プロレスリングノア/長野アークス興行/16年9月4日/写真10枚その2

今日9月10日は長野市アークスセンタービルにあるかかりつけのアークス歯科医院さんに行きました。この日はアークスセンタービルではイベントが無く歯科医の通院患者のみで閑散としていましたが先週の日曜日にはこの場所でプロレスリングノアさんの長野興行があり賑わっていたことを思い出していました。


アークスセンタービル内にあるアークスホールは300人程で満員になる小ホールですが観客数に関係なく痛みがダイレクトに伝わってくる激しいプロレスが展開されました。


前回もアークスホール興行の写真10枚ブログアップしましたがメインイベントの8人タッグ中心で今回はそれ以外の試合をブログアップしたいと思います。


拳王選手たちが鈴木軍の入場を阻止した場面、筋肉バスターを決めている場面、ロープの反動を利用して関節技を決めている場面を中心にブログアップしました。

ガラケーの撮影で動いている選手を上手く撮影できませんでしたが会場の雰囲気を感じ次回のアークスホール興行が盛り上がって欲しいと思います。プロレスリングノアさんの更なる繁栄と早い時期に長野市に来てくれることを願っています。  


2016年09月10日 Posted by プラネマン at 18:02Comments(0)プロレス

プロレスリングノア/長野アークスホール興行/写真10枚/16年9月4日

今日9月4日長野市アークスホールでプロレスリングノアさんの興行がありました。

ノアさんとしては半年ぶり、個人的な観戦としては7月のビッグハットG1以来、アークスホールでは6月のDDTさんの興行以来でした。


観客数は一昨年11月の初回のアークスホール興行に比べ若干空席がありましたが観客数に関係なく激しいぶつかり合いがありこれぞプロレスだ!と満足できる試合でした。


詳しくは後日ブログアップしますがガラケーで写真撮影をしてみました。スピードが速くガラケーでは良い写真が撮影できませんでしたがノアさんの激しいプロレスの雰囲気を感じてもらえれば嬉しく思います。メインイベントで鈴木みのる選手と潮崎選手が僕の近くでやり合い潮崎選手がグロッキーになった激しい攻防でした。


最後はノア正規軍が勝ちましたが鈴木みのる選手は余程悔しかったのか若手に暴行して気の毒でしたが暴行された若手も悔しさをバネに強くなって欲しいと思います。


鈴木みのる選手は若手の暴行でも足りなかったのかパーティションを壊してしまいましたが関係者が会場関係者に平謝りするのかな…と余計な心配をしてしまいました。


多分今回で今年最後のプロレス観戦になりそうですがプロレスの深さや面白さを再確認でき充実した時間を過ごせました。


ノアさん素晴らしいファイトをありがとうございました。長野市での早期の興行とレスラーの皆様の更なる活躍とノアさんの繁栄を願っています。  


2016年09月04日 Posted by プラネマン at 20:51Comments(0)プロレス

DDTプロレス/長野アークスホール興行写真10枚/16年6月11日

更新が遅くなり2ヶ月も前になってしまいますが6月11日に長野市アークスホールにDDTプロレスが巡業に来ました。インディー系として20年近くの歴史を持つプロレス団体ですが長野市初上陸で僕も初観戦で楽しみでした。


レスラーの中には山ノ内町出身の渡瀬瑞基選手、佐久市出身の大鷲透選手、俳優の坂口憲二さんのお兄さん坂口征夫選手他個性的なメンバーが集まりエンターテイメント色の中にも格闘技色を入れプロレスの奥ふかさを感じた興行でした。会場には渡瀬選手のファンの女性がたくさん集まり活気と熱気があり普段は企業や専門学校がある一般市民には縁遠いアークスの風景と違い嬉しく思いました。


ガラケーで写真撮影をしてみましたがあまりうまく行かず残念でしたが10枚ブログアップしてみます。DDTプロレスの激しく楽しい雰囲気を会場に居なかった人に知ってもらえれば嬉しく思います。


選手関係者の皆様素晴らしい興行をありがとうございました。早い時期に長野市に巡業に来てくれることと11月3日の佐久市興行の盛会とDDTプロレスの繁栄を願っています。  


2016年08月16日 Posted by プラネマン at 13:51Comments(0)プロレス

旧長野市民体育館/プロレス観戦の思い出/長野市真島

僕はかつて金曜日夜8時から放送されていたワールドプロレスリング中継に魅せられプロレスが好きでした。東京に住んでいた専門学校時代はバイト代のほとんどをプロレスや格闘技観戦に使っていましたが社会に出てからはしばらくプロレスから離れていました。


一昨年11月アークスホールにプロレスノアが巡業に来ました。当初アークスホールとプロレスというイメージが合わないでいましたが会場の一体感は最高で東京にいた頃にプロレス会場に通ったし一体感に通じるものがありアークスホールやプロレスがますます好きになりました。


次回は来週6月11日にアークスホールでプロレスがあり楽しみですが長野市のプロレス興行の新しい聖地アークスホールに対して期待が高まる中で僕が初めてプロレスを観戦したのが旧長野市民体育館だったので昭和の時代の聖地だった旧長野市民体育館についてリスペクトを感じたりプロレス興行の歴史を知りたくなりました。


