市民会館響きつないで舞踊、ダンス1

昨日1月30日に長野市民会館で開催された「響つないで長野市民会館フェスティバル 舞踊・ダンス部門1日目」を見に行ってきました。

この企画は長野市民会館閉館にあたり文化芸術に携わる人が手をつなぎこれまでの歌い、踊り、語り、奏でた響きをつないで行こうと平成22年に産声をあげ、落語の祭典、伝統芸能の祭典、舞踊・ダンスの祭典、音楽の祭典などが開催されるそうです。すでに語りにあたる落語の祭典は終わってしまいましたが昨日は6回の響つないでのイベントのうち2回目にあたる舞踊・ダンスの祭典の1日目に行ってきました。


昨日は生憎の雪模様で駐車場も限りがあるようなので出歩く気が起きなかったのですが長野市民会館には一度も行った事がなくこの機会を逃すと市民会館に行くこともないだろうと思い午後から出かけてみました。

僕が着いた時ちょうど3組目の日本舞踊の藤洋会さんが始まるところでした。児童邦楽を中心に行われ6歳の女の子の櫻禿、8歳の女の子の雨、4歳の女の子を含め3人で舞われた雀の子などが印象に残っています。この日舞われた女の子のお母さんもかつて市民会館の舞台で踊られた事があり親子2代で舞台に立ったとは素晴らしいと思います。日本舞踊が小さな世代にも受け継がれていると思うと嬉しくなりました。この日舞われた女の子達はぜひとも日本舞踊の世界を極めて欲しいと思いました。


次にMIDORIトワールメイツの皆様の発表会がありました。長野市、中野市を中心に活動する少女のバトントワラーで普通に踊るのも大変なのにバトンを使い華やかに踊っていました。まだ小さなお子さんもいましたが皆さんの一生懸命さが伝わってきて素晴らしかったです。


次に浅井恵子DANCE STUDIOさんの発表会がありました。長野市平林で活動しているそうですが社会人の出演者のみの発表会で限られた時間の中で稽古してきたひた向きさが伝わってきて素晴らしかったです。


次にダンススタジオブロードウェイの皆様の発表会がありました。チアリーディングの全日本選手権で敢闘賞を受賞した演技は素晴らしく観客から惜しみない拍車が送られていました。参加者も多く限られた時間の中で曲の途中で交代してしまう場面もあり気の毒な気もしましたが舞台狭しと踊っていたメンバーの熱気に外の寒さと市民会館内は別の世界でした。


次にウルプア寺沢フラスタジオの皆様の発表会がありました。ウルプアとは花園という意味だそうです。ハワイアンダンスを踊られましたがオレンジの服を着た子供達がとても可愛かったです。舞台の上は常夏のハワイで和やかな雰囲気に包まれていました。


次はH&B晴恵の皆様の発表会がありました。今年で創立29年になる歴史ある団体でOBの中にはミュージカルの舞台で活躍する人もいるそうです。ジャズダンスからヒップホップまで本格的なダンスに圧倒されるばかりでした。来年は創立30周年のイベントを行うそうで楽しみです。


次に大豆島甚区保存会の皆様の発表会がありました。長野市指定無形文化財にあたり伝統の深さを感じました。


最後にナチュラルムーブメント3ー2ー1の皆様の発表会がありました。集団のダンスで始まり乱れる事なく踊っていて素晴らしいと思いました。舞台狭しと繰り広げられるパフォーマンスにはただ圧倒されたの一言でした。代表の方のあいさつで団体の会場の市民会館に対する感謝の思いが感じられ心地よかったです。

ダンスや舞踊を見るのは初めてでしたが表現方法が多く奥行きの深い世界だと思いました。ダンサーの躍動感やダンサーのダンスに対する思いが伝わってきて見に行ってよかったと思いました。今回は限られた時間内でしたが機会があったら各団体の単独の発表会に行ってみたくなりました。外に出ると厳しい寒さでしたが市民会館内はそんな事を感じさせない熱い舞台でした。参加された皆様お疲れ様でした。素晴らしい舞踊・ダンスの世界を味あわせていただきありがとうございました。これからの益々の活躍を願っています。  


2011年01月31日 Posted by プラネマン at 05:39Comments(2)観劇、舞台芸術

全日本プロレス、ドラゴンG 共演

ケーブルテレビのGAORAをつけたらプロレス中継をしていました。GAORA開局20年にあたりGAORAが中継している全日本プロレスとドラゴンゲートが夢の共演をした特別企画の中継でした。

第1試合の途中の6人タッグから見ました。Jr.ヘビー級の覆面レスラーチーム対素顔のレスラーチームの対戦でした。僕が知っているのは昔バドラーツに所属していた田中稔選手しか知りませんでしたが皆スピード感があり「プロレスなんか見ているのか‥」とブツブツ言っていた僕の母親が展開の早さに感激していました。覆面レスラーチームが勝ちましたが田中稔選手の動きの良さが印象的だったのとキン肉マンのキン肉バスターが出たりグロッキーの覆面レスラーがプロテインを一気飲みして元気になったのが面白かったです。

第2試合は女子プロレスのダイナマイト関西選手、長島千佳代選手、カルロス天野選手対アジャコング選手、尾崎魔弓選手、里村明衣子選手の6人タッグでした。ダイナマイト関西選手、尾崎魔弓選手、アジャコング選手はかつてプロレス観戦をしていた頃見た事があり懐かしかったです。ダイナマイト関西選手と尾崎魔弓選手のジャパン女子時代の対戦、ダイナマイト関西選手とアジャコング選手の男子プロレス顔負けのド迫力マッチ、里村選手に長与千種選手の匂いを感じました。最後はアジャコング選手が尾崎魔弓選手に後爆して決着が着きましたがアジャコング選手の一斗缶攻撃は健在で面白い試合でした。

第3試合はカズ、ハヤシ選手、TAKAみちのく選手、NOZAWA論外選手対TAJIRI選手、B×Bハルク選手、新崎人生選手の6人タッグがありました。皆海外で実績を残してきた選手でワールドワイドという呼び方で試合が行われました。B×Bハルク選手の動きが良かったのが印象的でした。最後は新崎人生選手のパワーボムで決まりました。

第4試合は全日本プロレスの大和ヒロシ選手対ドラゴンゲートのYAMATO選手のヤマト対決でした。若さと意地がぶつかり合う好勝負で最後はドラゴンゲートのヤYAMATO選手が投げ技からフォールを奪いました。


第5勝負は全日本プロレスの近藤修司選手、KAI選手対ドラゴンゲートの土井成樹、谷嵜なおき選手の対戦です。近藤修司選手は7年ほど前にドラゴンゲートを退団して因縁の対決になります。近藤修司選手とドラゴンゲートの選手が対戦するとヒートアップして盛り上がりましたが最後は近藤修司選手のラリアートで決着が着きました。近藤修司選手の静かなる闘志と痛みが伝わってくるラリアートが印象的でした。


セミファイナルはUWFの時代から見ていた船木選手、鈴木実選手がドラゴンゲートの望月成晃選手と組んで曙選手、ドンフジイ選手改めスモウフジイ選手、浜亮太選手の相撲軍団と対戦しました。

フジイ選手が相撲のまわしを着けて登場して鈴木選手に相撲対決を要請して実現しました。見合っている最中に5分経過のアナウンスが流れ間が外れたりやりとりが面白かったですが鈴木選手が16文キックを決めて相撲対決を制しました。

