校や道路を作る社会活動をして感心しました。そして社会活動のためにもまだまだ負けてはいられない立場にありました。


パッキャオ選手の対戦相手として4階級制覇のメキシコの英雄マルケス選手が候補に上がりました。中南米系のヒスパニックの票がオバマ大統領の勝敗を左右したようにマルケス選手はヒスパニック系のペーパービューの売上を左右するドル箱で期待も高まってきました。


2004年にマルケス選手とパッキャオ選手は初対決で引き分け、2008年の対戦ではパッキャオ選手ダウンを奪いましたが判定勝ち、3回目の対戦はパッキャオ選手判定勝ち、因縁の対決でマルケス選手にはファイトマネー5億円、パッキャオ選手20億円と目玉が飛び出そうなくらいに凄い金額が動いていました。

去年10月、試合2ヶ月前、ジムにパッキャオ選手の姿はありませんでした。パッキャオ選手は身体に違和感があり試合の度に足がけいれんしてスピードに陰りが見えるそうです。身体の大きな相手と戦ってきたため増量をしてふくらはぎの筋肉が固くなっているそうです。


ミンダナオ島はフィリピンでは貧しい地域です。国民の10人に1人は海外に出て稼がなければいけない出稼ぎ国家ですがパッキャオ選手は国民の拳と呼ばれ出稼ぎ国家の希望と呼ばれていました。パッキャオ選手がアメリカに向かった後台風がミンダナオ島を襲い国が非常事態宣言をしました。パッキャオ選手はますます負けられなくなりました。

カメラは12月8日のラスベガスで行われた試合を写していました。第3ラウンドマルケス選手の右のロングフックでダウンを奪いました。第5ラウンドパッキャオ選手は左ストレートでダウンわ奪い返しました。6ラウンド終了間際にマルケス選手が右カウンターを打ちパッキャオ選手は前のめりに倒れマルケス選手がKO勝ちをしました。この試合はペーパービューで76億円の売上をしたまさしくビックビジネスになっていました。


パッキャオ選手を迎えるために沿道にはたくさんの人々が集まっていました。パッキャオ選手はどれだけ人々に愛されているか分かる出来事でした。最後に我々は立ち上がる‥と締めてあっという間に特番は終了しました。


スーパースターの生き方にただ感激するばかりでした。パッキャオ選手もう一度立ち上がってくる事を期待してます。ボクシングは男のロマンだと感じました。  


2013年01月31日 Posted by プラネマン at 23:58Comments(0)プロボクシング

戦国最強妻の夫操縦術

昨日1月30日にNHKで放送された歴史ヒストリア「戦国最強妻の夫操縦術」を見ました。

今回の主人公は豊臣秀吉の妻「おね」でした。

愛知県清須市に生まれたおねは14才の頃後の豊臣秀吉と出会い恋をしました。その時秀吉は25才でした。当時の武家は政略結婚が主流で恋愛結婚はまず無かったそうです。

おねの母親は秀吉との結婚は大反対でした。おねの母親の親戚の浅野長勝は秀吉の上司で秀吉の将来性を見抜きおねを浅野長勝の養子にして秀吉と結婚する事になりました。しかし秀吉との結婚に大反対のおねの母親とおねは絶縁状態になりました。


その後秀吉は数々の功績を残し出世していきました。秀吉が活躍中におねは秀吉の老いた母の面倒を見ながらおねは織田信長に着物200着を贈りました。これには信長は大感激をして秀吉の評価は一気に上がりました。おねは得意な裁縫の技術を使い夫のアピールに成功しました。


秀吉は功績が認められ長浜城の主になりました。長浜の町作りに人を集めるため税金の免除を条件に出しましたが近郊の農村からも人が集まりだし年貢がとれない可能性が出ました。秀吉は税金免除を撤回しようとしましたがおねが大反対をしました。おねのアドバイスを聞き税金免除をしたため皆積極的に働き町は大繁盛しました。


秀吉は浮気を続け浮気相手が石松丸という男の子を出産しました。喜んだ秀吉は砂金を大盤振る舞いしました。その時の賑わいの様子は長浜市の4月のお祭りの中に残っているそうです。
おねは主君の信長に浮気の一部始終をぶちまけましたが逆に手のひらの上で秀吉をもてあそぶようにアドバイスしました。おねは秀吉の浮気を公認する代わりに仕切るようになりました。秀吉は合戦の最中に武士のやる気の高揚のため妻を現地に呼ぶ事を求めましたがおねは秀吉に側室二人を戦場に派遣しました。

秀吉の子、石松丸は6才で亡くなりました。おねは側室を公認して大阪城内に12才位の美女を集めた部屋を作りましたがおねが管轄していたようです。


本能寺の変があった後、秀吉は関白、おねは北政所の役職につきました。おねは政治の実権を握って行くうちに朝廷とも仲良くして朝廷公認の大義名分を必要としようとしました。しかしおねと公家では育ちが違いすぎます。おねは週に3度贈り物をして朝廷の信頼を獲得していきました。


伊達政宗は妻を人質にされていました。政宗は妻に危害を加えられないか心配していましたがおねが親書を政宗に送りそれを読んだ政宗は感激して秀吉側につきました。おねは人質になっていた大名の妻達を大事にして秀吉について行くか悩んでいた諸大名をまとめ朝廷対策と人質の世話をして秀吉をバックアップしていました。


秀吉は1598年に亡くなりました。秀吉亡き後おねは出家しました。高台寺というお寺を秀吉との結婚に反対していた母親の菩提寺にしました。おねは全ての権力を手放し政治との関わりを一切断ち母親と秀吉を弔いました。おねの遺品の中に秀吉の像とおねの像があったそうです。右膝を立て膝しているおねの像はお酌をするために立て膝をしているそうですが死しても秀吉に尽くす慈悲深い女性だと思い感激しました。

歴史の深さ面白さに感動的な一時間でした。  


2013年01月31日 Posted by プラネマン at 04:52Comments(0)NHK、ヒストリア

第10回上野の森の小さな芸術家たち展

すでに公開は終了してしまいましたが1月29日まで長野市中央通りのギャラリープラザ長野で公開されていた上野の森の小さな芸術家たち展に行ってきました。

長野市上野にある若槻養護学校の小学部〜高等部に通う約70人の児童、生徒が描いた絵画や陶芸作品などが100点ほど展示された展覧会でした。

この展覧会は今年で10回目になりますが個人的には2回目の観賞でした。昨年初めて行きましたが溢れんばかりのパワーというか生命力に魅せられ今回の展覧会を楽しみにしていました。

今回も昨年の展覧会に負けないほど素晴らしい展覧会で生命力の強さやパワーは凄いものがありました。陶芸作品は可愛い作品が多く心が和んだ一時でした。


個人的に印象的な作品は
「信長と本能寺の変」は赤い背景と燃え上がる炎が強烈なインパクトを与えてくれました。

「忍者のたまご」は可愛いキャラクターでした。

「花見酒」には侘や寂の世界を感じました。

「赤竜」もインパクトがありました。

「青空の下に立っている木」は色彩が鮮やかでした。
どの作品も人間の可能性の深さを教えてくれる素晴らしい作品でした。僕もしっかりしなければいけないな‥と考えさせられたり励まされた展示会でした。出品された皆様素晴らしい展示会をありがとうございました。皆様の芸術が深まって行く事を願っています。来年も都合がつけば行ってみたい展示会でした。

写真は長野市民新聞に載った記事です。  


2013年01月30日 Posted by プラネマン at 21:18Comments(0)長野市周辺 ギャラリー

プラネタリウム 13年1月

僕はプラネタリウムが好きでカップルや家族連れが多い中で1人で見に行くほど好きです。プラネタリウム観賞歴は20年ほどになりますが雰囲気を楽しんだり面白かった‥で終わっている感じでした。


