日本格闘技キック連盟 91冬

昨日1月22日にNHK、BSで放送されたタイ国の旅行番組で僅かな時間でしたがムエタイの試合が登場しました。廻し蹴りをダッキングで避けたり首相撲からヒザ蹴りの攻防に思わず熱くなりました。

僕は僅か3戦で消えましたが若い頃キックボクシングをしていた事があり旅行番組で見たムエタイシーンが懐かしく感じました。

僕が所属していたのは日本格闘技キック連盟といいK-1が世に出て格闘技が人々の目につく前から興業をしていた団体でした。立ち技系格闘技の最高峰のムエタイに接する事が出来た事は実り多い青春時代だったといえます。僕の青春の歴史や関西格闘技界の歴史として日本格闘技キック連盟の事を書き留めておきたいと思いました。


今回書くのは1991年1月18日に開催された日本格闘技キック連盟「北心ジム10周年チャリティーマッチ」でした。

日本格闘技キック連盟はかつてアジア太平洋キック連盟さんの傘下でやっていましたがこの興業から本格的な日本格闘技キック連盟として活動を始めこの年1991年は大阪府立体育会館第2体育館で3回興業がありました。

僕はこの興業の前に北心ジムに入門したので選手の顔と名前が一致していなかったり雑用で飛び回っていたので記憶違いもあると思いますが関西格闘技界の歴史やキックボクシングの歴史として見ていただければ嬉しく思います。


まず3回戦6試合がありました。フライ級で僕の先輩のアトム山田選手が登場しました。アトム山田選手2勝2敗1分け23才、アトム山田選手はMAキックや東京北星ジムさんの興業で後楽園ホールで試合をした事がありました。対戦相手は豊中ジムの山本登選手20才、デビュー戦でしたが後にMAキックのフライ級チャンピオンになりました。この試合は先輩アトム山田選手が勝ちました。

北心ジムの主力が移籍した後北、北心ジムの興業で活躍した仲洋幸選手がこの日デビューしました。


第7試合は4回戦、異種格闘技戦?山口貴光選手対謎の覆面キックボクサー、ミスターバトルマン選手の対戦でした。山口選手2勝2敗2KO勝ち、ミスターバトルマン選手戦績、出身地不明という触れ込みでした。覆面のためフック系のパンチが見切れないようでミスターバトルマン選手が一度ダウンをしますが最後は某格闘技団体の主力選手が正体のミスターバトルマン選手がキャリアの違いを見せてKO勝ちをしました。


5回戦北心ジムのサムチャイカム選手対豊中ジムの縄田利夫選手が対戦しました。サムチャイカム選手5勝3敗1分け2KO勝ち、23才、縄田選手2勝1敗、26才でした。

サムチャイカム選手はムエタイをベースに強力な左ミドルキックと首相撲の強さが武器で僕は何度も首相撲で転がされスパーリングでサムチャイカム選手のハイキックを食らいダウンした事がありました。縄田選手は国際式ボクシングの経験があり蹴り対パンチの対戦になりました。縄田選手もパンチで健闘してドローでした。


セミファイナルとメインイベントは日タイ国際親善試合でした。試合結果は覚えていなくて申し訳ないです。

セミファイナルは北心ジムの松尾栄治選手対タイ国のロン二ミツ、スンキラーノンキ選手の対戦でした。松尾選手は6勝1敗1分け6KO勝ちの21才、若手のホープで後にMAキック連盟のチャンピオンになりました。

メインイベントは北心ジム不破龍雄選手24才、10勝7敗4分け、相手はタイ国のプロンポン、ウォンイアンヤイ選手でした。タイ国選手の戦績は不明ですが不破選手は建材メーカーの大阪支店長で西日本各地を営業しながらキックボクシングをしていました。他団体のチャンピオンと試合をして2勝した実力派でした。