フジイ選手のまわしに手をつけたりフジイ選手が調子にのり相撲の投げ技で味方の浜亮太選手まで投げ飛ばし曙選手まで投げようとしてしばかれていました。最後は鈴木選手がフジイ選手のまわしを掴みパイルドライバーで決めました。フジイ選手がいい味を出していて終始大笑いしました。


メインイベントは諏訪魔選手、吉野正人選手、グレートサスケ選手の各団体のチャンピオン対全日本プロレス社長の武藤敬司選手、CIMA選手、獣神サンダーライガー選手の6人タッグマッチです。ライガー選手の吊り天井が見れたり吉野選手の動きが速かったり皆トップレスラーなので見所が多かったです。最後は武藤敬司選手が水面蹴りを決めましたがもう少し見たかったです。


武藤敬司選手のマイクパフォーマンスは最高でした。若い頃から知っているレスラーがまだまだ頑張っているのは嬉しかったです。ドラゴンゲートの選手は知らない選手ばかりでしたが皆スピード感があり好感がもてました。AKBのアイドルも何人かゲストで来ていましたが皆満足していたようでした。久しぶりに見たプロレスですがとても面白かったです。僕は昭和のプロレスファンでプロレスから離れて15年以上過ぎましたがこの興業を見てプロレスもまだまだ捨てたものでないと思いました。

世の中不景気や娯楽の多様化でプロレス業界も大変だと思いますが頑張って欲しいと思います。写真は全日本プロレス武藤敬司選手が闘魂3銃士として活躍していた頃の半券です。  


2011年01月30日 Posted by プラネマン at 10:07Comments(0)プロレス

てんちゃんと過ごした最後の日曜

早いものでもう週末がやってきました。先週の日曜日1月23日は閉館になる長野市民会館でイベントがあったりプラネタリウムで特番があったりアイスホッケーの試合を見に行きたかったり平日に見にいかれない時間帯で上映している映画を見に行きたかったりと予定がたくさんありましたが母親からどうしても外せない用事があるので仔犬のてんちゃんと留守番をして欲しいと頼まれました。


しぶしぶ引き受けましたが毎週末どこかに出かけていたのでてんちゃんとじっくりいるのがその日が初めてでした。テレビを見たり本を読んだりのんびりしましたが時々見るてんちゃんに癒されました。

てんちゃんがあくびをしましたがそれだけでも可愛く僕は独身子無しなのでてんちゃんを通じて親の疑似体験が出来て幸せな一時を過ごせました。


我が家ではストーブの前の特等席は愛犬がいつも独占していますが午後になって愛犬が特等席に行くとてんちゃんもストーブまで這って行き愛犬と共にストーブにあたっていました。僕もそこに添い寝して愛犬親子と僕の母親が戻ってくるまで寝ていました。


当初は自分の予定通りにならず不満でしたがてんちゃんのあくびが可愛かった事や添い寝出来た事で満足な日曜日を過ごせました。


写真はその時撮ったものでやっと目が開いてきたてんちゃんを母親である愛犬が優しい顔をして見つめているのが印象的でした。そしてこの写真が愛犬とてんちゃんの最後のツーショットになるとは思えなかったです…


てんちゃんは僅か1ヶ月と短命でしたが僕にいろいろな事を教えてくれました。てんちゃんの早すぎる死を通じて人生は自分の思い通りには行かないという事。
命は儚いという事。そして生きている者は皆生かされているのだからその間は精一杯生きなければいけないな‥という事。

必死でてんちゃんを守り心配していた愛犬を通じて母性本能や親の愛の有り難みが分かりました。僕は独身子無しなのでてんちゃんが生まれてなくて去年までの生活パターンが続けば一生親の愛について考える事はなかったと思います。


てんちゃんの死を通じて生き物を飼うのは必ずしも楽しい事ばかりでなく辛い別れもある事が分かりました。だから1日1日を大切にしていきたいと思いました。

てんちゃんの顔を見る事が無くなって何気なく終わる1日は実は有り難いものだと分かりました。出来るだけ愛犬と過ごす時間を増やしていきたいと思いました。

世間的には仔犬がどうなろうと興味のない話ですが1ヶ月の間にいろいろな事を教えてくれたてんちゃん。てんちゃんの生きてきた証を残すために…子捨てをする人間もいる中でてんちゃんを守り貫いた愛犬を僕の自分史の中に残しておきたいと思いました。


てんちゃんは生前おっぱいを飲んだり寝ていたりゴロゴロしているだけでしたがいなくなると家の中にポッカリ穴が空いたようです。去年までの普通の風景に戻っただけなのに存在感の大きさに気がつきました。

愛犬はてんちゃんの亡骸があった机の上に向かい吠えました。僕が抱っこして机の上を見せてももう何もありません。愛犬の子供を無くした心の傷の深さが伝わってきて、ただ愛犬を抱きしめるだけでした。

まだまだてんちゃんを亡くした痛みから立ち直っていないのですが、残された者はまだこれから前に向かって生きて行かなければなりません。てんちゃん「我が家に来てくれてありがとう!」の言葉を最後にてんちゃんの事はひとまず最後にしたいと思います。てんちゃんと過ごした1ヶ月間は本当に幸せでした。ありがとうてんちゃん…  


2011年01月29日 Posted by プラネマン at 07:54Comments(0)愛犬の日

仔犬のてんちゃん 安らかに眠れ

正月に仔犬が生まれ「てんちゃん」と名付け幸せだった我が家ですがわずか1ヶ月ほどでてんちゃんは亡くなり天国から地獄に突き落とされたようです。


特に母犬である愛犬はてんちゃんの亡骸のある机の周りを一晩中うろうろしたり叫んだりしていました。朝起きてから僕も見かねててんちゃんの亡骸を愛犬に見せると愛犬は蘇生を願うようにてんちゃんの亡骸を舐めまわしたり引っ張ったりして泣けてきました。


個人的にはペット用の火葬業者に頼もうか週末僕が畑か敷地内にてんちゃんの亡骸を埋めようと思いました。しかし愛犬の取り乱しようを見るとてんちゃんの亡骸が家にあるうちは愛犬も吹っ切れる事が出来ないと思いました。

ペット用火葬業者を頼む件もてんちゃんの入院費で出費が多かった事や生きている愛犬にお金を使ってやれ‥という僕の母親の意見ももっともだと思いました。
家の敷地や畑にてんちゃんの亡骸を埋めるにしても異臭問題や野生の動物に掘り起こされてかえって惨めになるかも知れないと言われました。

近所の人は犬が死んだ時、家庭用のゴミに出したといい長野市の清掃センターに確認したら道端などで死んでいた死骸でなくゴミの袋に入れば可燃ゴミの日に出してもいいと言われました。

てんちゃんをゴミに出すというのも正直抵抗を感じましたが一番面倒をみた僕の母親の意見を選び可燃ゴミに出す事になりました。

てんちゃんの亡骸は棺桶代わりにお花の詰まった箱に入れ新品のタオルで箱を包み他のゴミと一緒にせず新聞紙を詰めました。一番面倒をみた僕の母親が亡骸を出しに行きました。