今年に入りプラネタリウムコーディネーターの大平貴之さんの特番を見ました。プラネタリウム制作に対する真摯な姿勢や星に対する純真な気持ちに感激しました。僕も強い影響を受けてもっと宇宙について知りたい‥と思うようになりプラネタリウム観賞の他に積極的に宇宙の番組を見る事にしました。


1月のプラネタリウム観賞は長野市立博物館さんで3回、「キッズスペシャル」では童謡やジブリの歌を交えて楽しい時間を過ごせました。

「冥王星とその仲間達」では天体の観察技術が発達して冥王星よりも大きな星が発見されるようになりました。エリスという星も冥王星よりも大きな星で冥王星を惑星と認めればエリスも惑星にしなければならず天文界で冥王星やエリスの扱いについて議論されました。結局冥王星を惑星から降格させましたが昭和の科学辞典が使えなくなり時代の流れや科学の進歩を感じた作品でした。


1月19日に長野市立博物館さんで星空教室がありました。冬の大三角形を見ようというテーマでしたが天候が悪く月と木星のみの観望会でした。


宇宙関連のテレビは4番組見ました。大平貴之さんのプラネタリウム制作の特番

NHKサイエンスゼロで土星の衛星タイタンは生物が生存する可能性がある‥という内容の番組、同じくNHKのコズミックフロントという番組で星空の狩人という内容でりゅうこつ座のカノープスを追い求める人を中心に星空にロマンを追いかける人の特集を放送していました。

NHK、BS旅のチカラという番組で宙ガールと呼ばれる篠原ともえさんがフィンランドを訪れ極夜の中で星を見た話が良かったです。


天文関係の本は「日帰り宇宙旅行・プラネタリウム散歩」という本を見ました。全国の個性的なプラネタリウムを紹介していましたが長野市立博物館さんも載っていて嬉しかったです。


今年もプラネタリウムや天文を楽しんで行きたいと思います。写真な長野市立博物館さんのある川中島古戦場内にある蕎麦亭横綱さんのきつねそばです。プラネタリウム観賞の後にお楽しみ下さい。  


2013年01月30日 Posted by プラネマン at 05:54Comments(0)プラネタリウム

まさか相撲で泣くなんて‥

長野ロキシーさんで公開中の「渾身」を見てきました。

舞台は島根県の隠岐諸島、主人公の青柳翔さん演じる英明はかつて結婚式をドタキャンして駈け落ち同然で本州に逃げた事がありました。しかし英明達は隠岐諸島に戻る事にしました。

狭い島故に英明達は偏見の目で見られ英明のお父さんは英明達を勘当しました。英明は仕事をしながら村に伝わる古典相撲を始めました。しかし奥さんは長女琴世を生みましたが病になり亡くなりました。奥さんの親友だった伊藤歩さん演じる多美子は英明の家に出入りするようになり琴世や英明の世話をするようになり英明は多美子と再婚するようになりました。


英明は古典相撲の実力をつけてきました。島に伝わる20年に一度の遷宮相撲の時期がやってきました。遷宮相撲に出場する事は誇りでありましたがただ強いだけでなく心技体が求められました。英明は実力があったものの結婚式をドタキャンした事に偏見を持っている人が多く最高位の正三役大関にするか役員会でもめました。

英明の相手側には実力者万竜がいました。万竜の父親も古典相撲をしていましたが20年前の遷宮相撲で相手側が正三役大関を出す事が出来ず取らずの大関と呼ばれていました。親子2代取らずの大関ではまずい‥という事になり英明が正三役大関となり強敵万竜と対戦する事になりました。

生涯に一度の大一番を迎え英明、多美子、琴世、そして英明を支える人達、それぞれの思いを乗せて大一番が始まろとしています‥


相撲の原点と言われる隠岐古典相撲は隠岐一ノ宮の水若酢神社の遷宮に合わせ20年に一度行われます。水若酢神社の境内に御柱を切り出し三重の土俵を準備して清め神聖な神事として行われます。世を撤して300相撲がとられ各取り組み2回行われます。先に勝った力士は2番目に相手に勝ちを譲り常に1勝1敗になるように行われます。そしてただ勝てば良いのではなく相手を讃える度量の大きさも求められます。

正三役大関の土俵入りは厳粛でもあり清々しくもあり感動的でした。土俵上では2トンの塩が使われ応援合戦も盛り上がり画面に引き込まれて行きました。僕は相撲には興味が無かったですが本来はこんなに神聖なものだったのか‥とカルチャーショックを受けました。琴世が相撲について分からず多美子にお父さんはどうしたの?と訪ねますがお父さんは(勝負の枠を超えて)勝ったのよ‥と言った事や万竜とお父さんの結びつきなど家族やそれを支える人々の絆の深さが感動的でした。


世の中が功利主義になったり人間関係が希薄になって行く中で相撲を通して日本人の心を問いかけてくる秀作だと思いました。この映画のコピーはまさか相撲で泣くなんて‥でしたがその言葉通りの感動的な作品でした。  


2013年01月29日 Posted by プラネマン at 06:09Comments(0)長野ロキシーさん上映映画

NHK らららクラシック 夜鳴きうぐいす

昨日1月27日にNHK、Eテレで放送されたらららクラシックを見ました。今回のテーマは「夜鳴きうぐいす」でした。


N響の名誉音楽監督のシャルル、テュトワ氏が12月の定期公演に登場しました。シャルル、テュトワ氏はストラウィンスキーの作品が好きでその中から歌劇夜鳴きうぐいすが演奏されました。

アンデルセンの童話がオペラになりその作品が夜鳴きうぐいすでした。ちょうど僕がテレビをつけた時にストーリーの解説がありました。

中国の皇帝が夜鳴きうぐいすを知りその鳴き声に感激しました。日本から機械の夜鳴きうぐいすが来ると本物の夜鳴きうぐいすが去って行きました。数年後皇帝は病に倒れ死神が近づいて来ますが夜鳴きうぐいすがやって来てその鳴き声に死神は感激して去って行き夜鳴きうぐいすのおかげで生き延びた‥という話でした。

ストラウィンスキーは夜鳴きうぐいすの第1幕を完成させた後一時中断して「火の鳥」「ペトルーシカ」「春の祭典」を作曲しました。1914年に第2楽章、第3楽章を作曲しました。第1楽章はドビュッシーの影響を強くうけ第2楽章と第3楽章は不協和音や三大バレー曲の影響を受けていました。


夜鳴きうぐいすの聞きどころは、5音音階を使いピアノの黒鍵を使い中国風の音を出しているそうです。オペラをセットのない演奏会形式で行いました。想像力で楽しむ事が出来るそうです。


一時間枠で30分以上夜鳴きうぐいすを演奏していました。らららクラシックを見なければ一生知らなかった名曲でした。聞き応えがある番組でした。  


2013年01月28日 Posted by プラネマン at 22:21Comments(0)NHK らららクラシック

野沢温泉村 楽しさ100%+1

先週の土曜日BSフジで放送された「わがまま、気まま、旅気分」という番組を見ました。

この番組はタレントの野々村真さんと息子さんが冬の野沢温泉村を訪れその魅力を紹介する番組です。

野沢温泉村にスキーが伝来して101年、村内には36のコース国内屈指のスキー場があるそうです。野々村真さん親子がスキーをしていると「野沢菜+スキー」から名付けられたマスコットのナスキーが登場して競争をしました。+1とはナスキーが遊んでくれる事でした。


スキーを楽しんだ後野々村真さん親子は温泉街に来て野沢温泉のシンボル麻釜にいました。村には源泉が30ほどあり麻を茹でて皮をを剥きやすくするそうです。野沢温泉の台所と呼ばれているそうです。野々村真さん親子は茹でた野菜を美味しそうにいただいていました。


野々村真さん親子はお土産屋にやってきました。フキヤ商店のこしあん、つぶあん、栗入りの3種類の饅頭を食べました。野沢菜は野沢温泉が発祥地で息子さんはお母さんに野沢菜のラー油やリンゴのシュークリームを買っていました。

