アントニオ猪木さん緊急入院

最近映画アカシアで映画主演、大晦日の格闘技イベントでもプロデューサーをして積極的に活躍する元プロレスラーのアントニオ猪木さんが胆石が出来て緊急入院したそうです。手術も無事に終わったそうで来月開催予定の猪木さん主催のイベントには差し支えないと聞き昭和のプロレスファンとしてはホッとしました。

僕はかつて金曜日夜8時に放送されたワールドプロレスリング中継に魅せられた昭和のプロレスファンでした。僕は当時身体が小さく虚弱体質だったので強豪外国人レスラーを薙ぎ倒す猪木さんに魅せられました。父親が単身赴任であまり会話した記憶が無く猪木さんに父性を見ていた事もあったと思います。


当時猪木さんはサトウキビの残りカスから家畜の餌を作り世界の食糧難を救いたいと事業を立ち上げましたがその話を聞いた頃、某大学で砂漠の緑化の研究をしていると聞き猪木さんに影響されて高卒で就職するつもりで職業高校に進学した僕が大学進学を目指すようになりました。


大した戦績は残せなかったものの若い頃格闘技の世界に足を踏み込んだのも猪木さんの影響が強く少年時代の僕に父親以上の影響を与えてくれました。


僕が猪木さんの試合を初めて生で見たのは1989年4月の第1回目の東京ドーム興業でした。当時ペレストロイカで旧ソ連のアマレスラーや柔道家等の格闘家が新日本プロレスに参戦して映画のロッキーにあやかり日米ソ三ヶ国対抗戦を企画して東京ドームで興業しました。


猪木さんはオリンピックのメダリストだったショータ、チョチョシビリ選手と柔道対プロレスの異種格闘技戦をしました。特別ルールでロープを全て取り外すノーロープマッチで行われ猪木さんが柔道の裏投げを連発されてまさかのKO負けでした。


大阪城ホールの猪木さんの再戦も見に行きましたが旧ソ連の格闘家の身体能力の高さに驚かされて猪木さんの試合をきっかけに彼らが中心の新しいスタイルのプロレスが出来る事に期待して東京にいた間は益々プロレス鑑賞にハマっていき若い頃は猪木さんの影響をだいぶ受けました。


時は流れて1994年月刊空手道という雑誌で東海地方を中心に活躍する寛水流さんという空手流派の主催するオープントーナメントの広告を見ました。かつて空手家の水谷氏が猪木さんに挑戦した事が縁で猪木さんの本名から寛の文字と水谷氏の水から一文字とり寛水流と名付けたそうです。

寛水流さんは手技による顔面攻撃禁止の極真ルールで試合が行われますが一度極真ルールの試合をしてみたかったのともしかして猪木さんをが来るのかな?と期待して三重県の久居市で開催された寛水流さんのオープントーナメントに参戦しました。


開会式に猪木さんが出席しました。猪木さんは僕の母親とあまり年は変わりませんが空手家の中にいても頭1つ分大きく目立っていて現役時代ならもっと凄いオーラを出して目立っていたんだろうな‥と思いました。

写真のサインはこの時の大会のパンフレットにあったものですが猪木さんの肩書きがスポーツ平和党参議院議員になっていました。猪木さんは議員当時、イラクの日本人人質解放に向けてフセイン元大統領に直談判したり雲仙普賢岳の噴火に対して積極的に行動したりした事を思い出して懐かしく思いました。


大会は75の流派が参加して盛大に行われました。僕は段外軽量級に出場しましたが130人エントリーしていて会場は凄い活気でした。僕は無惨な判定負けでしたが猪木さんの神髄が武道の世界まで浸透しているのは大会に参加して見て実感出来ました。


個人的な猪木さんの思い出を長々と書いてしまいましたが閉塞感に包まれた日本で猪木さんが活躍してもらい闘魂注入して欲しいと思います。猪木さんの活躍を願っています。  


2011年01月09日 Posted by プラネマン at 10:48Comments(0)プロレス