最後にてんちゃんを見ると眠るように安らかな顔をしていました。あたり前の話ですが横顔を見ると愛犬そっくりで目頭が熱くなってしまいました。愛犬が大好きなペットフードの沙を餞別代わりに入れておきました。


1ヶ月でもてんちゃんと過ごせた事を感謝しようと自分にいい聞かせましたが母犬である愛犬は事態を飲み込めないようで、てんちゃんが入院してから3日ほどほとんど何も食べていないそうです。愛犬には早く元気になってもらいてんちゃんの分まで長生きして欲しいと思います。そしててんちゃんの冥福を祈っています。

写真はてんちゃんにおっぱいを吸われ舌を出して喜んでいる愛犬です。  


2011年01月28日 Posted by プラネマン at 01:26Comments(0)愛犬の日

さようなら‥子犬のてんちゃん


正月に我が家で飼っているメスのトイプードルが子犬を産みました。天使のような可愛さから「てん」と名付けられ可愛さをふりまいていました。25日の夕方てんちゃんの様子がおかしい事に気が付いた僕の母親が獣医にてんちゃんを連れて行き即入院になりました。てんちゃんは残念ながら26日の夜明け前に亡くなりました。わすが1ヶ月ほどの儚き命でした。


てんちゃんが亡くなった時間に愛犬が2階にある僕の部屋に来てドアをガリガリと引っ掻きました。その夜僕は帰りが遅くてんちゃんが入院した事を知りませんでしたが、いつもよりしつこくガリガリドアを引っ掻いているので目が覚めてしまいトイレに行ったついでに1階の母親が寝ていててんちゃんがいるはずの部屋に愛犬を連れて行きましたが又僕の部屋に来てドアをガリガリやっています。

僕はそのまま寝ましたが今から思うと愛犬がてんちゃんを捜しに僕の部屋に来たのだと思いました。

僕が昨日仕事から帰ってくるとてんちゃんが亡くなったと知りました。愛犬が机の上にあるてんちゃんの亡骸に向かって吠えたり飛び上がっていて心が痛みました。

てんちゃんの死によって人生思ったようにならないな‥という事や生命は皆生かされているんだな‥と感じました。自分中心だった愛犬もてんちゃんが生まれた事ですっかり別犬になり親の愛とか母性本能などについても考えさせられました。てんちゃん我が家に来てくれありがとうご冥福を祈っています  


2011年01月27日 Posted by プラネマン at 04:29Comments(4)愛犬の日

長野市になぜ市立大学がないの?

先日会社の新年会がありましたがその席で年令は僕と同じですが上司にあたる人の長男がセンター試験を受けるという話になりました。

子供がいる人達の間で受験について盛り上がっていました。僕は独身で子供もいないので話だけ聞いていましたが「これからは子供が小さいうちから国公立と口を酸っぱくして言わなければいけないな‥」と話していたのが印象に残っています。

僕の上司の息子さんはどこの大学を受けるのかまで分かりませんが多分県外に行くのだと思います。会社の業績も中々上がらないご時世に毎月の仕送りも大変だと思いますが、仮に毎月10万円仕送りをするにしても年間で100万円以上のお金が県外に流れてしまうのは上司がいかに大変な思いをして稼いでいるのか知ってるので何かやりきれない気がします。


長野市内の4年制大学は信州大学工学部、教育学部と清泉女学院だけだと思います。信州大学の2学部は国立大で清泉女学院は女子大と受験生のニーズにそぐわないと思い4年制大学進学を志せば必然的に県外に行かなければならないと思います。


消費の中心である若者が県外に流出してしまい県外でクルマを買ったりコンパをしてお金を落としているのに地元の富が皆県外に流出しているようでとても残念に思います。そして1度県外に出てしまえば戻って来ない人もいると思います。


歴代の市長や市政に携わる人達の間に大学を誘致するとか市立大学を作ろうという考えはなかったのでしょうか?今までの長野市政の流れを見ると箱物を造るのは熱心ですがそれをどう利用しようかとか何かを育てていくという考え方があまり感じられず残念に思います。


長野県は教育県だと言われます。しかし国立大と最近4年制になった女子大しか大学のない長野市に限っていえば教育県と言われると首を傾げてしまいます。金沢市は地方都市でありながらも大学が多く石川県を教育県と言ったほうがいいと思います。


大学を作るといっても簡単にはいかないとは思いますが少子高齢化の流れの中で若者の県外への流出の防止や市街地の活性化やオリンピックの跡地の再利用で大学を造ろうという話は出なかったのでしょうか?


歴史の浅い新設私立大学を誘致しても定員割れをおこす可能性がありますが長野市立の公立大学を作り授業料を安めに設定すれば不景気のご時世に一定のレベルの学生も確保出来て長野市にとっても人的財産が確保出来ると思います。


今井にオリンピックの跡地が塩漬けになっていると聞きました。旧ダイエーや旧そごうも市立大学として再利用する方法はなかったのでしょうか?長野市立大学が通信教育を始めればスクーリングなどで交通網の整備で低迷する宿泊業界のてこ入れになったと思います。

街中にはテナント募集の張り紙をよく見ますが長野市で空室を借りて大学の授業をして市街地の活性化をして欲しいと思いました。


実際問題で長野市の財政赤字は3000億円以上といわれていて本来市民会館だの造っている場合でないと最近知りました。財政赤字から市民税のアップや各種行政サービスの低下で若い人が沈没船から逃げ出すようにいなくなってしまう可能性が強いと最近知りましたが今より景気がよかった頃、市立大学を作って地元に根付いた人材を育成して欲しかったと残念に思います。  


2011年01月26日 Posted by プラネマン at 02:03Comments(2)つぶやき

助けていただきありがとう!

一週間ほど前に降った大雪もだいぶ溶けて大通りは雪が残っていない状態ですが一本裏道に入ると凍っている道もあります。

僕の仕事用のトラックは2駆なのでしばらく物量も少なくトラックを使用していませんでしたが昨日は久しぶりに物量が多くトラックを使用せずにはいられない状況でした。

幸いにも現場の雪は溶けているところが多く問題なくいきましたが最後に新規のお客さんのところに配達に行きました。

時間は午後6時半頃ですでに暗い時間で道を一本間違えてしまいました。そこは雪かきもしていない道で2駆のトラックははまってしまい立ち往生してしまいました。

僕が道をふさいでいると1台の車が来ました。若い女性が二人乗っていてトラックを動かすのに手を貸してくれました。

始めは女性二人に押してもらいましたがうんともすんともいわず女性に運転してもらい僕が押しましたがまだ動きません。そこに自転車の女性が来て手を貸してもらい3人で押してやっと動きました。


僕も久々に全身の力をフルに使い身体の節々が痛い状況ですが人にケガをさせたり物を壊したのではないにしろ関係ない人達を巻き込んでしまい後味が悪かったです。

若い女性二人と通りすがりの女性の方昨日はありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。どうかいい事がありますように願っています。本当にありがとうございました。
  


2011年01月25日 Posted by プラネマン at 04:54Comments(0)つぶやき

パイオニア戦志 剛竜馬

ナガブロガーのハルチャンさんのブログでお城巡りの記事があります。僕も若い頃姫路城を見て日本の築城の技術に感動してお城巡りをした事があり興味深く見ました。

個人的に一番スケールの大きかったのは姫路城、一番のお気に入りは丸亀城でお城から見える海の美しさと木造建築の暖かみが印象に残っています。穴場は玉藻公園でかつての城跡ですが海の水を利用した水城でかつてのスケールを思うと歴史のロマンを感じてしまいました。