続いて地酒専門店の富屋酒店さんに行き野沢温泉村名産の水尾を試飲しました。野々村真さんは水尾が気に入り買って帰りました。野々村真さん親子はサンアントンジャムさんでいろいろな種類のジャムを食べていました。


野々村真さん親子は旅館さかやさんに行きました。17代続く老舗旅館で源泉から引くお湯はかけ流しの硫黄泉です。料理も豪華で金糸瓜はつゆにつけて食べ岩魚、鯉、の刺身に岩魚まぁーすという岩魚と野沢菜、信州味噌をブレンドした料理を食べていました。


村内には13の温泉浴場があり大湯と呼ばれる共同浴場に行きました。熱湯とぬる湯があり名古屋から来たお客さんにインタビューしていましたが来て良かったと絶賛していました。


野々村真さん親子は日本スキー博物館を訪れました。スキーが伝来した頃はストックを1本の杖を使ってしていました。昭和25年に後楽園球場でスキーをした記録の紹介などがありました。

野々村真さん親子はかんじき作り体験をした後民宿とうふやさんにお昼を食べに行きました。豆腐自慢のお店で野沢温泉の澄んだ水を使い60年の歴史のあるお豆腐屋さんです。野々村真さん親子はおぼろ豆腐や地元の豚を使った豆乳しゃぶしゃぶを美味しそうに食べていました。その後上の平スキー場に行き野沢菜のガーリックステーキや野沢菜のピザ、野沢菜のパン、野沢菜ソフトクリームを食べていました。


野沢温泉村については特に気にしてなかったですが地元にこんなに素晴らしい場所があったとは知りませんでした。僕は長野市に住みながらもスキーはした事がなくもったいない事をしていたと思いました。野沢温泉村の良さを知った番組で見て良かった番組でした。  


2013年01月28日 Posted by プラネマン at 05:44Comments(0)長野市周辺登場テレビ番組

ウォリアーズ対千葉 テレビ観戦

今日1月27日にNHKで放送されたプロバスケットボールBJリーグの信州ブレイブウォリアーズ対千葉ジェッツの試合を見ました。
この試合はホワイトリンクで行われた2連戦の2戦目です。前売り券は買ってありましたがBJリーグ代表の河内氏がテレビ解説をすると聞きテレビ観戦にしました。

第1Q残り7分49秒0対7で信州がタイムアウトをしました。昨日と展開が似てきて嫌な予感がしました。残り3分で7対16、この回は12対30とウォリアーズ18点ビハインドで終了しました。河内氏の解説では千葉の一番強い所でディフェンスが回っている事やフィールドゴールがウォリアーズ21%、千葉が59%でウォリアーズの決定力不足は深刻でした。


第2Q開始1分半でウォリアーズはすでに3ファールと厳しい展開になってきました。残り6分37秒ウォリアーズが3ポイントを2回決め18対34で千葉タイムアウト、この後ウォリアーズが流れをつかみかけましたが相手の反則で2スロー貰ったのに決められないなど流れが上手く掴めません。

オフィシャルタイムアウトでウォリアーズ20対36、残り3分39秒ウォリアーズが3ポイントを連続で決め26対36で千葉タイムアウト、この回は16対12とウォリアーズ好調だったものの28対42で一時8点差まで詰めたのに14点ビハインドで前半戦を終了しました。リバウンドはウォリアーズ22で千葉27、フリースローはウォリアーズ56%、千葉81%昨日に引き続きフリースローの決定率が悪いのが気になりました。


第3Qは残り5分24秒38対48で千葉タイムアウト、このタイムアウトで千葉が息を吹き返し残り4分31秒38対53でウォリアーズタイムアウト、終了間際ウォリアーズが反則をして千葉に2フリースローとボールの権利を与え千葉にチャンスを与えてしまい残念でした。この回17対21で45対63でウォリアーズ18点ビハインドでこの回が終了しました。


第4Q残り7分10秒49対75でウォリアーズ26点ビハインド、ウォリアーズも見せ場はあったもののこの回20対24で65対87で千葉が勝ちました。
第2Qの良い動きがもう少し出来たらな‥と残念に思いました。フィールドゴールの成功率がウォリアーズ34%千葉46%、フリースローウォリアーズ62%千葉74%とウォリアーズ攻撃の精度を上げて欲しいと思います。ウォリアーズこれでチームワーストの8連敗と泥沼ですが選手、関係者の努力を期待したいと思います。  


2013年01月27日 Posted by プラネマン at 23:28Comments(0)信州ブレイブウォリアーズ

ウォリアーズホワイトリンク初登場  対千葉

昨日1月26日にホワイトリンクで開催されたプロバスケットボールBJリーグの信州ブレイブウォリアーズ対千葉ジェッツの試合を見に行きました。

当日は大雪が降っていました。ケーブルテレビで放送があるので会場に行くのをやめてテレビ観戦をしようかな‥と考えましたがホワイトリンクはまだ行った事が亡くなりこの機会を逃せば行く事がないだろうな‥という思いと前売り券を買っていたので会場に行く事にしました。


雪の中でしたが想像以上にお客さんが入っていました。両チームの旗やBJリーグの旗で客席を占めていた場所やビジョンを設置していて開放していない場所もありましたがそれでも想像以上にお客さんが入っていました。

僕は3階席を前売り券で買いましたがホワイトリンクは傾斜があり3階席でも思った以上に良く見えこれで2日通しで800円ならお得だと思いました。


前半戦好調だったウォリアーズですが現在6連敗中で6位のウォリアーズですが後半戦の最初の試合をホワイトリンクの観客の後押しで勝ち勢いをつけて欲しいと思いました。千葉は新リーグに行ってしまうので勝って送り出す事を期待しての観戦でした。


スターティングメンバーは呉屋選手、グリーン選手、斎藤崇人選手、斎藤洋介選手、モリス選手でした。この試合はホワイトリンクのイメージからウォリアーズは白いユニフォームを着ての試合でした。

第1Qは信州劣勢で7分14秒0対8で信州60秒タイムアウト、斎藤崇人選手が連続3ポイントを決めて信州反撃開始。残り5分で9対11と2点差まで詰めましたが残り3分11対15、この回は15対22で7点ビハインドで終了しました。

第2Qは信州がミスが多く残り5分45秒23対35で信州60秒タイムアウト、4分48秒オフィシャルタイムで25対38で信州13点ビハインド、その後信州反撃をしてダンクシュートでブザービートを決めて36対45と9点ビハインドで前半戦を終了しました。


第3Q千葉ペースで試合は進み残り5分55秒41対54で信州タイムアウト、残り2分36秒再び信州タイムアウト、残り1分35秒45対65で20点差に開き47対67でこの回終了、


第4Qは千葉が先制しますが信州も反撃開始、オフィシャルタイムアウト時点で60対76、その後信州がペースをつかみ残り1分28秒71対84になりました。しかし時すでに遅く最後はファールゲームになり75対91でウォリアーズが敗れました。


フリースローの失敗が多かったのが痛かったと思いました。失敗する毎にあぁ‥という気持ちになり緊張感が無くなっていきました。もう少し決まっていれば締まった試合になったと思います。ゴール下の攻防も競り負ける展開が多く昨シーズンから見れば劣化したイメージがしました。


今回は2545人のお客さんが集まりました。ウォリアーズ初観戦の人も多かったので負けるにしても粘って欲しかったと思います。前半戦の好調はマーシャル選手頼みだったのか‥と思い僕のウォリアーズ観戦の中ではワーストマッチでした。この敗戦で泥沼の7連敗になりましたがここは関係者の腕の見せ所、後半戦は千曲市など北信開催が多く動員も期待できるので盛り返して欲しいと思いました。


ジャスパースの皆様のパフォーマンスも見応えがありバック転を連発する場面は圧巻でした。ホワイトリンクも想像以上に良い会場でオリンピック施設の有効活用のためにもウォリアーズに頑張って欲しいと思いました。