旧長野市民体育館はホワイトリングに近い真島地区にあったと思いますが場所が思い出せず長野市民体育館でググってみましたが良くわかりませんでした。


個人的なプロレス初観戦は僕が高校3年だった1985年春、第1次UWFでした。

親戚の伯父さんに連れて行ってもらいましたがド迫力な試合の連続でした。

セミファイナル、藤原喜明選手対ミスター空中選手 メインが高田伸彦選手対マッハ隼人選手の対戦でした。

山崎一夫選手がマッハ選手のセコンドにつき2人を軸にプロレスが動いて行く気がしました。


その後東京に行ったので旧長野市民体育館に行ったのは1993年か4年のwingでした。会社の同僚も観戦に来ていました。僕は一階で見ていましたがブギーマンという選手が入場前に客席を暴れていきましたが僕は椅子から動かずにいました。ブギーマン選手が椅子を蹴りあげると僕は驚き立ち上がりました。2階で見ていた同僚はバネが飛び出した玩具のようだった…と語っていました。同僚はブギーマン選手の身の軽さに感激していました。


その後IWAジャパンを見に行きました。当時僕は格闘技をしており試合が近かったですがマードック選手が来るので見に行きました。得意の垂直落下式ブレンバスターで勝ちました。


長野市民体育館プロレスでググってみました。


真っ先にくるのが1988年7月27日、天竜源一郎選手対ハンセン選手のUN,PWFタイトルマッチ、
1979年、国際プロレス、グレート草津選手対スーパースタービリーグラハム選手、木村選手、浜口選手、原選手対上田選手、斎藤選手、ヒト選手


1979年全日本女子、ジャッキー佐藤、ルーシー加山選手対池下ユミ選手他

1984年11月25日、鶴田選手、天竜選手、タイガーマスク選手対レイス選手、ニックボックウインクル選手、エル、エビプシオ選手、

馬場選手、木村選手対ハンセン選手、ブロディ選手、
ファンクス対シン選手、マイクショー選手、
キッド選手、スミス選手対鶴見選手、ワンマンギャング選手

1985年7月12日全日本女子、みなみ鈴香選手(北斗選手のパートナー出場)

1979年5月20日第2回MSGシリーズ開催、

1987年5月9日、カブキ選手対原選手、ジョンテンタ選手対栗栖選手


タイムマシンがあったらどの試合も見に行きたい好カードが組まれていました。旧長野市民体育館はオリンピックの頃に取り壊されましたが感動をありがとうございました。歴史があった旧長野市民体育館に感謝と敬意を現しつつこれからはアークスホールに期待したいと思います。  


2016年06月04日 Posted by プラネマン at 22:47Comments(0)プロレス

Wー1プロレス/5月1日長野アークスホール興行/写真10枚

ゴールデンウィーク中の5月1日長野市アークスホールに武藤敬司選手率いるWー1プロレスが巡業に来ました。


場内の照明を消して独自の照明を持ち込み地下ファイトというか非日常的なムードの中で試合を行いいつものアークスホールとは一味違う感じで演出は良かったです。


演出だけでなくファイトも素晴らしく肉弾戦は入場料以上の価値がありました。メインイベントではフィニッシュはAKIRA選手が決めましたがAKIRA選手は今から25年以上前に僕が東京にいた頃に前座で松田選手とガンガンやり合っていた選手でレスラー生活30年を越えるベテランながら若手を倒しあっぱれで元気を貰った興行でした。


ガラケーで写真撮影をしました。実際は見やすいのですがガラケーで撮影すると照明の関係で上手く撮影出来ず見てくれた人に臨場感が伝わるか心配ですがWー1プロレス観戦をして今年のゴールデンウィークは大満足な連休になりました。

参加されたレスラーの皆様素晴らしいファイトをありがとうございました。8月の横浜興行の成功とWー1プロレスの繁栄と次回早い時期に長野市に来てくれることを願っています。  


2016年05月07日 Posted by プラネマン at 14:40Comments(0)プロレス

シアタープロレスin NGK/なんばグランド花月/1990年7月29日

先程FMW対UWF連合軍の記事を書いた時に押し入れの奥から昔の半券を引っ張りだしてみました。それを見ていたら青春時代の懐かしさを感じました。その中で新日本プロレスさんと吉本興行さんのタイアップしたシアタープロレスinNGKのチケットがあり懐かしく感じました。


僕は1990年3月に東京の専門学校を卒業、新卒で入社した会社で大阪に配属になりました。僕は当時自動車学校で免許取得中で取得してから大阪に向かいました。7月の終わりだったと思います。


そして仕事や通勤以外で初めて大阪でプライベートに出かけたのがなんばグランド花月で開催されたシアタープロレスinNGKでした。なにわプロレス起こしの一環として行われなんばグランド花月の舞台の上にリングを組み試合をした他にいろいろなイベントがありました。


僕は高校2年生だった1984年秋に修学旅行で大阪に行きました。長野県の公立高校の修学旅行は当時は広島というのが定番でしたが何故か僕の年は大阪でクラスメートとなんばグランド花月に行きました。


当時は長野市には高速がなく初めて大阪で高速に乗り感激しました。そして大阪は都会で進路に大阪を選ぼうかと本気で考えました。大阪ではなんばグランド花月に寄ったきりでしたが集合写真を撮影してもらい卒業アルバムにその集合写真が乗っていました。


あれから6年後…まさか大阪に住みなんばグランド花月に来るとは思えませんでした。このプロレス観戦のチケットは10000円で僕はプロレス格闘技を100回以上観戦していますがその中で一番高いチケットで思い入れは深い興行でした。