玉藻公園も丸亀城も同じ香川県で他に琴平宮に行ったりうどん巡りをしたり鬼ヶ島に行ったり琴電に乗ってプラネタリウムに行ったり名前は忘れましたが高いタワーに行ったり往復フェリーで行ったり楽しい旅行でした。


なぜ香川県に旅行に行ったかというと香川県の琴平町で街興しの一環として駅前広場でプロレスの試合がありました。92年の7月だったと思います。


当時のプロレスファンの間で密航という言葉が流行っていて例えば大阪に住んでいた僕が違う地区にプロレスを見に行くのを密行といいました。当時僕は大阪にいましたが家庭の事情で長野に帰る事になり思い出旅行と密行もかねて香川県に行きました。


見に行った団体はオリエントプロレスといいかつて藤波辰巳選手と好勝負をした剛竜馬選手が起こした団体で琴平町の試合が旗上げ戦でした。


バブル経済のまっただ中の1989年に剛竜馬選手、アポロ菅原選手、高杉正彦選手、の3人が独立系の団体パイオニア戦志を旗上げしました。

そこに大仁田厚さんがゲスト出演して2試合組まれましたが見に行った藤波辰巳選手に酷評され当時は見に行かなくてよかったと思いました。


時は流れて1年後、僕は就職をして大阪勤務になりプロレス観戦の機会も減るだろうと思い写真にあるパイオニア戦志一周年記念興業に行きました。


全5試合でしたが前座の2試合は若手の試合でした。西利郎対橋詰和浩、板倉広対川内英紀と無名の新人でしたがロープに相手を飛ばす事もなく大技も出す事もなくひたすらグランドのレスリングを繰り広げひた向きさが伝わって来て感動的でした。


琴平で試合をしたのはこの興業の2年後でパイオニア戦志からオリエントプロレスに名前を変えての旗上げ戦でした。


パンフレットを無くしてしまったので対戦カードは覚えていませんがパイオニア戦志時代より外人レスラーが増えていましたが前座のガチガチのレスリングスタイルは健在で試合が進むにしたがってつまらなくなっているな‥というのが僕の印象でした。


オリエントプロレスは出前プロレスとして全国各地に呼ばれたら行きます。というスタイルでしたが琴平駅前広場で行われた旗上げ戦は屋台から出る煙が悶々としていてお客様の乗っていない電車が試合会場の近くを通り抜けて行き普段のプロレス興業と違う雰囲気があり楽しかった事を覚えています。


オリエントプロレスはその後しばらくして無くなったようですが出前プロレススタイルとガチガチの前座のスタイルが気に入っていたので残念でした。


ハルチャンさんの玉藻公園のブログを見てオリエントプロレスの事を思い出し剛竜馬選手を検索してみました。剛竜馬選手は1年半ほど前に亡くなっていたそうで寂しく思いました。不器用ながらもプロレスが好きだという雰囲気がにじみ出て個人的には好きな選手でした。昭和のプロレスラーが亡くなっていくのは淋しいですが剛竜馬選手のご冥福を祈りたいと思います。  


2011年01月24日 Posted by プラネマン at 06:43Comments(2)プロレス

インターハイ 駒大苫小牧決勝へ

昨日1月22日ビックハットで開催されたアイスホッケーのインターハイを見に行きました。

ビックハットでは午後から準決勝2試合が行われましたが土曜日出勤のため第2試合の駒大苫小牧高校対八戸工大一高校の試合のみ観戦できました。


会場駐車場には県外ナンバーがたくさん駐車してあり全国規模の大会だと実感できます。今季最初で最後のビックハット開催の全国規模の大会で個人的にも今日しか観戦出来ないので期待が高まってきます。


1ピリオド1分56秒駒大高1人退場します。3分45秒にも駒大高退場者が出て僅か11秒ほどですが八工大高5人対3人のパワープレーのチャンスがありました。

7分過ぎから駒大高ペースをつかみ始め八工大高陣地での展開が多くなります。7分34秒八工大高退場者が出て11分22秒にも連続して退場者が出て厳しい展開になります。


12分04秒駒大高#29越後選手、アシスト#17高田選手、#4佐々木選手のゴールで先制します。

14分40秒にも八工大高退場者が出て八工大高中々ペースがつかめません。16分55秒駒大高#15西口選手がブルーラインからミドルシュートを決めて駒大高2点目を入れます。

ラスト1分八工大高カウンターのチャンスがありましたが生かせず第1ピリオド終了。駒大高が2対0で終了、シュート数は駒大高20対八工大高4でした。


2ピリオド、2分33秒駒大高#10高木選手が3点目のゴール、4分16秒には#15西口選手、アシスト#29越後選手が4点目を決めてリードを広げます。

7分07秒に駒大高に退場者が出て八工大高攻め込む場面がありますが生かせず、ラスト1分八工大高相手キーパーと1対1になる場面がありましたが駒大高キーパーのファインセーブで逃れて終了します。この回駒大高が2対0で終了、シュート数は駒大高24、八工大高5でした。


3ピリオドは4分07秒駒大高退場者が出て8分45秒に八工大高に退場者が出ます。終始駒大高のペースで進みこの回は0対0で終了、シュート数は駒大高19、八工大高3でトータル4対0で駒大苫小牧高校が勝ち決勝進出を決めました。トータルシュート数は駒大苫小牧高校63、八戸工大一高校が12でした。

この試合#15西口選手が2得点、#29越後選手が1得点1アシストと活躍しました。パンフレットが無くて人違いかも知れませんが3年前にビックハットで開催されたU16国際大会でカナダ、ロシア戦と得点を決めた苫小牧の越後選手がいたので同じ選手なら嬉しく思います。


写真撮影禁止の張り紙があり写真が撮れず残念でしたが2004年のアイスホッケーマガジンで駒大苫小牧高校が夏の甲子園で北海道に初めて深紅の大優勝旗をもたらした時の野球部佐々木キャプテンと前年のインターハイで準決勝で敗れ連覇がストップした後で日本一に返り咲いたアイスホッケー部梁取キャプテンの日本一のキャプテン同士の対談が載った雑誌がありました。


厳しい練習を乗り越えて日本一になった話など興味深い内容が載っていました。この雑誌が出てから7年ほど経ちましたが駒大苫小牧高校の強さを見ると良き伝統を引き継いでいるんだな‥と感じ嬉しくなりました。とまれ今大会に参加した選手関係者の皆様お疲れ様でした。長野での出来事が良き思い出になる事を願っています。これからもアイスホッケーを通じて色々な体験が出来ますように祈っています。そしていつまでもアイスホッケー界を支えて欲しいと思います。  


2011年01月23日 Posted by プラネマン at 10:01Comments(0)アイスホッケー

さらば!金運を呼ぶ白い財布

僕は若気のいたりですがかつて某新興宗教に入信していた人生の暗黒時代がありました。

教祖曰く「幕末の薩摩、長州がケンカしていた時代の人に百年後、薩摩も長州も幕府も無くなり日本が1つになり薩摩や長州に江戸から日帰りが出来るようになり馬は街から姿を消すよ。」と言われても実感出来ないように近未来世界が1つになる世界連邦政府が出来て素晴らしい未来がやって来る。君達はそのために生まれ変わりを繰り返したのだ‥と熱く語られ選民意識を埋め込まれのめりこんでしまいました。