後半戦は始まったばかりなのでウォリアーズの巻き返しを期待しています。


写真は入口で貰った袋の中にカードが入っていました。背番号32番のモリス選手とジャスパースのしおりちゃんのカードでした。  


2013年01月27日 Posted by プラネマン at 09:58Comments(0)信州ブレイブウォリアーズ

キック KURSH 久保優太67 キロ初代王者

スポーツ専門チャンネルGAORAでキックボクシングのKRASHを見ました。この試合は今年の1月14日に東京代々木第2体育館で開催された新春特別興業を3時間の特番で放送したものでした。新設された67キロ級の初代王者決定トーナメントを軸に天才野杁正明選手出場など見応えのあるカードがめじろ押しでした。

帰宅するとちょうど67キロ級王者決定トーナメントの一回戦が始まるところでした。第1試合は名城裕司選手対モロッコから来日したアブデラ、エスビリ選手の対戦でした。名城選手は2011年の70級王者で優勝候補、エスビリ選手は久保優太選手と対戦して敗れた事がありリベンジを狙っての参戦でした。

名城選手は時間内に体重が落ちず1ポイント減点からのスタートでした。1ラウンド開始早々エスビリ選手のフックがヒット、右ハイキックやパンチが冴えてエスビリ選手10対9とみました。2ラウンド名城選手も反撃して10対10のイーブン、3ラウンド名城選手ロープを背負ったり劣勢でエスビリ選手10対9、個人的には減点ポイントも合わす30対27でエスビリ選手の勝ちと見ましたがジャッジは30対28が2人、30対27が1人で3対0でエスビリ選手が勝ちました。


第2試合山本優弥選手対塚越仁志選手の対戦でした。山本選手は一時は引退を決意しますが格闘技が好きだと気付きカムバックしてきました。塚越選手は63キロ級から階級を上げての挑戦でした。

1ラウンドは塚越選手手数やスピードが冴えて10対9、2ラウンド山本選手にドクターチェックが入りました。塚越選手ヒザを的確に決め10対9と優勢でしたが3ラウンドに山本選手が左フックでダウンを奪いました。両選手フラフラの中で山本選手が1分59秒左フックでKO勝ちをしました。大逆転勝利でした。


第3試合は優勝候補の久保優太選手対TACA選手の対戦でした。久保選手2ラウンドに鮮やかボディブローで勝ちました。

第4試合は松倉信太郎選手対牧平圭太選手の対戦でした。松倉選手は70キロ級のユースチャンピオンで21才、牧平選手は23才で次世代を担う選手同士の対戦でした。

1ラウンドはスピーディーな展開でイーブン、2ラウンドは松倉選手が蹴りにパンチを合わせダウンを奪い松倉選手10対8と優勢、3ラウンドは牧平選手がローキックで盛り返し10対9、個人的には29対28で松倉選手の勝ちと見ましたがジャッジは30対28が2人、30対27が1人で3対0で松倉選手が勝ちました。


続いて63キロ級に野杁正明選手が登場しました。対戦相手は西山誠人選手で19才野杁選手に対して西山選手35才と対称的な対戦でした。1ラウンド野杁選手がローを中心に攻め終了間際には正確にパンチを当てて10対9、2ラウンドにパンチで最初のダウンを奪いローブに詰めて連打で2回目のダウンを奪い左フックで3回目のダウンを奪い1分56秒KO勝ちをしました。野杁選手海外の強豪選手とのマッチメイクを期待してます。


67キロ級トーナメント準決勝第1試合は山本選手対エスビリ選手の対戦でした。1回戦のダメージを見る山本選手は顔が腫れていてエスビリ選手が優勢とみました。1ラウンドは10対10のイーブン、2ラウンドエスビリ選手のスピードが冴えて10対9でエスビリ選手、3ラウンド山本選手が前に出るとエスビリ選手が下がり始め山本選手が前半の劣勢を跳ね返して10対9、29対29とみましたがジャッジも3者29対29、延長戦になりました。両選手激しい打ち合いになりましたがローブを背負った分だけエスビリ選手が優勢だと思いました。ジャッジはエスビリ選手が2人、山本選手が1人で2対1でエスビリ選手が勝ちました。山本選手惜しかったですが1回戦のダメージを跳ね返す気合いが入ったナイスファイトでした。


準決勝第2試合久保選手対松倉選手は1ラウンド久保選手が前蹴りでダウンを奪い久保選手10対8、2ラウンドも久保選手10対9、3ラウンド松倉選手が根性を見せた場面がありましたが久保選手10対9、30対26で久保選手の勝ちと見ましたがジャッジは30対27が1人、30対26が2人、3対0で久保選手が勝ちました。


決勝戦は久保選手対エスビリ選手の対戦でした。準決勝のダメージを見ると久保選手有利かと思いましたが1ラウンドは久保選手優勢で10対9、2ラウンドは10対10でイーブン、3ラウンドエスビリ選手が反撃をして久保選手劣勢になりエスビリ選手10対9、29対29と見ましたがジャッジも3人共に29対29、延長戦はエスビリ選手がヒザで優勢かと思い個人的にはエスビリ選手10対9と見ましたがジャッジはエスビリ選手10対9が1人、10対10が2人で再々延長戦になりました。久保選手のパンチの何割かがクリーンヒットして最後はロープに詰めて久保選手が10対9とみました。ジャッジも3人久保選手で久保選手がトーナメントを制し初代67キロ級王者になりました。


久保選手以外にもエスビリ選手や山本選手など健闘して素晴らしいトーナメントでした。この日首都圏は大雪だったそうですが雪を吹き飛ばす素晴らしい興業でした。エスビリ選手や山本選手に優先的にタイトルマッチを組んで欲しいと思いました。出場した選手の皆様お疲れ様でした。格闘技界を盛り上げる活躍を期待してます。

写真は1987年に旧全日本キック連盟にロブ、カーマン選手が初来日してムエタイ王者を秒殺した時の写真です。イメージで貼っておきました。
  


2013年01月26日 Posted by プラネマン at 22:16Comments(0)キックボクシング

仔犬のてんちゃん 2回忌

わが家は6才になるメスのトイプードルを飼っています。毎日何時に帰っても必ず迎えにきます。僕は愛犬が来てから旅行や外泊はした事がなく愛犬がいて当たり前の生活になっています。

先日、僕が帰ってくると愛犬がいなかった事がありました。ドリミングに出したところ遅くなっている‥という事でしたが違和感がありました。ポッカリと穴の空いたような空気が家の中を漂っていましたがかつて一度だけ似たような事がありました。


2年前の正月に愛犬が仔犬を生みました。天使のような可愛さからてんちゃんと名付けました。てんちゃんは特別何かをするわけではなく1日の大半を寝て過ごしていますが日に日に大きくなっていくのは楽しみでした。


てんちゃんは1月26日に亡くなりましたがてんちゃんがいないだけでしばらくは家の中に穴が空いたようでした。愛犬がいなくなった時てんちゃんが亡くなった時の淋しさを思い出しもう2年も過ぎたのか‥と時の流れの速さに驚かされました。そして愛犬も2年の間に老けたな‥と感じています。


てんちゃんもまさか1ヶ月で亡くなるとは思わなかったので写真をあまり撮れず後悔しています。この写真は愛犬とてんちゃんがストーブにあたっている場面を撮影したものです。


僕は愛犬が来てから外泊はしていませんが短い犬の一生で少しでも多く時間を共にしたいと思っているからです。てんちゃんがもしも生きていれば飼い主から受けただろうと思う愛情をてんちゃんの分まで愛犬に注いであげたいな‥と思っています。


てんちゃんと愛犬が生きたこの家を大事にしながら愛犬を可愛がってあげたいと思います。仔犬のてんちゃん短い期間でしたがわが家に来てくれてありがとうございました。安らかに眠って下さい。  