大雑把になりましたがこれが1991年1月18日の北心ジム10周年記念チャリティーマッチの内容でした。北心ジムは今年で創立32周年になります。昭和のキックボクシングの復活を目指し頑張って欲しいと思います。そして共に青春時代を過ごした日本格闘技キック連盟の皆様いろいろとありがとうございました。日本格闘技キック連盟に関わった全ての皆様のご健康とご多幸を願っています。  


2013年01月23日 Posted by プラネマン at 23:18Comments(8)日本格闘技キック連盟

檀れい 長野善光寺ゆかりの技

一昨日1月21日にBS日テレで放送された名匠の里紀行という番組を見ました。
この番組は檀れいさんが全国を周り職人の手技を発見する番組です。今年に入り同じ長野県内の小布施が紹介されましたが今回は長野市の特集で善光寺に縁のある職人さんが登場しました。

オープニングに善光寺近くの三河屋洋傘専門店さんが登場しました。現在で3代目になり店内には3千本の傘が置いてあり全てが完全手作りになるそうです。

手作りの洋傘を見せてもらいましたが二重織りなので外と中の色が違ったりふちに縫い目のない傘がありました。雨に濡れると絵が浮き出て乾くと絵が消える傘もあり芸術的でした。

制作に対して1ミリ違うと傘の形が変わってしまう繊細な作業をしていて二日酔いは厳禁、ご主人が形を作り奥さんがミシンをかける共同作業のために喧嘩をしたら仕事にならず仕事を通じて常に夫婦円満でいられるそうです。

現在使用しているミシンはドイツ製の手回しミシンで神戸の港が開港した時に輸入された物でご主人が以前神戸の博物館で自分が使用しているミシンと同じタイプの物が展示されていて感激したそうです。

布と傘の骨組みを縛る時は丁寧に縛りハサミで切らない限りは切れないそうです。伝統を守りながら一本一本丁寧に作る洋傘はどれも同じ物はなく全てがオーダーメイドで雨が降った後日陰干しすれば30年は保つそうです。

この番組を見るまでは雨さえ防げれば傘などなんでもいい‥と思っていましたが職人のこだわりの技はお金を出しても買うに値すると思いました。檀れいさんも傘を買って帰りましたが時代の流れに負けずにいつまでも続いて欲しい後世に残して欲しい職人の技でした。


続いて善光寺山門が登場しました。1750年に建立された山門は2002年〜07年にかけて平成の大修復が行われました。文化財の修理は勝手に出来ず元の雰囲気を残しダメな部分だけ作り直すそうです。

その時修理に関わった建具屋さんで篠ノ井横田にある栄建具工芸店さんの組子細工が登場しました。数々の賞を受賞した組子細工は美しくイスラム教のモスクのアラベスク模様を入れた組子細工は和洋が交じった美しい作品でした。

薄皮一枚残してパーツに使う技術など職人のこだわりや技術にただ感心するばかりでした。組子細工に魅せられて弟子入りした若い女性の仕事の様子が放送されました。若い女性の人生を変えてしまうほど日本的な美が入った作品でした。


続いて2009年に善光寺に奉納された竹垣に使われた職人の技が紹介されました。善光寺に奉納された竹垣はオリジナルな竹垣だそうですが市内合戦場にある小出竹材店さんが登場しました。小出竹材店さんの竹の作品は市内の飲食店にも飾られ日本的な美しい作品でした。

長男が表と裏で縫い目が違う花籠などの竹製品を作り次男が竹垣作りをしていました。結び目の美しさや芸術の域に達している手技の素晴らしさは文章で説明が出来ず申し訳なく思います。一本の竹が人間の手でいろいろな形に変わって行くのは感動的でした。


今回の放送では長野市に残る洋傘、組子細工、竹細工と3分野の手技や職人技が登場しました。長野市内にもこんなに素晴らしい技が残っていたと思うと感動的でした。大量生産の時代で同じ型ばかりの世の中ですが後世まで素晴らしい技が伝わって欲しいと思いました。この日登場した職人さん達のますますの活躍を願っています。  


2013年01月23日 Posted by プラネマン at 06:03Comments(2)長野市周辺登場テレビ番組