その後、核兵器が落ちるだの隣国が攻めて来る等脅かされ宗教行事に参加しろと煽られ気がつけば僅かな蓄えを無くし信用を失い散々でした。

今では洗脳もすっかり解け退会者のブログ等を見て教団の奇行を嘲笑っていますが先日こんな事があったそうです。


布教が上手くいかず期間までに目標の人数にならなかったので銀河系の主宰神が怒り信者に初冬の日本海某所に来て8時間土下座しろと命じたそうです。


教祖に魅力が無かったり教団職員の努力が足りずに信者の数が増えないのだから教祖や教団職員が率先して土下座すべきだと思います。教団関係者はお咎めがなく信者だけ布教が上手く行かない責任をとり土下座しろ‥とは可笑しな話だと思います。


本来神様が怒って土下座しろ‥と言うはずもなく銀河系の主宰神が怒っているのではなくて銀河系の主宰神を語る教祖が怒っているのだと頭の悪い僕でも分かりましたが、全国から約3千の信者が某日本海海岸に来て8時間土下座したそうです。


初冬の日本海で8時間の土下座をやり遂げた信者は貧乏から富みをつかめるという功徳があると教祖が言ったので経済的に苦しい信者が某日本海海岸に押し寄せたのだと思います。

布教が上手くいってないので残った信者に対してさらなる締め付けや服従させる意味で土下座させたり貧困層を予備軍として取り込もうとしたのだと思いました。こんな暴君を師匠と仰いでいたのか‥と思うと情けなかったです。


先日靴を買いに行った時、財布の販売もしていました。財布もだいぶボロくなってきたので買い換えしたいと思った瞬間力が抜けていきました。その時使用していた財布は教団が販売していた白い財布でした。


僕は洗脳が解けた時、教団のグッズや本は全て処分したのですが財布はうっかりしていてそのまま使っていました。その白い財布には白蛇の功徳があり金運がよくなると言っていましたが金回りの良さそうな信者はほとんどいませんでした。

金運とは自分が築き上げてきた技術や信用に比例して増えて行くもので白蛇の財布を持ったり土下座して良くなるものでないと思いますが3千円出せば良質の財布が買えるのに8880円も払いバカな事をしました。

退会者のブログでも白い財布の事が書かれていて白い財布だと汚れが目立ち買い換えのペースが早いからではないか‥と言っていましたがなるほど‥と思いました。ただ信者も金回りが悪く教団の思う通りには行かなかったようです。


早速新しい財布を買いました。写真の財布がそうですがボタンを外せばカードが9枚入り重宝しています。白い財布はいい言い方をすれば世界連邦政府の夢の欠片と思い捨てました。


エッチな本などでこのペンダントをしたら彼女が出来た‥云々の広告を良く見かけます。そんな事ありえねぇーとか買う奴の気が知れないと思っていましたが僕も同じレベルの事をしていたのかと思うとマンガのサザエさんでカツオが怒られて小さくなって行くシーンがありますがそれと重なってしまいます。


人がパチンコで何万円負けたなどの話を聞きますが僕の方が失ったお金と時間が多いんだよ‥と赤面しそうになってしまいます。  


2011年01月22日 Posted by プラネマン at 11:13Comments(0)つぶやき

元信濃G星野投手 年俸3倍増

地元県民球団信濃グランセローズから育成枠で巨人軍に入団した星野真澄投手が昨日1月20日付けのNTTドコモの携帯サイトIチャンネルにオフの自主トレの様子がニュースとして取り扱われていました。


星野真澄投手は阪神タイガースの金本選手、下柳投手が行っている専門のベルトを腕や足首に巻き付けた状態でトレーニングを行う加圧トレーニングをオフに行っていて今季は50試合以上登板したいと記事になっていました。


星野投手が開幕投手をした信濃グランセローズの開幕戦をオリンピックスタジアムに見に行ったり社会人時代からオリンピックスタジアムで試合を見た事がありNTT信越クラブが都市対抗野球に出場した時補強選手として東京ドームのベンチに入り星野投手は長野県と縁が深いのであの星野投手が全国区になったな‥とNTTドコモの携帯サイトで星野投手の記事を見つけた時は感極まるものがありました。


星野投手は12月28日付けの読売新聞に今季年俸440万円〜約3倍アップの1300万円にアップしてチーム最高アップ率だったと写真入りで記事になっていました。写真はその時の物です。


社会人時代星野投手は都市対抗野球に補強選手として同行した時、競った試合だったので東京ドームでの登板は無かったですが今季34試合登板した事により社会人時代の忘れ物は充分に取り戻したと思います。


信濃グランセローズ時代は開幕戦を見に行きましたが相手チームのエラー6つの草野球レベルの試合にうんざりして星野投手が悪いわけではないにしろこんなレベルで勝った負けたとかいっても意味がないな‥と思いました。


星野投手と社会人時代チームメートだった日ハムの谷元投手はルーキーの中では最初に勝ち星をあげて差がついたな‥と思いましたが星野投手もルーキーとしては大活躍してすっかり見返された感じがしました。


星野投手が活躍した事により信濃グランセローズ時代のチームメートが発奮したりプロ入り志望が強い選手が星野投手に続けとばかりに信濃グランセローズに入団すると思いましたがそちらの方は不発みたいで信濃グランセローズ出身選手で星野投手クラスの活躍をする選手はもう出ないと思い一軍で実績を残すのは星野投手で始まり星野投手で終わる気がします。


上場企業を辞めてプロ入りの夢を叶えた星野投手はあっぱれだと思います。今季目標の50試合登板を期待しています。
  


2011年01月21日 Posted by プラネマン at 06:25Comments(3)信濃グランセローズ

楠三好ボクシングジム

昨年末プロボクシングの亀田3兄弟の試合がありました。僕は亀田兄弟に対してはアンチで坂田選手、内藤選手との対戦では両選手が旬の時は対戦を避けて盛り上がりを下げピークが過ぎた頃に勝ち逃げをしたりファンのニーズより自分の都合の良いマッチメークをしたりで何階級制覇といっても額面どおりに評価出来ないのですが年末のタイトルマッチのプロモーターが楠三好ジムだったと聞き以外な思いがしました。


時は1988年僕は当時大学受験に失敗して高校時代に描いていた夢を諦めて失意の中にいました。自分を変えてみたくて前々から強さに憧れていた事もあり専門学校に入学したのを機会に格闘技を始めてみようと思いました。


1988年6月28日後楽園ホールにプロボクシングの試合を見に行きました。セラピー渡辺ジムさんの主催興業でメインイベントは日本Jr.ライト級タイトルマッチ、和製マイクタイソンで売り出していた大和武士選手、連続KOを続け日本の中量級を盛り上げた吉野選手がエキビジョンマッチ、等見所がたくさんあり4勝12敗の地方のジム所属のボクサーがKO負けをして担架で運ばれる場面がありプロボクシングの凄みを感じさせてくれる興業でした。

その中で元日本Jr.ライト級の今井房男さんの引退式がありテンカウントゴングがありました。今井房男さんはかつて世界チャンピオンだった浜田剛史選手がタイトルを失って敗れた試合を除けば唯一浜田剛史選手に黒星をつけた事があり一度引退して数年間のブランクの後日本チャンピオンになりました。