2013年01月26日 Posted by プラネマン at 10:40Comments(0)愛犬の日

星座紀行 世界の夜空の大絶景

昨日1月24日にNHK、BSで放送されたコズミックフロントという宇宙や天文の番組を見ました。

今回は「星空の狩人」というテーマで放送され世界各地で星空にロマンを追い求める人が紹介されました。

まず始めに山梨県甲府市で年に一度ライトダウンで星を取り戻すイベントが紹介されました。ここ数年のイベントは雨が多かったそうですが今回は無事に行われました。その時の参加者のインタビューを交え放送されましたが皆楽しそうに見えました。


続いて世界が注目するアメリカの星空カメラマンが登場しました。このカメラマンは農業の傍らこま撮りをして風景と星を移動させる作品を撮影しています。機材をレールに乗せてカメラを30秒開放するそうです。肉眼で見えない星も綺麗に写り感動的でした。

このカメラマンはリゲル、アルデバラン、カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウスの6つの一等星で天空の六角形を撮影しようと試みました。

撮影に最適な湖を見つけましたが霧で失敗しました。このカメラマンの故郷の800キロ南のサウスダコタという場所に行き六角形の撮影に成功、この年では10回目のチャレンジで成功したそうです。


続いて南米パラナル天文台のスタッフの取り組みが紹介されました。

日本では国立天文台の渡辺潤一氏が登場しました。渡辺潤一氏はりゅうこつ座のカノープスに憧れを持っています。カノープスは北緯37度が北限で本州では水平線ギリギリに見え低い位置で見えるので赤く見えます。


千葉県外房ではカノープスは布良星(めら)と呼ばれているそうです。布良星を見るために私的な観測室を作った人達が紹介されました。この日は観測に成功して漁り火の上にカノープスが見えロマンチックだと思いました。


長野県木崎湖では竜が湖面を渡って行くという伝説がありそれがカノープスではないか?と新聞に書いた人がいました。木崎湖は北緯36度で理論的には可能になります。報道カメラマンの丸山さんは木崎湖でカノープスの撮影にチャレンジしました。丸山さんは六年目131回目の挑戦で木崎湖からカノープスを撮影に成功しました。何年か前に長野市立博物館さんで天体写真展がありこの時の写真を見た事があります。感動的な写真展でした。


国立天文台の渡辺潤一さんは南向きに開けた自宅を購入しました。この日カノープスを自宅で見れました。中国ではカノープスを南極寿星といい滅多に見れないので見ると良いことがあると言われています。

僕は一度だけカノープスを見た事があります。現在は閉館してしまいましたが岐阜ユースホステルでは泊まりで天文のイベントをしていました。双子座流星群の観望会をした時偶然にカノープスが見れました。しばらくして仕事帰りに僕は土手を自転車で走っていましたが女学生が携帯電話で話中にハンドルを切りそこねセンターラインを超えて僕の方に突っ込んできました。ライトが目に入った時は真面目にひき殺されると思いました。クルマは僕を跳ねて土手下に落ちていきました。幸いかすり傷で済みましたが今から思えばカノープスの功徳だったかな?と番組を見ながら思いました。


僕は実際に望遠鏡を使うほど専門的ではありませんが星空にロマンを感じている人を見ると刺激を受けてもっともっと星や宇宙について学びたいと思いました。見応えのある一時間でした。  


2013年01月25日 Posted by プラネマン at 21:20Comments(0)天文、宇宙

篠原ともえ 極夜を彩る星への願い

昨日1月24日にNHK、BSで放送された「旅のチカラ、極夜を彩る星への願い、篠原ともえ フィンランド」を見ました。

宙ガールとして売り出し中の篠原ともえさんはかつては天文部に所属していた天文ファンですが篠原ともえさんが天文ファン憧れの地フィンランドのラップランドに行きその様子が放送されました。


篠原ともえさんは現住民のサーミ族の住む村に行きました。そこの冬は太陽は地平線の下に隠れ1日に3時間程しか明るくなりませんが星を頼りにトナカイを追って生活した民族で星に対してどんな思いがあるか楽しみでした。

篠原ともえさん一行はまずイナリという場所に行きました。イナリは人口約7千人でサーミ族の人々が暮らしています。イナリ湖はフィンランドで3番目に大きな湖で豊かな自然がある街です。


篠原ともえさんはイナリで牧夫の少年と知り合い家に招待されました。トナカイの料理を食べたりサーミ族の星についての話を聞きました。

サーミ族ではトナカイの星座がありカシオペアがトナカイの角で双子座がトナカイのお尻オリオン座がトナカイの爪にあたります。日本で見れる3つの星座が繋がってトナカイになっています。トナカイの鼻の部分が牡牛座のアルデバランで真っ赤なお鼻のトナカイさんの歌のようになっています。


サーミ族の神話でアルクツールスの場所がフィルナと呼ばれシリウスの場所がカッラと呼ばれています。二人は同じトナカイを狙い弓を引きましたが北極星に矢が当たり跳ね返った矢で二人の息子と娘がイナリ湖に落ちてしまい最初のサーミ族が生まれたという神話があるそうです。

篠原ともえさんが訪れた日は夜の8時でマイナス25度、星は見えず朝6時に星が見え始め北極星が頭上の高いところにありました。
星が出るのを待っている間篠原ともえさんは牧夫の少年のお母さんに1日中闇で怖くないですか?と聞きましたが「闇が怖いというのは人間の心理がもたらすものでそこには星の灯りもあり何もないわけではない」と言っていたのが印象的でした。


滞在2日目に篠原ともえさん一行はノルウェーの国境近くの最北端の街ウツヨキに行きました。ウツヨキは人口千三百人程の街ですが暗くても朝の8時には学校に行きました。篠原ともえさんはウツヨキの小学校でサーミ族に伝わる星の歌を歌ったり牧夫をしている女性に会いました。その女性は隣の国ノルウェーからやって来たそうでした。小さな頃から牧夫をしていたお父さんの手伝いをしてトナカイと親しんで暮らしていましたがお父さんが亡くなりトナカイを全て売りました。しかしトナカイの牧夫の仕事がしたいと思い探しているうちにウツヨキにたどり着いたそうです。


篠原ともえさんは牧夫の女性の仕事場に案内されました。トナカイを食肉用に選別する仕事をしていました。トナカイも仲間と引き離され興奮していましたが牧夫の女性がサーミ族に伝わる歌を歌うと落ち着いてきました。

篠原ともえさんは牧夫の女性と北極星に思いを託すサーミ族の歌を歌いながら星を見ました。最後にオーロラが見えて感動的でした。篠原ともえさんはカラフルな色彩が好きだと言っていましたが何もない白い雪原に居ると心が白くなる‥と言っていたのが印象的でした。

最後にサーミ族の子供達が日本の七夕をモチーフに短冊に願い事を書いて星に奉納しました。

今回訪れた地は物が豊富に溢れている場所ではありませんでしたが皆心が豊かなで日本の方が閉塞感に包まれていたりで住みにくい感じがしました。サーミ族の何かがおきて自分の心が反応した時に歌が生まれる‥というそんなサーミ族の言葉が素敵だと思いました。

あっという間の一時間でしたが見応えがありました。篠原ともえさん素晴らしい番組をありがとうございました。これからも宙ガールとしてますます活躍を願っています。  


2013年01月25日 Posted by プラネマン at 06:16Comments(0)天文、宇宙

土星の衛星タイタン もう1 つの地球

先週の日曜日1月20日にNHK、Eテレで放送されたサイエンスZEROという番組で放送された「地球外生命の大本命、土星の衛星タイタン」を見ました。

オープニングに全長400キロの大河、岩がたくさんある砂漠、フィヨルドのような地形の写真が紹介されましたがそこは地球上ではなく土星の衛星タイタンでした。

1997年10月に衛星カッシーニは土星と衛星の調査に出て7年で土星に着き調査機ホイヘンスをタイタンに送りました。

石の角がとれて丸くなっている=川の中を流れた事を示し北極には湖が数百あり日本列島に匹敵する大きさの湖がありました。ホイヘンスが風を切っている音が録音されていて大気がある事を示していました。大気がないと海、川、湖は出来ません。ここで実験をしました。箱の中の空気を抜きました。そうなると気圧が下がり箱の中の水が沸騰してきました。液体が存在しているので大気がある事が分かりました。