僕はプロレスや格闘技を観戦しても結果を残してなかったので今から思えば勿体ないことをしたと思います。シアタープロレスで検索すれば違う団体の情報ばかりで日付で検索しても情報は少なかったですがシアタープロレスinNGKから20何年後に新日本プロレスさん主催でシアタープロレスが開催されたニュースがありました。

そして第1回目のシアタープロレスの記事がありました。そこで闘魂3銃士の試合
木村健吾さんの歌謡ショー
猪木氏と西川のりお氏の議員対談があった…と書いてありました。


シアタープロレス観戦からしばらくして僕は配属された会社の大阪支店にいた3歳年上のOLさんが好きになり告白しましたが「プラネマン君は悪い人じゃないけどちょっとね…私は強い人が好きなの…」と言われ1発奮起してキックボクシングのジムに入門しました。

紆余曲折がありましたが吉本興行さんが僕の所属していた連盟を支援してくれなんばグランド花月地下のディスコジェニーでキックボクシングの興行が行われることになりました。


僕も出場させてもらいましたが高校時代に修学旅行に行き大阪で初めてプライベートで出かけた思い入れの深い場所でキックボクシングの試合が出来て感極まるものがありました。


半券を見ながら感じるものがありました。先月49歳になったばかりの僕はあの頃のように熱く生きていないのが現実ですがいつかなんばグランド花月に行って無くしたものを取り戻してみたいと思いました。  


2016年05月04日 Posted by プラネマン at 19:32Comments(0)プロレス

FMW対UWF連合軍/4月27日後楽園ホールで実現

僕は1980年後半に毎週金曜日夜8時から放送されていたワールドプロレスリング中継を見て以来プロレスが好きになりました。高校卒業後に東京に行きましたがバイト先のほとんどをプロレスや格闘技観戦に使っていました。


その後家を買ったり転職したりでいつしかプロレスから離れていましたが長野市にアークスホールという長野市民の僕でもほとんど行ったことのない卸売り団地の中のイベントホールにノアが巡業に来て以来身近で見たプロレスの迫力にプロレス熱が復活しました。最近ではアークスホールで頻繁にプロレス興行が行われるようになりネットで情報を検索するようになりました。


昨年6月にアークスホールにFMWが…同じく6月に運動公園体育館に大仁田厚選手が電流爆破マッチを行い2回長野市に来ました。
僕はFMWをリアルタイムで見ていましたが何か大袈裟な大仁田厚選手を良く思っていませんでした。しかし昨年6月に大仁田厚選手を2回見ると組織に縛られているようなサラリーマンの僕と違い還暦近いのに好きなことをやっている大仁田厚選手を眩しく感じますますプロレスが好きになりました。


プロレスの記事を検索していると4月27日に大仁田厚選手率いるFMWと船木選手を大将格にUWF連合軍の対戦が実現した…と知り小躍りしそうになりました。


FMWとUWFは対極なことをしていながらも89年〜90年頃盛り上がっていました。しかし全く接点がない関係でした。


時は流れて2016年…両者が交流することになりました。UWFも分派に別れてしまいましたが船木選手がUWFに入団すると聞いた時のワクワク感は半端ではなく船木選手はUWFを名乗っても良いと思います。そして「UWFもFMWも後継者がいない…」という発言を聞いて両陣営の接近に思い入れが深くなりました。


20年前に交流が実現したら違った形になったと思いますが大仁田選手も還暦に近く船木選手も47歳になり生きて行く大変さを感じ応援したくなりました。


僕が対抗戦を知った時はすでに結果は知っていましたが綱を引いて対戦相手を選ぶとかイルミネーションイレイザーマッチ、柔道形式の勝ち抜き戦など考えるだけでワクワクするものを感じ船木選手や大仁田選手の25年前の影響力の強さを感じました。


対抗戦は2試合あり…
藤原喜明選手、長井満也選手、佐野巧真選手対田中将斗選手、上田勝次選手、リッキーフジ選手は藤原選手が上田選手にアキレス腱固めで勝ち…


メインイベントは大仁田厚選手、雷神矢口選手、NOZAWA論外選手、保坂秀樹選手対船木誠勝選手、高山善廣選手、アレクサンダー大塚選手、富宅選手の対戦、懐かしい同窓会的なカードになり会場で見たかった一戦でした。


メンバーを見るとプロレスの奥ふかさを感じますがかつて感激を与えてくれた対抗戦に出場されたレスラーの皆様のご多幸を願っています。


写真は1990年6年2日土曜日のFMW後楽園ホール興行、1989年UWF東京ベイNKホール、船木選手がバックランド選手と対戦して良さを出せなかった試合の半券です。  


2016年05月04日 Posted by プラネマン at 18:18Comments(0)プロレス

ドリー、ファンクJr. 選手と青柳優馬選手/全日本プロレス/4月10日長野アークスホール興行

更新の機会が遅くなりましたが4月10日長野アークスホールに全日本プロレスが巡業に来ました。春の祭典チャンピオンカーニバル公式戦3試合他往年の名レスラードリーファンクJr.選手と長野県松本市出身の青柳優馬選手が出場して盛り上がりました。