僕は1984年頃、浜田剛史選手が日本チャンピオンの友成光選手や英国連邦のチャンピオンにKO勝ちした試合をテレビでリアルタイムで見ていてボクシングに魅せられていたので浜田剛史選手に黒星をつけた今井房男さんを尊敬していました。


今井房男さんと共にリングに上がっていた三好会長は軽量級の選手だったのか今井房男さんに比べ頭一つ小さかったですが独特の雰囲気がありこの会長が指導して浜田剛史選手を敗ったのか‥と注目してしまいました。


数日後、当時東急目蒲線の武蔵小山駅近くにあった楠三好ジムに見学に行きました。入り口には極東三好の名前になっていましたがマンションの1階がジムになっていました。試合が終わってすぐだったので練習に来たボクサーは少なく後日もう一度見学に行こうと思いました。


せっかく初めての街に来たので武蔵小山の街を散策しました。アーケード街の規模が大きくて昔の活気あった権堂より賑やかで気に入りました。改札口で三好会長に会い方向が一緒だったので一緒に帰りましたが三好会長は昭和の黄金期の生き字引みたいな人でその場で入門を決めました。


楠三好ジムはかなり昔のポスターが貼ってあり歴史を感じると共にジムに窓が1つもなく地下室のような世間と隔離された雰囲気が気に入りました。


当時はJr.ライト級のランカーだったブルース京田さん、Jr.フライ級ランカーの茂野さんが所属していました。鈴木さん、池永さんのプロ選手がいて後に最年少で東日本新人王になった伊藤比呂士さんがいました。上下関係が厳しいとか威張った先輩がいたらどうしようか‥心配もありましたが先輩方も気さくで居心地がいいジムでした。

三好会長は僕の母親より年上の感じでしたが基本的にはプロボクサー、練習生に関係なくミットを持ってくれて当時もう1人コーチがいたので2ラウンド以上ミット打ちが出来ました。


僕は専門学校生で授業が終わると直ぐにジムに行っていたのでサンドバック等も自由に使え恵まれた環境で練習しました。後に僕はキックに転向しましたが1つのサンドバックを2人で蹴っていたり専属のコーチがいなかったりで数年後楠三好ジムはいかに恵まれた環境か分かりました。


キックにしろ国際式ボクシングにしろ会長クラスはプロや素質がありそうな選手の指導が中心で練習生まで細かく指導しない事が後になって分かり三好会長には感謝しています。


三好会長には練習生でありながら食事をおごってもらった事も度々あり1人暮らしで偏食していたので本当に助かりました。ジム生が試合に出る時は常に招待券をもらえ後楽園ホールの控え室に行きボクシングの舞台裏を見れた事や先輩に後援会のスナックに連れて行ってもらい学生同士では分からない社交場を経験でき楠三好ジムに入り東京生活も素晴らしいものになれました。


楠三好ジムと亀田兄弟との関係は分かりませんが僕は1練習生でプロの試合には出場した事はありませんがとても良くしてもらい今でも三好会長には感謝しています。


楠三好ジムは現在では吉祥寺に移転したようですが強豪ボクサーを育てると同時にフィットネスを中心にボクシングの普及に期待したいと思います。もう20年以上前になりますが青春時代によくしてくれた三好会長には感謝しています。

写真は楠三好ジムOBの今井房男さんの引退式の時のものです。

  


2011年01月20日 Posted by プラネマン at 06:13Comments(16)プロボクシング

バスケ レラカムイ北海道経営難

バスケットボールのJBLは正月から成人の日の連休にかけて高校、大学、実業団、トップリーグとサッカーの天皇杯のように垣根を超えて全日本選手権というトーナメントが行われました。

読売新聞の1月5日の記事で「北海道が辛勝8強、逆境乗り越え金星狙う」という見出しの記事がありました。

バスケットボールが新聞記事になるのは珍しいですがレラカムイ北海道が推定2億円を超す赤字を抱え経営危機が表面化したといいその混乱ぶりを象徴するかのように青学大に苦戦したという内容でした。


レラカムイ北海道は207年設立以来ホームでの動員数はリーグトップを走っていましたが、メインスポンサー不在のまま運営してきた限界が昨年末に表面化、チームが来季以降存続出来るか流動的という内容でした。


一度レライカム北海道の試合をテレビで見ましたが5000人を収容する会場はびっしりで凄い熱気が画面越しに伝わってきました。アイスホッケーの西武プリンスラビッツが廃部になると新聞記事に大きく扱われた時、レライカム北海道の女性社長のインタビューが成功例として同じスポーツ面に載っていて対照的だな‥と思った事を覚えています。


JBLでは北海道より前に福岡も破綻した事がありバスケットボール球団の経営の厳しさを感じてます。


長野県では来シーズンよりバスケットボールチームが新規参入します。団体や地方の違いがあるとはいえしっかり取り組まないと大変な事になると対岸の火事のように思わず取り組んで欲しいと思います。


匿名の書き込みサイト2CHのバスケットボールコーナーに新規参入する長野県チームの版があります。年末にかけての書き込みで長野県チームはパルセイロが昇格したのでスポンサーが予想より集まらず参入を見送ったという書き込みがありました。もちろんガセネタでしたがバスケットボールの運営会社がホームページをあまり更新していなかったのでリアリティーがあり見事に釣られてしまいました。


パルセイロ版でもホームページを更新しない不満が書き込まれ、アイスホッケーも長野県連盟がホームページを更新しないので今週末に開催されるアイスホッケーのインターハイの長野県大会の情報が知りたいのか僕のブログにインターハイの事を書いたら通常以上のアクセスがありファンは常に情報が欲しいのだと思います。


BJ長野県チームの運営会社のスタッフの皆様、母体も無くゼロからのスタートで大変なのは分かりますが例えばスポンサーの会社のインタビューや事務所に来てくれた人のインタビューなど更新の記事はいくらでもあると思います。定期的にホームページを更新をお願いしたいと思います。


チーム名の公募も多かったものを何件かリストアップして欲しいと思います。途中の過程が分からずにいきなりチーム名が決定しても応募してくれたファンは白けると思います。商標に引っ掛かるならその理由を公表するなりして常に情報公開して行かないと地域に開かれたチームにならないと思います。


バスケットボール部だった人にBJリーグの事を聞いても知らない人が多いです。知名度が無いのは仕方ないにしてもコンサート会場、映画館、スーパー銭湯、大型スーパー等に今秋から始まります。とポスターを貼らせてもらうなりのアピールしないとほとんどの長野市民が知らないまま開幕してしまうと思います。ホームページ更新と知名度アップに向けて頑張って欲しいと思います。


シーズンが開幕したらタダ券のバラマキはやめて欲しいと思います。パルセイロの開幕戦を見に行きましたがサポーターよりタダ券客の方が多くうんざりしましたが、かつてメガネスーパーさんがプロレスに参入した事があり見に行きました。周りのお客さんはタダ券客で白けて正規の入場料を払ったのがバカらしく行くのはやめました。


BJの代表の河内氏はタダ券でもお客さんが入ればグッズを買ってくれたり飲食店にお金を落としてくれるという考え方ですが、タダ券が当たり前になると次からお金を払って見に行こうとはコアなファン以外は思わないと思います。