タイタンの液体はメタンで地球上では天然ガスで存在しています。タイタンの大気に有機物がある事が分かりました。これは7つの複雑な有機物で大気中のメタンが紫外線で分解されて科学反応が起きているそうです。

カッシーニのデータを分析して紫外線を当てるとアデニンの分子構造になりました。アデニンはDNAを作っている物質で生命の物質になるものが大気中に漂っている事が分かりました。


去年6月カッシーニがタイタンの南極でメタンの雲をとらえました。タイタンは地軸が26度傾き30年かけて太陽の周りを一周します。日向の部分は夏になりメタンの海が蒸発して雲になりその雲が雨になり大気中に漂う有機物を含んで地上に降ります。


カリブ海のトリニダトドバコという国のピッチ湖は地下に油田があり天然のアスファルトを出しています。そこはタイタンのメタンの海と環境が似ていますが新種の微生物が600種いて水に依存せずアスファルトで暮らしていました。炭化水素を食料に出来てメタンを食料に出来ても不思議でない事が分かりました。


僕はにわかなので上手くメモをとれませんでしたがタイタンで凄い事が起きている事を知りました。宇宙は偉大で神秘だと感じた一時間でした。今後のタイタンの調査の続報が楽しみです。

土星には62の衛星がありハイぺリオンという衛星はクレーターが多くフェーベという衛星は他の衛星と違い逆向きに土星を周り違う場所からやって来て土星の軌道に乗った可能性が高い事が分かりました。イアペタスという衛星はリングが存在しましたが地表に落ちて山脈になったのではないか‥という仮設があるようです。タイタン以外にも個性的な衛星の多い土星界隈の新しい発見が楽しみです。宇宙に対する興味が益々深くなった番組でした。  


2013年01月24日 Posted by プラネマン at 20:58Comments(0)天文、宇宙

おいらん 江戸吉原遊廓の光と影

昨日1月23日にNHKで放送された歴史秘話ヒストリア「おいらんの真実〜江戸、吉原遊廓の光と影」を見ました。

江戸時代に書かれた浮世絵で当時人気があった3人を選んで描かれた浮世絵には歌舞伎役者、相撲取りと共においらんの扇屋花扇が描かれていておいらんは当時の人々から慕われていました。


吉原は江戸時代の初期は江戸城近くにありましたが江戸の街が大きくなるにつれ郊外に移転されました。広さは2万坪、周囲は堀で占められ城郭のようでした。仲之町の引手茶屋という場所でおいらんを紹介してもらいます。吉原は夢の場所、お金という現実を忘れるため財布を預けます。

まずお客さんは2階に通されひきつけ部屋という場所で待ちます。おいらんと初めて会うときは初会といい客は下座に座りおいらんや取り巻きに酒を振る舞います。おいらんは客を選ぶ権利があり初会はおいらんが上座に座ります。

身分が高いとかお金を持っているという事は吉原の中に入ると関係なく2度目に会うときは裏を返すといいここでおいらんがお客を気に入れば客はおいらんの部屋に通され馴染みになればお客の名前の箸入れが用意され夫婦のように振る舞え夜が更けると床入りと言って男女の仲になります。


おいらんと馴染みになるまでは200万円ほどかかるようですが吉原に入ると夢のような恋、理想的な恋があり権威つけているのではなく恋の気分を味わってもらうために敷居を高くしているそうです。


吉原に遊女は3千人ほどいますがおいらんと呼ばれる人は数百人に1人だそうです。美貌が優れているのはもちろん茶道や華道などはあたりまえで和歌や文芸に通じ囲碁や将棋も出来て美しい文字で文章や手紙を書けないと勤まらないそうです。

武家のお姫様以上に常に学んでいなければならず江戸のスーパーウーマンといえます。おいらんが当時のファッションのリーダーで多くの浮き世で描かれています。今でも花嫁の髪形に使われる島田髷はおいらんのファッションがルーツだそうです。

おいらんは27才で引退しなければいけませんがグループを持っていて妹分やかつてお世話になった姉貴分の面倒を見なければいけないそうです。自分を常に高めながら多くの人の世話を焼くので会うまでに費用がかかるそうです。

おいらんの多くは借金の身代わりで吉原にいるパターンが多くおいらんの願いは借金を引き受けてくれる人の嫁や愛人になり吉原を去る事にあったそうです。


明治に入り江戸文化が忘れ去られて行く中でヨーロッパでは江戸文化が見直されおいらんを描いた歌麿が紹介されたりゴッホはおいらんの描かれた浮世絵を油絵で描いたそうです。西洋では娼婦は不浄扱いにされますがおいらんは文化として扱われたそうです。


自分の描いていたおいらんのイメージと違い当時の文化に貢献したおいらんは苦しくとも健気に生きて感動的でした。知らなかった歴史の一面にスポットがあたり見応えがある番組でした。。  


2013年01月24日 Posted by プラネマン at 06:09Comments(0)NHK、ヒストリア

日本格闘技キック連盟 91冬

昨日1月22日にNHK、BSで放送されたタイ国の旅行番組で僅かな時間でしたがムエタイの試合が登場しました。廻し蹴りをダッキングで避けたり首相撲からヒザ蹴りの攻防に思わず熱くなりました。

僕は僅か3戦で消えましたが若い頃キックボクシングをしていた事があり旅行番組で見たムエタイシーンが懐かしく感じました。

僕が所属していたのは日本格闘技キック連盟といいK-1が世に出て格闘技が人々の目につく前から興業をしていた団体でした。立ち技系格闘技の最高峰のムエタイに接する事が出来た事は実り多い青春時代だったといえます。僕の青春の歴史や関西格闘技界の歴史として日本格闘技キック連盟の事を書き留めておきたいと思いました。


今回書くのは1991年1月18日に開催された日本格闘技キック連盟「北心ジム10周年チャリティーマッチ」でした。

日本格闘技キック連盟はかつてアジア太平洋キック連盟さんの傘下でやっていましたがこの興業から本格的な日本格闘技キック連盟として活動を始めこの年1991年は大阪府立体育会館第2体育館で3回興業がありました。

僕はこの興業の前に北心ジムに入門したので選手の顔と名前が一致していなかったり雑用で飛び回っていたので記憶違いもあると思いますが関西格闘技界の歴史やキックボクシングの歴史として見ていただければ嬉しく思います。


まず3回戦6試合がありました。フライ級で僕の先輩のアトム山田選手が登場しました。アトム山田選手2勝2敗1分け23才、アトム山田選手はMAキックや東京北星ジムさんの興業で後楽園ホールで試合をした事がありました。対戦相手は豊中ジムの山本登選手20才、デビュー戦でしたが後にMAキックのフライ級チャンピオンになりました。この試合は先輩アトム山田選手が勝ちました。

北心ジムの主力が移籍した後北、北心ジムの興業で活躍した仲洋幸選手がこの日デビューしました。


第7試合は4回戦、異種格闘技戦?山口貴光選手対謎の覆面キックボクサー、ミスターバトルマン選手の対戦でした。山口選手2勝2敗2KO勝ち、ミスターバトルマン選手戦績、出身地不明という触れ込みでした。覆面のためフック系のパンチが見切れないようでミスターバトルマン選手が一度ダウンをしますが最後は某格闘技団体の主力選手が正体のミスターバトルマン選手がキャリアの違いを見せてKO勝ちをしました。


5回戦北心ジムのサムチャイカム選手対豊中ジムの縄田利夫選手が対戦しました。サムチャイカム選手5勝3敗1分け2KO勝ち、23才、縄田選手2勝1敗、26才でした。

サムチャイカム選手はムエタイをベースに強力な左ミドルキックと首相撲の強さが武器で僕は何度も首相撲で転がされスパーリングでサムチャイカム選手のハイキックを食らいダウンした事がありました。縄田選手は国際式ボクシングの経験があり蹴り対パンチの対戦になりました。縄田選手もパンチで健闘してドローでした。