ドリーファンクJr.選手は70歳を越え青柳優馬選手は二十歳なのでお祖父ちゃんと孫のようなタッグでしたがコンビネーションはばっちりで青柳選手が場外の床の上でボディスラムを食らった時に真っ先に救援に行ったのはドリーファンクJr.選手でした。


必殺のスピニングトーホールドやエルボを出して会場は大盛り上がりでプロレスの楽しさを満喫できました。写真はその時のものです。ガラケーでの撮影で上手く撮影出来ませんでしたが雰囲気を感じてもらえたら嬉しく思います。ドリーファンクJr.選手、青柳優馬選手のこれからの活躍と全日本プロレスの繁栄を願っています。  


2016年05月01日 Posted by プラネマン at 15:05Comments(0)プロレス

全日本プロレス/4月10日長野アークスホール興行写真10枚

更新が遅くなりましたが4月10日長野アークスホールに全日本プロレスが巡業に来ました。ド迫力ファイトの連続で生で見るプロレスを満喫できました。写真撮影をしてみましたが選手の動きが速くガラケーのカメラでは上手に撮影できませんでした。

アークスホールのプロレス興行の記録としてブログアップしてみました。全日本プロレスのレスラーの皆様素晴らしいファイトをありがとうございました。全日本プロレスの繁栄と早い時期に長野市に来てくれることを願っています。  


2016年05月01日 Posted by プラネマン at 13:31Comments(0)プロレス

元光GENJI/山本淳一さんがプロレスデビュー

僕は幼少の頃からプロレスファンでした。4月10日にアークスホールに老舗の団体全日本プロレスが巡業に来ました。その時に往年の名レスラー、ドリー、ファンクJr.選手が出場、ドリー選手の動きに僕を中心にオールドファンは盛り上がり楽しかったです。


そのドリーファンクJr.選手が今月17日に花鳥風月無我伝承2という興行に出場、必殺技のスピニング、トーホールドでギブアップを奪った…と2CHの芸スポコーナーにスレが立っていました。


そのスレを見た時に集合写真の左から3番目の選手は元光GENJIの山本淳一さんではないのか?という書き込みがありました。


山本淳一さんは40歳を越えているのではないか…体格もプロレス向きでなかったのではないか…と思いましたが山本淳一プロレスでググってみると今年の2月14日にプロレスデビューしていたようでした。


山本淳一選手は6タッグでデビュー、最後は自身のニックネームであるバンジーをつけたバンジーシャンプで勝ち勇気100%を熱唱した…とありました。


旧長野市民会館が2011年4月に閉館しましたが「長野市民会館50年の記憶」という本が出版され僕のブログの本カテゴリーに感想を書きましたがその中で1988年5月に旧長野市民会館で光GENJIのコンサートが開催されチケットを持たない人を含め3000人が集った…と書いてありました。


現在ならビッグハットやMウェーブがありチケット難民もいなかったと思い昭和という時代を感じましたがそれだけ人気があった山本淳一さんがプロレスデビューしたというのは生きて行くのは大変なことだと感じました。


僕は若い頃なら山本淳一選手のプロレスデビューに対してプロレスをなめるな!と怒ったと思いますが僕も年をとるとおまんまを食べて行く大変さが分かるようになり山本淳一選手には頑張って欲しいと思うようになりました。


テレビでプロレス中継を見ると格闘技の聖地後楽園ホールでも空席が目立つ興行もあり業界も大変だと思いますが40代からチャレンジした山本淳一選手がプロレス業界を活性化させて欲しいと思います。山本淳一選手の活躍を願っています。  


2016年04月27日 Posted by プラネマン at 10:28Comments(0)プロレス

ダイナマイト関西選手/16年12月11日で引退

ネットを見ていたら偶然に女子プロレスラーダイナマイト関西選手が引退する…という見出しを見つけ見入ってしまいました。3月20日の興行で引退を発表、12月11日後楽園ホール興行で引退試合を開催すると書いてありました。


ダイナマイト関西選手は元ジャパン女子プロレスに所属していました。ジャパン女子プロレスは何回か見ましたがダイナマイト関西選手は男子顔負けの激しいファイトが印象的な良いレスラーでした。


ジャパン女子プロレスが発足したのが1986年で当時僕は19歳で選手のほとんどが僕と同世代で親しみが持てました。


当時はネットが無い時代でどうしても露出が少なくあまり見にいかれずに今となっては残念に思いますが観戦した半券を調べてみたら4枚ジャパン女子プロレスの半券がありました。


1枚はグラン浜田選手と大仁田選手が全試合終了後に特別試合を行った時のもの、

2枚は大阪府立体育会館第2競技場で開催されたものでしたが記録を残しておけば良かったと後悔しています。

もう1枚は大阪府東大阪市東体育館で開催されたもので特リンで前から1列目でした。


1986年創立のジャパン女子1期生のダイナマイト関西選手はレスラー生活が今年で30年になります。

以前雑誌で見た記憶がありますが激しいファイトをしていたに関わらずジャパン女子プロレスの会社の経営は良くなく試合後におにぎり数個しか食事がなかったというエピソードがありました。