かつて栄えた韓国のプロボクシング興業もお金持ちが興業を買い取り無料でお客さんを招待していたのでキップを買ってボクシングを見る習慣がなくK-1が韓国に進出した時は苦労したという話を聞いた事があります。


タダ券客では会場の一体感を生みにくいしBJリーグで開設時からあり動員数に苦戦しているところはタダ券を開設時にばらまいたところが多いと思います。タダ券のバラマキは





やめて欲しいと思います。タダ券には注意して入場収益を確保出来るように知恵を絞って欲しいと思います。


とまれBJ長野県チーム、レライカム北海道の経営難をしっかり研究してチーム運営して欲しいと思います。今秋のシーズンに期待しています。  


2011年01月19日 Posted by プラネマン at 06:26Comments(0)JBL、バスケその他

上田千曲卒 柳沢投手富士重工へ

僕は毎日新聞の携帯サイトを契約しています。毎日新聞は社会人野球を後援していてそれだけのために契約しているようなものですが長野県関係者のニュースが何点か聞かれるようになりました。


長野市に基盤を置いて活動している信越クラブさんが毎年恒例の善光寺必勝祈願マラソンを開催したそうです。青木島にあるグランドから善光寺まで往復約14キロを走る恒例行事だそうですが2年ぶりに2大ドーム出場を善光寺で祈願してきたそうです。去年は不本意な成績に終わりましたが今年はさらなる飛躍を期待したいと思います。


上田千曲高校を卒業して東北福祉大学で活躍した柳沢投手が社会人野球の強豪富士重工に入社が決ったそうです。

柳沢投手は高校時代に投手に転向したそうですが東北福祉大学ではMAX146をだし参考記録ながらも5回完全試合をしたそうです。今春入社する選手5人のうち投手は柳沢投手1人だけでチームの期待度が分かる気がします。

富士重工が所属する北関東は激戦区で強敵が多いですがその中でもまれて活躍して欲しいと思います。


僕が知っている社会人野球の長野県関係者は松本工業から日本生命に行く柿田投手、去年の全日本選手権で強敵ヤマハ相手に1安打完封大会タイ記録の奪三振を奪った上田西高出身エネオスの倉又投手、岡谷南高出身一般入試で明治大学に入り主将を務め、社会人野球では08年にベスト9に選ばれたエネオスの宮沢選手と今回指名された柳沢投手の4人がいます。

4選手の今シーズンの活躍を期待しています。
  


2011年01月18日 Posted by プラネマン at 05:52Comments(0)社会人野球

役所広司、佐藤浩市が泣かせます

長野ロキシーさんで公開中の二人の忠臣蔵を見てきました。

赤穂浪士討ち入り前夜、佐藤浩市さん演じる寺阪吉右衛門は大石内蔵助から切腹の列に加わらず生き続けて遺族を訪ね暮らしを助けて欲しいと命じられます。

寺阪は16年かけ全ての遺族を回りましたがかつての同士で討ち入り前に全てを捨て姿を消した役所広司さん演じる瀬尾孫左衛門を見かけます。

寺阪は瀬尾を尾行しますがそこで桜庭ななみさん演じる可音と瀬尾は暮らしていました。二人の関係とは‥瀬尾はかつての同士だった寺阪を斬りつけてきますが16年の間に何があったのでしょうか‥


日本の二大演技派俳優の佐藤浩市さんと役所広司さんの夢の共演が実現した作品です。日本人に慕われている忠臣蔵はまだ物語の途中で人間関係が希薄になって行く現代において二大俳優が日本人が無くしつつある物を感動的に描いています。

忠誠とか義理とかはある意味重苦しいものですが二大俳優がそれを見事に男のロマンとして演じ強烈な余韻を残しました。

男の世界を描いた映画ですが出演した女優陣もストーリーを盛り上げてくれて桜庭ななみさんの可憐な美しさは一見の価値はあり映画情報誌キネマ旬報の去年の女優新人賞に桜庭ななみさんが選ばれましたが受賞に相応しい演技を見せてくれました。


常に可音をたてる瀬尾、終盤に「女の黒髪の一筋が男を救う」という台詞が出てきますがそれが物語の余韻を強いものにしています。

北の国からシリーズの杉田成道監督が感動的に仕上げています。僕がこの映画を見たのは15日の土曜日で大雪の日でした。公開から1ヶ月ほどが過ぎて年末年始や3連休が過ぎたのに年輩の人を中心にかなりのお客さんが入っていて口コミで広がっているような感じでした。大雪の中でも見に行ってよかった作品でした。  


2011年01月17日 Posted by プラネマン at 05:04Comments(2)長野ロキシーさん上映映画

市立博物館催し 川中島の戦い

長野市立博物館さんの特別展示室で2月20日まで ものがたり「川中島の戦い」が展示されています。昨日1月15日はギャラリートークがあり学芸員さんが展示品の解説をするイベントがあり行ってみました。

この特別展は現実世界として展開してきた歴史が時間が経つにしたがい虚構をともない歴史ドラマ化するのに対して川中島の戦いの実像を復元するのでなく川中島の戦いがその後にどのようにドラマ化したのか焦点をあてたそうです。


まずは長野市立博物館さんが所有する武田信玄の自筆文書の解説がありました。現在確認されている武田信玄の自筆文書は6点しか残っていませんが長野市立博物館さんが所蔵する自筆文書はそのうちの1つだそうです。


文書の内容は「鳥屋(長野市七二会)の敵が増強され鬼無里に夜襲をかけてきたという情報があるが事実かどうか調査せよ‥」という内容だったそうです。

僕は中学卒業まで鬼無里にいたので戦国時代にすでに鬼無里という地名が出てきた事や武田信玄が鬼無里に注目した事があったのか‥と嬉しくなりました。


武田信玄、上杉謙信が英雄になるのは江戸時代になってからで歌舞伎などで川中島の戦いを取り上げられたり、川中島の戦いの書物が出たりした事が要因になっているそうです。大衆娯楽として川中島の戦いが親しまれると史実から離れてしまう反面もありますが当時の文化が形に残ったという一面もあり興味深い解説をしてもらいました。


川中島の戦いがゲームになったものが展示してあり郵便局が出したパズルや茶臼山とか海津城まで陣地になっている合戦ゲームは遊んでみたかったな‥と思いました。


学芸員さんの解説がなければ分からなかった事がたくさんあり雪の中を行った甲斐がありました。バブル期とはいえ川中島合戦の屏風が3億円で売れたとは凄い話だと思いました。


知的好奇心が満たされた1日でした。次回のギャラリートークは2月20日の2時からです。長野市立博物館さんの次の催し物に期待したいと思います。



  


2011年01月16日 Posted by プラネマン at 10:02Comments(0)長野市立博物館の催し物

長野市権堂 チェルーで新年会


昨日1月14日長野市権堂にあるチェルーさんで会社の新年会がありました。

チェルーさんは北陸銀行長野支店さんのある通りを北上して1階に案内所があるビルの地下にあります。

新年会の幹事とチェルーさんの経営者が知り合いという事で決ったそうですが店内に入ると洋風で綺麗で開放感がありカウンター席もあるのでデートスポットとしても利用出来る感じでした。

座敷でくつろぐ居酒屋とは対照的でお酒の雰囲気を楽しめるお店でジン、テキーラ、ラム酒、ワイン他居酒屋では扱っていない洋風のお酒が20種類以上ありいい雰囲気を楽しめました。

