考古学が解き明かす縄文人の食卓

この冬の間千曲市にある長野県立歴史館さんでやさしい信濃の歴史講座というイベントが開催されていています。期間中7回14講座のお話がありますが今回は4回目の「考古学が解き明かす縄文人の食卓」というテーマでお話がありました。


現代人は買い物〜調理〜食卓という手順で食事になりますが縄文人は調達〜煮炊き〜食卓という手順で食卓にありつけ現代人より食べるという事はハードな事でした。


更埴インター近くの屋代遺跡群から出土した動物の骨は5千年前の縄文中期前葉はニホンジカが108、イノシシが108、その他ツキノワグマが1、ホンドテンが1、約4200年前の中期後葉はニホンシカ52、イノシン278、トリが10、野うさぎ3などになっていてイノシシやニホンシカが圧倒的に多い状態でした。

イノシシのあごの骨が10頭前後見つかり血や骨髄液を塩の代わりに使っていたそうです。イノシシを捕まえると村人の食糧が潤いイノシシを捕まえるのはステータスでイノシシの骨をアクセサリーとして飾っていた人骨が見つかっています。

昭和初期まで千曲川やその支流で鮭が捕れ平安時代の法典には信濃国では都への租税として鮭の加工品を納めていた文献がありました。屋代遺跡群では鮭属の骨が550見つかり鯉科の骨の発見が20だったので鮭が食べられていたのが分かります。


縄文人はイノシシは肉を削いで土器で煮ましたが鮭類は火であぶって一部は燻製にして冬場に食べていたようです。縄文人は最低限必要な分以外は乱獲をせずに自然と共存していたそうです。


千曲川に鮭がいた事や縄文人は落とし穴や柵を作り犬を使って獲物を追い込みながら集団で猟を行い犬を食べる事はなくこの時代から人間と犬が共存していたのは興味深い話でした。時間に限りはありましたが内容の濃いお話でした。


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2013年02月19日 Posted byプラネマン at 05:07 │Comments(0)長野県立歴史館の催し物

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