セミファイナルとメインイベントは日タイ国際親善試合でした。試合結果は覚えていなくて申し訳ないです。

セミファイナルは北心ジムの松尾栄治選手対タイ国のロン二ミツ、スンキラーノンキ選手の対戦でした。松尾選手は6勝1敗1分け6KO勝ちの21才、若手のホープで後にMAキック連盟のチャンピオンになりました。

メインイベントは北心ジム不破龍雄選手24才、10勝7敗4分け、相手はタイ国のプロンポン、ウォンイアンヤイ選手でした。タイ国選手の戦績は不明ですが不破選手は建材メーカーの大阪支店長で西日本各地を営業しながらキックボクシングをしていました。他団体のチャンピオンと試合をして2勝した実力派でした。

大雑把になりましたがこれが1991年1月18日の北心ジム10周年記念チャリティーマッチの内容でした。北心ジムは今年で創立32周年になります。昭和のキックボクシングの復活を目指し頑張って欲しいと思います。そして共に青春時代を過ごした日本格闘技キック連盟の皆様いろいろとありがとうございました。日本格闘技キック連盟に関わった全ての皆様のご健康とご多幸を願っています。  


2013年01月23日 Posted by プラネマン at 23:18Comments(8)日本格闘技キック連盟

檀れい 長野善光寺ゆかりの技

一昨日1月21日にBS日テレで放送された名匠の里紀行という番組を見ました。
この番組は檀れいさんが全国を周り職人の手技を発見する番組です。今年に入り同じ長野県内の小布施が紹介されましたが今回は長野市の特集で善光寺に縁のある職人さんが登場しました。

オープニングに善光寺近くの三河屋洋傘専門店さんが登場しました。現在で3代目になり店内には3千本の傘が置いてあり全てが完全手作りになるそうです。

手作りの洋傘を見せてもらいましたが二重織りなので外と中の色が違ったりふちに縫い目のない傘がありました。雨に濡れると絵が浮き出て乾くと絵が消える傘もあり芸術的でした。

制作に対して1ミリ違うと傘の形が変わってしまう繊細な作業をしていて二日酔いは厳禁、ご主人が形を作り奥さんがミシンをかける共同作業のために喧嘩をしたら仕事にならず仕事を通じて常に夫婦円満でいられるそうです。

現在使用しているミシンはドイツ製の手回しミシンで神戸の港が開港した時に輸入された物でご主人が以前神戸の博物館で自分が使用しているミシンと同じタイプの物が展示されていて感激したそうです。

布と傘の骨組みを縛る時は丁寧に縛りハサミで切らない限りは切れないそうです。伝統を守りながら一本一本丁寧に作る洋傘はどれも同じ物はなく全てがオーダーメイドで雨が降った後日陰干しすれば30年は保つそうです。

この番組を見るまでは雨さえ防げれば傘などなんでもいい‥と思っていましたが職人のこだわりの技はお金を出しても買うに値すると思いました。檀れいさんも傘を買って帰りましたが時代の流れに負けずにいつまでも続いて欲しい後世に残して欲しい職人の技でした。


続いて善光寺山門が登場しました。1750年に建立された山門は2002年〜07年にかけて平成の大修復が行われました。文化財の修理は勝手に出来ず元の雰囲気を残しダメな部分だけ作り直すそうです。

その時修理に関わった建具屋さんで篠ノ井横田にある栄建具工芸店さんの組子細工が登場しました。数々の賞を受賞した組子細工は美しくイスラム教のモスクのアラベスク模様を入れた組子細工は和洋が交じった美しい作品でした。

薄皮一枚残してパーツに使う技術など職人のこだわりや技術にただ感心するばかりでした。組子細工に魅せられて弟子入りした若い女性の仕事の様子が放送されました。若い女性の人生を変えてしまうほど日本的な美が入った作品でした。


続いて2009年に善光寺に奉納された竹垣に使われた職人の技が紹介されました。善光寺に奉納された竹垣はオリジナルな竹垣だそうですが市内合戦場にある小出竹材店さんが登場しました。小出竹材店さんの竹の作品は市内の飲食店にも飾られ日本的な美しい作品でした。

長男が表と裏で縫い目が違う花籠などの竹製品を作り次男が竹垣作りをしていました。結び目の美しさや芸術の域に達している手技の素晴らしさは文章で説明が出来ず申し訳なく思います。一本の竹が人間の手でいろいろな形に変わって行くのは感動的でした。


今回の放送では長野市に残る洋傘、組子細工、竹細工と3分野の手技や職人技が登場しました。長野市内にもこんなに素晴らしい技が残っていたと思うと感動的でした。大量生産の時代で同じ型ばかりの世の中ですが後世まで素晴らしい技が伝わって欲しいと思いました。この日登場した職人さん達のますますの活躍を願っています。  


2013年01月23日 Posted by プラネマン at 06:03Comments(2)長野市周辺登場テレビ番組

NHK街歩き 癒しの街バンコク

僕は若い頃キックボクシングを習っていた事がありました。キックボクシングはタイ国の国技ムエタイを日本流にアレンジした格闘技ですがルーツとしてムエタイには憧れがありました。実際にムエタイ選手と交流がありそのテクニックを間近で見たり付き合いがあると選手を通じてタイ国には親しみや憧れを持っています。

今日1月22日にNHK、BSでバンコクの街歩きの放送があると知り楽しみにしていました。


オープニングは朝8時のバンコクの駅でした。音楽が流れてきてその場にいた全員が直立不動で動かない状態が続きました。そこにいた人にインタビューをするとタイでは毎朝8時と夕方6次元に国歌が流れ国に敬意を示すと話していました。

街の中をさらに進むと屋台が出ていてバナナを揚げていました。シマウマの置物がたくさんありました。シマウマの置物に花を捧げていました。そこに祭られている神様はシマウマが好きだと言っていました。

宝くじを売っていました。下3ケタを当てる宝くじで番号によって値段が違い555や111、56(仏歴で2556年にあたるため)

バンコクのパワースポットの紹介がありました。エラワンの祠はビルの建設中に事故が多発して祠を作ったら事故は無くなりそれからは人気のパワースポットになったそうです。もう一ヶ所フラトリマルティに行きました。木曜日の9時半に降臨する赤いバラが大好きな神様で恋の願いを叶えてくれ女性に大人気の神様だそうです。


午前11時古い街並みが残る王宮地区にカメラは行きました。大きな仏像が並んでいるお店やリアルな僧の像など通りの店のほとんどが仏像を売っていました。両親のために仏像を寄進するのがタイの習慣だそうです。


カメラは12時のバンコクの様子を映していました。皆日傘をさしていますが日射しが強いのが理由でした。チキンカレーヌードルを売っている屋台で九官鳥が「私はチェンマイの女」「チキンカレーヌードル」と言い微笑ましく思いました。

地元の女子大生がバンコクで女性に人気のグルメの紹介をしてくれました。
3位はイエンタフォーという豆腐を発酵させたピンクの色をした香料で麺を食べる料理、

2位はもち米マンゴー、もち米にマンゴーを加えてココナッツミルクで混ぜるスイーツを紹介していました。
1位は豚足でしたが味の秘訣は教えてくれませんでした。


午後1時にワットホーと呼ばれるお寺に行きました。お寺の奥で体操をしている人がたくさんいました。この体操はルーシータットンと呼ばれ森で修行した僧が筋肉痛になり自分で治した体操だそうです。この日はマッサージ師が自分の身体をほぐしていました。

寝釈迦が映りました。高さ15メートル、奥行きが46メートルで足の裏は平になるそうです。


バンコク近郊の観光スポットが紹介されました。バンコクから南西に80キロ、クルマで2時間ほどの水上マーケットに行き象に乗って歩けるエレファントビレッジの様子が放送されました。