身体を酷使しながらも貫いたダイナマイト関西選手本当にあっぱれだと思います。同年代のプロレスファンとしてリスペクトしています。


ダイナマイト関西選手、残りのレスラー生活の完全燃焼と引退後のご多幸を願っています。  


2016年04月02日 Posted by プラネマン at 23:29Comments(0)プロレス

プロレスリング・ノア/長野アークスホール興行の写真10枚/16年3月12日

3月は長野市に3回プロレスが巡業に来て新日本プロレスが運動公園体育館、ノアがアークスホール、ドラゴンゲートがメルパルクと観戦して楽しかったです。

ガラケーのカメラで写真撮影を試してみました。新日本は2階席からの観戦で上手く撮影出来ずドラゴンゲートは照明の関係で白くなってしまい専門のカメラでないと厳しいと思いました。

3団体の中でノアが一番上手く撮影が出来たと思います。レスラーも動いているのでシャッターチャンスかと思うと次の展開に移ってしまい僕も観戦に集中したくなりカメラマンに不向きだと思いましたがせっかく撮影した写真なので少しでも臨場感を感じて貰えノアやアークスの良さを感じてもらえたら嬉しく思います。

個人的には3月に見た3つの会場の中ではアークスホールが一番良かったと思います。詳しい感想は既にブログアップしたのでそちらをご覧いただきたいと思いますがアークスホールが長野市のプロレスや格闘技興行の聖地になって欲しいと思いながら3月12日アークス興行の写真を10枚アップしておきます。  


2016年03月25日 Posted by プラネマン at 12:11Comments(2)プロレス

鈴木軍にリング上を占領され…/中島勝彦選手奮起せよ!/ノア・長野アークス興行

先週の土曜日3月12日に長野市アークスホールにプロレスのノアが来ました。11ヶ月ぶりの長野アークス興行でした。マイバッハ谷口選手が素顔になったり杉浦選手が鈴木軍に加入したり潮崎選手が加入したり11ヶ月前と変わっていましたが激しいファイトと老舗の某団体のように地方興行でも手を抜かないことは変わっておらず身体を張って頑張るノアがメジャーになって報われて欲しいと思いました。


現在の若いファンは知らないかも知れませんが48歳の僕が若かった頃は「密航」という言葉があり自分の住んでいる地域から離れた場所で観戦することを密航と呼びました。


若い頃は良く密航したり貧乏旅行をしましたが中年になると長野市からあまり出たくないと思いました。しかしアークスホールでの激しいファイトを見たらプロレス熱が甦り行ける行けないは別にしても日程表を見て密航に思いを馳せています。


3月12日の長野アークスホールの感想や観戦記は後日時間があるときにブログアップしますが今回のアークスホール興行ではメインに鈴木軍対ノア正規軍の6人タッグが行われ杉浦選手がオリンピック予選スラムで勝ちました。


この日鈴木軍対ノア正規軍は4試合行われましたがノア正規軍は谷口選手が勝った以外は鈴木軍が3勝1敗で圧倒しました。


セミファイナルではタッグマッチながら大将の鈴木みのる選手と丸藤選手が対戦して鈴木みのる選手が小川選手からフォール勝ちして鈴木軍の圧勝といえる興行でした。


メイン終了後鈴木軍の選手が全員リングに上がりました。僕の席からは反対側になりましたが杉浦選手がイスに座りチャンピオンベルトを持ってシリーズ最終戦の後楽園ホールで対戦する中島勝彦選手を挑発しました。コーナーポストの上まで外国人選手に陣取られノア正規軍の面目丸潰れでした。


憎々しいほど強かった鈴木軍でしたがシリーズ最終戦の3月19日はメインで中島勝彦選手が杉浦選手のベルトに挑戦します。


中島勝彦選手は11ヶ月前の長野アークス興行ではメインで丸藤選手と組みマイバッハ谷口選手と2号と対戦しました。


丸藤選手がフォール勝ちしましたが引き上げる時に中島勝彦選手と目が合いお疲れさまというとお礼を言い偉ぶらなくて凄いと思いました。故に中島勝彦選手にはぜひ勝ってもらいアークス興行でのリベンジをして欲しいと思います。


長野アークス興行の次は静岡県清水市で興行があり中島勝彦選手は飯塚選手から勝ちました。しかし次の新木場興行では4対4のイルミネーションマッチで人数のハンディがあったとはいえ杉浦選手にフォールされ屈辱だったと思います。


現在水戸興行が開催されています。現時点では結果が分かりませんが良い形で繋いで後楽園ホールでは頑張って欲しいと思います。


3月19日の後楽園ホールでの盛会と中島勝彦選手のリベンジに期待しています。  


2016年03月16日 Posted by プラネマン at 20:28Comments(2)プロレス

プロレスラー/ハヤブサ選手死去

プロレスラーハヤブサ選手が3月に入り47歳で亡くなった…と聞いてショックを受けました。


ハヤブサ選手は独立系団体FMWのエースとして活躍しました。独立系団体故に露出が少なく会場に行かなければ見る機会がなかったですが2001年に試合で大怪我をして車イス生活になりそれだけ身体を張り命懸けでファイトした証しだと感じ心底からプロレスラーだったと思います。

ハヤブサ選手は熊本の大学を卒業後にFMWの入団試験を受けて1991年5月5日にデビューしました。地方の大学に学んでも目的意識をしっかり持てば道が拓けるという例でリスペクトしていました。


