パイオニア戦志 剛竜馬

ナガブロガーのハルチャンさんのブログでお城巡りの記事があります。僕も若い頃姫路城を見て日本の築城の技術に感動してお城巡りをした事があり興味深く見ました。

個人的に一番スケールの大きかったのは姫路城、一番のお気に入りは丸亀城でお城から見える海の美しさと木造建築の暖かみが印象に残っています。穴場は玉藻公園でかつての城跡ですが海の水を利用した水城でかつてのスケールを思うと歴史のロマンを感じてしまいました。


玉藻公園も丸亀城も同じ香川県で他に琴平宮に行ったりうどん巡りをしたり鬼ヶ島に行ったり琴電に乗ってプラネタリウムに行ったり名前は忘れましたが高いタワーに行ったり往復フェリーで行ったり楽しい旅行でした。


なぜ香川県に旅行に行ったかというと香川県の琴平町で街興しの一環として駅前広場でプロレスの試合がありました。92年の7月だったと思います。


当時のプロレスファンの間で密航という言葉が流行っていて例えば大阪に住んでいた僕が違う地区にプロレスを見に行くのを密行といいました。当時僕は大阪にいましたが家庭の事情で長野に帰る事になり思い出旅行と密行もかねて香川県に行きました。


見に行った団体はオリエントプロレスといいかつて藤波辰巳選手と好勝負をした剛竜馬選手が起こした団体で琴平町の試合が旗上げ戦でした。


バブル経済のまっただ中の1989年に剛竜馬選手、アポロ菅原選手、高杉正彦選手、の3人が独立系の団体パイオニア戦志を旗上げしました。

そこに大仁田厚さんがゲスト出演して2試合組まれましたが見に行った藤波辰巳選手に酷評され当時は見に行かなくてよかったと思いました。


時は流れて1年後、僕は就職をして大阪勤務になりプロレス観戦の機会も減るだろうと思い写真にあるパイオニア戦志一周年記念興業に行きました。


全5試合でしたが前座の2試合は若手の試合でした。西利郎対橋詰和浩、板倉広対川内英紀と無名の新人でしたがロープに相手を飛ばす事もなく大技も出す事もなくひたすらグランドのレスリングを繰り広げひた向きさが伝わって来て感動的でした。


琴平で試合をしたのはこの興業の2年後でパイオニア戦志からオリエントプロレスに名前を変えての旗上げ戦でした。


パンフレットを無くしてしまったので対戦カードは覚えていませんがパイオニア戦志時代より外人レスラーが増えていましたが前座のガチガチのレスリングスタイルは健在で試合が進むにしたがってつまらなくなっているな‥というのが僕の印象でした。


オリエントプロレスは出前プロレスとして全国各地に呼ばれたら行きます。というスタイルでしたが琴平駅前広場で行われた旗上げ戦は屋台から出る煙が悶々としていてお客様の乗っていない電車が試合会場の近くを通り抜けて行き普段のプロレス興業と違う雰囲気があり楽しかった事を覚えています。


オリエントプロレスはその後しばらくして無くなったようですが出前プロレススタイルとガチガチの前座のスタイルが気に入っていたので残念でした。


ハルチャンさんの玉藻公園のブログを見てオリエントプロレスの事を思い出し剛竜馬選手を検索してみました。剛竜馬選手は1年半ほど前に亡くなっていたそうで寂しく思いました。不器用ながらもプロレスが好きだという雰囲気がにじみ出て個人的には好きな選手でした。昭和のプロレスラーが亡くなっていくのは淋しいですが剛竜馬選手のご冥福を祈りたいと思います。  


2011年01月24日 Posted by プラネマン at 06:43Comments(2)プロレス