午後4時のバンコク、ムエタイを習う少年達に会いジムに見学に行きました。4才の子供もムエタイを習い4才の子供は蹴った時にガードが低いと腕立て伏せをさせられ本人には気の毒ですが微笑ましく思いました。お父さんがわが子の練習に付きっきりでムエタイの強さは小さな頃からの鍛練にあるのだと思いました。

夜の8時の市場ではお供え用の蓮の花を売っていました。市場は24時間営業で昼間も営業はしていますが昼間は暑いので夜の方が人通りが多いそうです。


夜10時の繁華街は屋台がごっちゃに入り組んでいて外人も多く賑わっていました。繁華街のスクリーンにはムエタイの試合が映し出されていました。僅かの時間でしたが廻し蹴りをダッキングで避けたり首相撲からヒザ蹴りの攻防になっていて興奮してきました。


仏教を基準にしながらもいろいろな神様を認めるタイの風習は日本に共通していると思いました。礼儀正しく信仰心が篤く微笑みの国のキャッチフレーズが似合う国だと思いました。

水上マーケットで売っていたラーメンや果物類も食べてみたくなりました。

ムエタイを扱った時間は僅かでしたがスクリーンで見たファイトは凄みがありました。

見応えのある一時間でした。現役の頃タイに行けばよかったな‥と後悔しましたがタイは親日的な国だと聞きました。日本とタイ共に栄えて欲しいと思いました。タイの魅力が詰まった素晴らしい番組でした。  


2013年01月22日 Posted by プラネマン at 22:50Comments(0)旅のテレビ番組

大平貴之 体感プラネタリウムで宇宙旅

昨日1月20日にテレビ東京で放送された「ソロモン流、世界初驚異の星空を作った男、大平貴之」を見ました。


僕は1人でプラネタリウムに出かけるほど星が好きで年間30回近くプラネタリウムや天文のイベントに出かけていますが地方に住んでいるのであまり大平貴之さんの活動を知る機会がありませんでした。

偶然テレビ欄で体感プラネタリウムの文字を見つけて番組を見る事にしました。
午後10時の放送だと勘違いしていましたがすでに番組は始まっていました。大平貴之さんが開始直前に手直しをしていて現代では絶えてしまった一流の職人を見ているようでした。


番組の中で去年の11月23日に公開されたスタークルーズプラネタリウムの紹介がありました。

地球〜太陽系の惑星間を旅行してロケットは銀河を超えて大宇宙に行く物語でした。3Dスカイウォークといい通常のプラネタリウムは2次元投影ですがリアル3Dなので星の中を歩いているように見えるそうです。

大平貴之さんは雑誌の取材を受けた後FM東京に行きラジオ出演しました。海外からのプラネタリウム制作の依頼は頻繁にきてこの日はバンコクから商談に来られタイの教育現場で大平貴之さんのプラネタリウムを使用したいと話していました。大平貴之さんの多忙さが画面から伝わってきました。

カメラは大平貴之さんの自宅に訪問して大平貴之さんの原点と言える初期のプラネタリウムが放送されました。大平貴之さんは1970年川崎市生まれ、小4で宇宙に思いをはせるようになり小5でプラネタリウムを作ったそうです。高価なレンズが欲しくなり電話帳でレンズを扱っていそうな会社に電話をして熱意に負けた会社が大平少年にレンズを進呈した‥というエピソードが放送されました。


高校2年でハレー彗星をオーストラリアで見てから本格的に取り組むようになったそうです。2004年にはギネスの世界記録を作りました。その頃は3万個ほど星が投影出来たみたいですが大平貴之さんのギネスのプラネタリウムは560万個の星が見え現在ではさらに進化して2200万個の星が見えるそうです。

大平貴之さんは40を過ぎてからボクシングジムに通い始めトレーニングの様子が放送されました。


大平貴之さんは大きなプロジェクトをしていて「SPACE BALL」という360度大宇宙の移動式体感シアターを制作していました。

当初の図面と台のサイズが違い予定より6時間遅れが出ましたが19台のプロジェクターを設置しました。今度は映像が2重に見えコンピュータのプログラムに問題が見つかりました。何とかクリアした大平貴之さんですが最後まで色彩を検討していて妥協しない事が凄いと思いました。


去年の12月15日にスペースボールは一般公開され12分間の宇宙旅行が体験できるそうです。インタビューを受けた子供達は絶賛して宇宙に興味を持った‥と言っていました。


仕事に夢中になっている大平貴之さんは髪の毛をセットされても気にならないほど集中して凄いと思いました。子供の頃の夢を叶えさらに進化している事が素晴らしいと思いました。ただ感動の連続でした。感動を上手く文章に出来ませんが僕も宇宙についてもっともっと知りたくなりました。もしも高校生だったら宇宙について学べる学部学科に進学したいな‥と思うほど強い影響力のある番組でした。


プラネタリウムは学習の延長やデートコースなど特定の人しか利用しないイメージがありますが大平貴之さんはプラネタリウムのイメージを変えて宇宙の素晴らしさを広く人々に教えてくれる‥と確信しました。


大平貴之さん素晴らしい番組をありがとうございました。これからのますますの活躍を願っています。  


2013年01月21日 Posted by プラネマン at 21:59Comments(0)プラネタリウム

NHK らららクラシック 21世紀のピアニスト特集

昨日1月20日NHK、Eテレで放送された らららクラシック 21世紀のピアニスト特集を見ました。


日本人はピアノが好きでピアノのコンサートは年間3千を超えるそうです。ピアノ好きな日本人のために一時間枠全てがピアノの特集で楽しみでした。現在活躍しているピアニストを分類別に分ける企画がありました。


1、圧倒的技巧グループ
リストに代表されるグループでデニス、マツーエフ氏とピエール、ロラン、エマール氏が紹介されましたデニス、マツーエフ氏は1972年ロシア生まれグリークの「山の王の宮殿で」が演奏されました。初登場の演奏でN響のアンコールシーンが放送されました。大きく体力のある身体を有効に使い素晴らしい演奏でした。

ピエール、ロラン、エマール氏は1957年フランス生まれでアイヴス作曲のピアノソナタ第2番が放送されました。不協和音や難解なリズムの多いアイヴスの曲を見事に演奏していました。


2、知的洞察グループ
楽譜の研究を熱心に行うグループで1953年ハンガリー生まれのアンドラー、シフ氏が代表ピアニストでした。バッハの平均律第2巻が演奏されました。バッハなどの譜面を深く掘り下げ研究、幅広く文学、歴史、哲学について学んで行く事を奨励していました。


3、独走的独創グループ
伝統にとらわれないタイプの演奏家で1982年中国生まれのラン、ラン氏が紹介されました。ラン、ラン氏は1995年仙台で開催されたコンクールで優勝、北京オリンピックでも演奏した事がある実力派でリスト作曲の「慰め第2番」が演奏されました。

続いて1970年トルコ生まれでムソグルスキーの「展覧会の絵、キエフの門」が演奏されました。この曲を人類の共通語と実感したそうです。


4、コンクールの覇者
2010年ショパン国際ピアノコンクールで優勝したユニアンナ、アヴデーエフ氏がワーグナー作曲ダンホイサー序曲を演奏しました。1965年以来の女性による受賞者になるそうです。

2011年チャイコフスキーピアノコンクール優勝したダニール、トリフォノフ氏がヨハンシュトラウス作曲「こうもり序曲」を演奏しました。短い期間で2つの大きなコンクールを制した実力派でした。


5、巨匠
イタリアの巨匠と呼ばれるマウリツィホ、ポリー二氏がベートーベンピアノソナタ第31番を全楽章演奏をしました。ベテランらしい悟りを感じるような演奏でした。


あっという間に一時間が終わってしまいましたがピアノ三昧の一時間を楽しめました。自分でもピアノを弾いてみたいと感じる一時間でした。  


2013年01月21日 Posted by プラネマン at 05:43Comments(0)NHK らららクラシック