ハヤブサ選手がデビューした1991年当時僕は大阪に住みプロレス興行があると団体を問わず観戦によく行きました。


大阪に住んでいた頃に3回FMW観戦に行きました。ハヤブサ選手のデビュー翌日の5月6日万博記念公園で開催された電流爆破デスマッチ


7月27日に姫路厚生会館で開催された興行はテコンドーのリー選手の活躍が印象的でした。


11月に大阪府立体育会館で開催された総合格闘技タッグマッチではシーク選手が大暴れした記憶があります。


今から思えば試合結果を記録しておけば良かったと思いますがこの3回の観戦の中に駆け出しの頃のハヤブサ選手がいたと思います。

ハヤブサ選手ファンに夢や感動を与えていただきありがとうございました。ハヤブサ選手のご冥福を祈っています。  


2016年03月08日 Posted by プラネマン at 11:13Comments(4)プロレス

松本市出身/青柳優馬選手/タイトル戦に抜擢されセミファイナルに出場/全日本プロレス

僕は昭和のプロレスファンでかつて毎週金曜日夜8時から放送されたワールドプロレスリング中継が大好きでした。その番組に影響され僕は猪木さんのファンになり老舗団体全日本プロレスはアンチでした。


しばらくプロレスから離れていましたが一昨年頃からプロレス熱が復活しました。昔はアンチだった全日本プロレスは現在では選手の移籍等でかつての勢いがなく現在では一番気になる団体になっています。


全日本プロレスが気になる理由の1つに松本市出身の青柳優馬選手の存在があります。青柳優馬選手は高校卒業後に全日本プロレスに入門、他の格闘技の経験がなく生粋の全日本プロレスイズムを持ったレスラーで現在の体制になってから第1の弟子で生粋の生え抜きだと思います。


4月10日にアークスホールに全日本プロレスが巡業に来ます。昨年10月以来半年ぶりになりますが前回の巡業に参加した曙選手他強豪選手が何人か移籍してしまい規模の縮小を感じますが会社が厳しい時期だからこそ生え抜きの青柳優馬選手が愛社精神を持って頑張って欲しいと思います。

全日本プロレスは不定期ですがスポーツ専門チャンネルガオラで放送されていますが次回の放送は2月12日東京後楽園ホールでの興行が放送されます。


メインイベントは三冠王者戦ですがセミファイナルで青柳優馬選手がガオラテレビ杯にチャレンジする抜擢を受けました。


当日の興行では秋山選手、大森選手より後のセミファイナルに抜擢され会社側の期待の高さを感じます。


既に試合は終わっていますがテレビ観戦に向けて内容は知らないでいます。

目の肥えたファンの多い後楽園ホールで観客の心をつかむ活躍に期待しています。青柳優馬選手のこれからの活躍を願っています。  


2016年02月26日 Posted by プラネマン at 22:23Comments(0)プロレス

長野市で2015年にプロレス興行は8回開催/6回生観戦

昨年2015年に長野市でプロレス興行が8回行われました。

3月26日、新日本プロレス、長野運動公園体育館
4月29日、ノア、アークスホール、
6月4日、有刺鉄線電流爆破デスマッチ、運動公園体育館
6月20日、FMW、アークスホール、
9月16日、新日本プロレス、運動公園体育館
10月17日、全日本プロレス、アークスホール


以上6回が生観戦でドラゴンゲートが3月と11月にメルパルク長野に来ましたが平日で行かれず残念でした。


3月の新日本では外道選手が出場していました。25年前の春休みに東村山市にユニバーサルプロレスを見に行きましたがその時に前座にいたのが外道選手で25年レスラーとして頑張りあっぱれだと思いました。

4月のノアはタッグマッチで頭部から危険な角度で落ちた試合があり負けたレスラーはピクリともせずにビビりました。担架で運ばれて行きましたがプロレスは危険と隣り合わせだと改めて感じました。


6月の有刺鉄線電流爆破デスマッチは電流の流れたバッドで殴ると凄い音がして煙が上がり驚きました。最後は大仁田選手が無茶選手に花を持たせプロレスの面白さを満喫しました。


6月のFMWは電流爆破のイメージが強かったので一生懸命さは伝わりましたが物足りなさもありました。金村選手が長野の田舎者!と煽りましたが僕を含めインデー一筋で身体を張ってきた金村選手に期待していたのでブーイングは起きませんでした。


9月の新日本はライガー選手、中西選手、永田選手のベテランパワー健在で嬉しかったです。猪木さんの格闘技色がなくなり淋しさもあった反面、スピーディーで激しい肉弾戦は見応えがあり会場の一体感は最高でした。


10月の全日本プロレスは松本市出身の青柳選手の健闘、鈴木鼓太郎選手の30分フルタイムドローの試合は面白かったです。この日参加したレスラーのうち離脱したレスラーが出たのは残念でしたが老舗全日本プロレスの復活を願っています。


スタイルの違いはあってもプロレスは生観戦に限ると思いました。2016年も多くの団体が長野市周辺に巡業にきてくれるのを願っています。  


2016年01月01日 Posted by プラネマン at 19:39Comments(0)プロレス

プロレスと空手をボーダーレスした青柳政治選手/15年10月4日に引退

今年の4月と昨年11月にプロレスリングノアさんが長野市アークスホールに来ました。迫力あるファイトと場内の一体感が最高でアークスホールに巡業に来てくれないかな?とノアさんのホームページを時々見ています。