居酒屋より洋風パブといった感じなので飲み会恒例の刺身や鍋料理等はありませんが小さい写真は名前は忘れましたが鳥肉にニンニク味を付けたものでパンと一緒に食べると美味しくて酒が入ると料理は残ってしまうものですが気が付いたら無くなっていてあまり食べれず残念でした。

写真大きい方がハニートーストでトーストの上にアイスクリームが乗っかっていてトーストの熱さとアイスの冷たい食感が良かったですがアイスが溶けてから食べた方が美味しいと言われました。

パンの耳もパリパリして美味しくトースト自体も喫茶店のモーニングで食べるトーストより格段に美味しく感じました。

僕は酒があまり好きでなく会社の飲み会というと煩わしさを感じますが洋酒の数の多さと洒落た雰囲気に充分楽しめました。

店を出ると寒さは厳しかったですがほろ酔い気分が心地よく久々に美味しい酒を飲めた満足感に浸れました。  


2011年01月15日 Posted by プラネマン at 09:11Comments(0)食べ物

銀河鉄道の夜まもなく終了します

http://www.youtube.com/watch?v=UQ5nGScwllo&sns=em

長野市立博物館さんで現在プラネタリウム番組「銀河鉄道の夜」が好評上映中です。

宮沢賢治原作の銀河鉄道の夜をKAGAYAさんが監督、脚本、CGを手掛け幻想的に仕上がっています。

この作品の全国のプラネタリウム観客動員は100万人を超えてプラネタリウム番組としては異例の集客力でいかにこの作品が全国の天文ファンをはじめ多くの人々に愛されているのが分かると思います。

長野市立博物館さんのスタッフのお話ではこの作品を最高に見た人は20回を超えるそうです。プラネタリウムのドーム一面をスクリーンにしたこの作品は映画館とは違う迫力で見る人に感動を与えると思います。

時間も40分程度にまとめられ小さなお子さんでも見やすく飽きが来ないと思います。過去のプラネタリウム鑑賞で眠くなった人も多いと思いますが人々に馴染みがある作品なので堅苦しかったり小難しい話で無く眠くなる事はないと思います。小さな頃聞いた話が最新のCGテクニックにより芸術の世界になり眠気より感動が勝ると思います。


KAGAYAさんは天文普及とアーティストとしての功績が認められ小惑星11949番はKAGAYAYUAKA(カガヤユタカ)と名付けられたそうです。


長野市立博物館さんで銀河鉄道の夜の投影は今年の4月17日までとなります。あと3ヶ月ほどになりましたが休みの日は限られますので早めの鑑賞がよいと思います。料金も大人250円、高校生120円、小中学生50円とお手頃価格になっていると思います。


KAGAYAさんの弟の加賀谷玲さんが音楽を担当しています。幻想的な音楽が作品をより神秘的に仕上げています。


加賀谷玲さんの作曲した曲の楽譜が発売予定で楽しみです。とまれ長野市立博物館さんで非日常的な時間をお過ごし下さい。  


2011年01月14日 Posted by プラネマン at 02:10Comments(0)プラネタリウム

アイホインターハイ長野日程決定

中央通りを歩いていたら写真のようなポスターを発見しました。今月の19日から23日まで長野県の岡谷、軽井沢、ビックハットでアイスホッケーのインターハイが開催されるそうです。


長野オリンピックの記念でアイスホッケージャパンのナショナルチームが国際試合をしていた長野カップの中止、名門西武が廃部する前は毎年トップリーグの試合がビックハットで見れましたが西武廃部によりトップリーグの試合が長野市で開催される事も無くなり今年はアイスホッケーの試合と無縁かと思っていたのでインターハイが開催され未来のアイスホッケー界を支える若者の試合がビックハットで行われると聞き(個人的には土曜日出勤と日曜日は所用があり見にはいかれませんが‥)嬉しく思います。

長野県からは長野工業、軽井沢高校の2校が出場します。長野工業は1月20日に八戸商業、軽井沢高校も1月20日に北海高校と対戦します。両校の健闘を願っています。


22日土曜日は準々決勝が軽井沢と岡谷で2試合ずつ行われ午後から準決勝2試合が行われ23日の午前中に決勝戦が行われるようです。


高速道路が開通しているとはいえ岡谷や軽井沢で試合をしてからビックハットに移動するとは強行日程のような気がします。この時期は雪により道路状況が悪くなる可能性があるので1日2試合行うにしろ同じ会場でないと選手が気の毒な気がします。土曜日は準々決勝のみにして1日かけてゆっくり移動して日曜日に準決勝と決勝を行うような日程の方がよかったと思います。

僕はインターハイの日程を日本アイスホッケー連盟のホームページで知りました。地元開催でありながら長野県アイスホッケー連盟のホームページではインターハイの事が何も記載されてなくて残念に思います。


最新記事は長野カップについて‥で今年は中止、来年以降も未定という内容が書いてありましたが年間日程を見れば長野カップが開催されない事は分かっているしシーズン半ばの今頃発表する内容でもないと思いますが、去年のホームページの方が見やすく更新をちゃんとしていてよかったです。

今回のインターハイは今シリーズの長野市における唯一の全国規模の大会です。県アイスホッケー連盟はもっと盛り上げるようにしっかりお願いしたいと思います。県アイスホッケー連盟にはこまめに情報の更新を望みたいと思います。

アイスホッケーファンとしてはインターハイが素晴らしい大会になるように願っています。  


2011年01月13日 Posted by プラネマン at 06:27Comments(0)アイスホッケー

ブログ開設2周年

今日1月12日でブログ開設2周年になります。内容がマニアックで初対面の人やデートの話題で盛り上がれる内容ではありませんが2年間毎日更新を続けブログがライフスタイルになりつつあります。


長野ロキシーさんに興味を持ちナガブロを知りました。長野市内にはロキシーさんや長野市立博物館さん社会人野球の信越クラブさんと長野市を基盤に有意義な活動をしている方々や僕が若い頃関わり世間的には知名度がないユースホステルや格闘技の情報を発信したいと思っていました。


知り合いがナガブロをやっていたのを知り2年前の1月12日に会った時教えてもらったのがナガブロを始めたきっかけでした。今は教えてくれた人より熱心に更新しています。


ブログの面白いところはこんな記事誰も見ないだろうな‥と思った記事がどこかで取り上げられていたりキーワードによっては検索すると上位になっていたりするのが面白いと思います。

ブログを開設した事が縁で若い頃お世話になったキックの師匠に再会出来たり富山県までコンサートに行ったりした楽しみがありました。


個人的な記事でアクセスが多かったのは信州のサッカーの記事は軒並み100を超えるアクセス数で注目の高さを感じます。食べ物の記事や芸能人の記事はアクセス数が増える傾向にあります。


特に印象的だった記事は2月1日の携帯彼氏は一週間限定上映ながらもアクセス数が多かったです。4月17日の交通違反罰金12000円トホホ‥、10月3日の社会人野球のジンクスが信州のサッカー、食べ物、芸能人を抜かした記事の中のベスト3です。


とまれこれからもマニアックな情報を発信して行きますので何か興味があった時は覗いて下さい。これからも写真の愛犬ともどもよろしくお願いします。  


2011年01月12日 Posted by プラネマン at 05:05Comments(4)ブログ