FMW対UWF連合軍/4月27日後楽園ホールで実現


その後家を買ったり転職したりでいつしかプロレスから離れていましたが長野市にアークスホールという長野市民の僕でもほとんど行ったことのない卸売り団地の中のイベントホールにノアが巡業に来て以来身近で見たプロレスの迫力にプロレス熱が復活しました。最近ではアークスホールで頻繁にプロレス興行が行われるようになりネットで情報を検索するようになりました。
昨年6月にアークスホールにFMWが…同じく6月に運動公園体育館に大仁田厚選手が電流爆破マッチを行い2回長野市に来ました。
僕はFMWをリアルタイムで見ていましたが何か大袈裟な大仁田厚選手を良く思っていませんでした。しかし昨年6月に大仁田厚選手を2回見ると組織に縛られているようなサラリーマンの僕と違い還暦近いのに好きなことをやっている大仁田厚選手を眩しく感じますますプロレスが好きになりました。
プロレスの記事を検索していると4月27日に大仁田厚選手率いるFMWと船木選手を大将格にUWF連合軍の対戦が実現した…と知り小躍りしそうになりました。
FMWとUWFは対極なことをしていながらも89年〜90年頃盛り上がっていました。しかし全く接点がない関係でした。
時は流れて2016年…両者が交流することになりました。UWFも分派に別れてしまいましたが船木選手がUWFに入団すると聞いた時のワクワク感は半端ではなく船木選手はUWFを名乗っても良いと思います。そして「UWFもFMWも後継者がいない…」という発言を聞いて両陣営の接近に思い入れが深くなりました。
20年前に交流が実現したら違った形になったと思いますが大仁田選手も還暦に近く船木選手も47歳になり生きて行く大変さを感じ応援したくなりました。
僕が対抗戦を知った時はすでに結果は知っていましたが綱を引いて対戦相手を選ぶとかイルミネーションイレイザーマッチ、柔道形式の勝ち抜き戦など考えるだけでワクワクするものを感じ船木選手や大仁田選手の25年前の影響力の強さを感じました。
対抗戦は2試合あり…
藤原喜明選手、長井満也選手、佐野巧真選手対田中将斗選手、上田勝次選手、リッキーフジ選手は藤原選手が上田選手にアキレス腱固めで勝ち…
メインイベントは大仁田厚選手、雷神矢口選手、NOZAWA論外選手、保坂秀樹選手対船木誠勝選手、高山善廣選手、アレクサンダー大塚選手、富宅選手の対戦、懐かしい同窓会的なカードになり会場で見たかった一戦でした。
メンバーを見るとプロレスの奥ふかさを感じますがかつて感激を与えてくれた対抗戦に出場されたレスラーの皆様のご多幸を願っています。
写真は1990年6年2日土曜日のFMW後楽園ホール興行、1989年UWF東京ベイNKホール、船木選手がバックランド選手と対戦して良さを出せなかった試合の半券です。
プロレスリングノア/長野アークス興行/16年9月4日/写真10枚その2
プロレスリングノア/長野アークスホール興行/写真10枚/16年9月4日
DDTプロレス/長野アークスホール興行写真10枚/16年6月11日
旧長野市民体育館/プロレス観戦の思い出/長野市真島
Wー1プロレス/5月1日長野アークスホール興行/写真10枚
シアタープロレスin NGK/なんばグランド花月/1990年7月29日
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2016年05月04日 Posted byプラネマン at 18:18 │Comments(0) │プロレス
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