そんな中で10月4日で空手家でありプロレスラーでもあったボーダーレスな活動をしていた青柳政治選手が引退したと知りました。

青柳政治選手は空手道場誠心会館の館長として空手の大会で主審をしたと思えばリング上でライガー選手やホームズ選手と異種格闘技戦をしたり多方面で活躍していました。


平成維新軍としてプロレスラーとの激闘も凄かったですが個人的に青柳政治選手を評価するのは故梶原一騎先生の追悼興行で大仁田厚選手と異種格闘技戦を組まれましたが調印式でまさかの襲撃をしたことでした。

この一撃により大仁田厚選手のFMWがブレイクしていきました。もしも青柳政治選手の襲撃がなかったらヒール不在でFMWのブレイクは無く独立系団体を通じて斎藤選手、松永選手、邪道、外道選手のプロレス入りはなかったと思います。

格闘技の世界とプロレスの橋渡しや独立系団体の振興は青柳政治選手の活躍があってこそだと思い評価しています。


青柳政治選手はツーリング中に事故に巻き込まれケガによる引退ということで未練はあったと思い気の毒ですが数々の功績もあり素晴らしい選手でした。青柳政治選手長い格闘技生活お疲れさまでした。第2の人生のご多幸を願っています。
写真は1990年頃の故剛竜馬選手のパイオニア戦志一周年記念興行のパンフレットから撮影しました。  


2015年12月30日 Posted by プラネマン at 12:34Comments(0)プロレス

天竜源一郎選手/15年11月15日で現役引退

2015年も間もなく終わりますが今年のプロレス界のビッグニュースにプロレス界のレジェンド天竜源一郎選手の引退がありました。11月15日で両国国技館で引退興行を行いましたが1万人以上の観客が集まり札止めになり団体の垣根を超えて多くのレスラーが集まり天竜源一郎選手の影響力の強さを感じました。今年で65歳、レスラー生活39年のレジェンドでした。


僕は昭和の時代猪木さんのファンで全日本に偏見を持っていましたがそれでも天竜選手の本家猪木さん顔負けの延髄切りや卍固めは凄いと思っていました。


鶴田選手との鶴竜決戦での激闘やSWSが出来てもファイトスタイルの違いにより苦悩したり神取選手との伝説の一戦などいろいろなことがあったレスラー生活だったと思います。


天竜源一郎選手長きに渡りファンに夢を与えプロレス界を支えていただきありがとうございました。天竜選手の第2の人生のご多幸を願っています。  


2015年12月30日 Posted by プラネマン at 11:56Comments(0)プロレス

全日本プロレス/チャリティー弘前大会/15年11月1日青森県武道館

少し時間が過ぎてしまいましたが11月28日にスポーツ専門チャンネルガオラで放送された全日本プロレスチャリティー弘前大会を見ました。この興行は11月1日に青森県武道館で開催されたものでした。


今年の10月に長野市アークスホールに全日本プロレスが興行にきました。生観戦しましたが激しく楽しいプロレスを満喫しました。最近は露出が少なくなった全日本プロレスですが久々にテレビ中継があると知り楽しみにしていました。


第1試合は佐藤恵一選手対中島洋平選手の対戦でした。デビュー2戦目の中島洋平選手ですが高校時代は野球で鍛えたそうです。他の格闘技の経験がない故に純粋な全日本イズムの選手になり期待しています。惜しくも7分45秒に逆えび固めで敗れましたが試合後のインタビューで必ず超えるという意気込みを語り楽しみだと思いました。


第2試合は青柳優馬選手対野村直矢選手の対戦でした。同期対決になりますが青柳選手は青、野村選手は赤のタイツを見につけ対称的な2人でした。2人の直接対決は野村選手8勝、青柳選手1勝、後楽園ホールのメインに両選手が抜擢された時に秋山社長は野村選手を評価したと解説者が語っていました。


青柳選手アームドラッグを出すと解説者はこの技は今では全日本プロレスにしか残っておらず三沢選手を彷彿させると語っていました。

ドロップキックの相打ち、青柳選手がトップロープからボディアタックを出せば野村選手もノーザンライトで返し盛り上がりましたが最後は野村選手が9分2秒スピアーでフォール勝ちしました。青柳選手翌日が二十歳の誕生日で10代最後の試合を勝利で飾れませんでしたが20歳を機会に大化けを期待しています。


第3試合はSUSHI選手復帰戦タッグマッチSUSHI,SUSHI小僧対淵正信選手、金丸義信選手の対戦でした。


淵選手スシ選手にパンチ攻撃、スシ選手も地獄突きやサイドキックと反撃、淵選手スタミナ切れで場内を沸かせ金丸選手が場外でギロチンを使い盛り上げました。最後は金丸選手が15分28秒タッチアウトで小僧からフォールを奪いました。

第4試合は6人タッグゼウス選手、吉江豊選手、ボディガー選手対大森隆男選手、ジェイクリー選手、宮原健人選手の対戦でした。


試合前にゼウス選手が前シリーズの後楽園大会で宮原選手と因縁ができ挑発していました。前半は宮原選手がゼウス選手にノーザンライトを決めたり三角絞めを見せるなど健闘しました。大森選手がアックスボンバーを出したりボディガー選手がパワースラムを出すなど激しい展開でさたが後半はジェイクリー選手が頑張りました。宮原選手とツープラトンのブレンバスターを決めたりイナズマレッグラリアットを見せました。最後は吉江選手がセントーンから18分15秒ジャンピングボディプレスをジェイクリー選手に決めて勝ちました。


第5試合は世界Jr.ヘビー級選手権チャンピオン鈴木鼓太郎選手対青木篤志選手の対戦でした。


前チャンピオン青木選手は6回目の防衛戦で鈴木鼓太郎選手に敗れ鈴木選手は今回6回目の防衛戦と因縁深い対戦でした。


青木選手場外のフェンスを使い腕攻撃、青木選手脇固めを中心に関節で優勢、青木選手は鈴木選手の腕にキック攻撃しましたが鈴木選手はロープからとんぼ返りで逃げました。青木選手トップロープからブレンバスターをしようとしますが鈴木選手が身体を入れ換え逃げました。青木選手腕ひしぎをリング中央で決めますがブレイク、鈴木選手腕ひしぎを返しエンドレスワルツ、最後は鈴木選手が18分55秒タイガードライバーからエビ固めで勝ちました。


セミファイナルは弘前大会記念スペシャルタッグマッチ船木誠勝選手、ケンドーカシン選手対諏訪魔選手、佐藤光留選手の対戦でした。船木選手のご当地興行で凄い人気でした。


カシン選手は問題になった東京オリンピックのロゴマークで入場、花束で突っかかり試合を荒れさせました。

船木選手と諏訪魔選手は2年4ヶ月ぶりの対戦、2000年青森県で船木選手がパンクラス引退興行をした時に佐藤選手が前座で試合をして因縁深い組み合わせでした。


船木選手はあびせ蹴りやチキンウイングフェースロックなど懐かしい技を出しました。最後は15分45秒ハイブリッドブラスターで船木選手が佐藤選手をフォールしました。


試合後船木選手とカシン選手が一悶着ありましたが諏訪魔選手がカシン選手に対して天竜選手引退興行で対戦する藤田選手を連れてくると言ったことに対して落とし前をつけろとアピールしましたが藤田選手来場、藤田選手と諏訪魔選手が乱闘になり藤田選手のシャツが破かれ若手レフェリーが必死で止める騒ぎがありました。


殺伐とした雰囲気の中でメインの三冠ヘビー級選手権秋山準選手対曙選手の対戦がありました。


秋山選手はジャンピンニーを2発決めると曙選手は側頭部から流血しました。曙選手劣勢も張り手一発で反撃、曙選手チョークスラム、ボディプレスと攻勢、秋山選手リバースで投げ返しランニングの膝によるダイビングニーを決めて13分16秒フォール勝ちしました。


明るく激しいプロレスを楽しみましたが曙選手、鈴木鼓太郎選手が退団するのは残念です。残された選手で全日本プロレスを盛り上げて欲しいと思いました。  


2015年12月30日 Posted by プラネマン at 11:12Comments(0)プロレス

鈴木鼓太郎選手/全日本プロレス退団

11月11日水曜日NHKBSでザ・プロファイラー〜夢と野望の人生〜という番組で故ジャイアント馬場選手の特集がありました。


ジャイアント馬場選手は幅広い年代の人々に愛された国民的ヒーローで日本にプロレスを根付かせた功労者だと思います。僕は昭和のプロレスファンですが特集を見て僕の知らないジャイアント馬場選手の素顔や足跡を知りました。


その中でジャイアント馬場選手は力道山選手が亡くなった当時アメリカでドル箱選手として大活躍していました。日本からの帰国要請に対してアメリカのプロモーターは年俸1億円の10年契約(当時の大卒の初任給が2万5千円位)で引き留めをしましたがジャイアント馬場選手は日本のプロレスを思い破格の条件を蹴り帰国しました。


ジャイアント馬場選手の生きざまを知ると創始者で血の滲む思いで築いた全日本プロレスは後世に渡り繁栄して欲しいと強く思いました。


先月僕の住む長野市に全日本プロレスが巡業に来ましたがさほど広くない会場にも空席が目立ち選手の離脱やテレビ中継の縮小で台所事情の厳しさを想像しましたがプロファイラーを見たら全日本プロレスには盛り返して欲しいと思うようになりました。


しかしこの秋でエース級諏訪魔選手や曙選手が全日本プロレスを退団、さらにJr.のチャンピオン鈴木鼓太郎選手が退団すると知りショックを受けました。


僕が鈴木鼓太郎選手を初めて見たのはKENSO選手とのガオラテレビ杯のタイトルマッチでしたがヘビー級のKENSO選手に場外でブレンバスターを決められながらも体格のハンディを越えて向かって行った試合が良く注目するようになりました。


先月の全日本プロレス長野市巡業では鈴木鼓太郎選手はJr.ヘビー級タッグリーグ戦に出場しましたがスピーディーで展開が全く読めず30分間ペースダウンすることがなくフルタイムドローの素晴らしい試合をして今年僕が6回プロレスを生観戦した中でベストバウンドだったので鈴木鼓太郎選手の退団を知り残念に思いました。


鈴木鼓太郎選手は現在開催中の世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦12月6日の大阪興行でベルトを返上するそうです。


鈴木鼓太郎選手を含め退団した選手もプロで家族を養う必要もあり少しでも良い条件の場所に移籍するのは仕方ないと思いますが鈴木鼓太郎選手の新天地での活躍と全日本プロレスが盛り返しジャイアント馬場選手の功績が後世まで残ることとプロレス界が良くなっていくことを願っています。  


2015年11月22日 Posted by プラネマン at 13:08Comments(0)プロレス