リクルート活動

新年度が始まったばかりですがリクルートスーツを着た若者が目につくようになりました。

僕の勤める会社でも来年度に向けて説明会がありました。

昔の事はよく覚えていませんが、僕が就職活動をしていた頃は解禁日がもっと遅かったような気がしました。

天安門事件から20年と聞くと、事件があった年に専門学校2年生で就職活動をしていたので、最近のリクルートスーツの若者を見て長らく忘れていた自分の就職活動を思い出しました。

当時僕は1人暮らしの気楽さを満喫していました。両親は長野に戻ってくると思っていました。


当時の長野は高速道路も新幹線も無く、全国の県庁所在地の支社から東京の本社で会議をするのでどんな交通手段を使ってもいいからすぐに来いと言われた場合、長野市はワースト部門に入り陸の孤島と呼ばれた時代で当時は長野に戻ってくるのは魅力的でないと思っていました。


かといって東京の通勤事情や不動産事情を考えると、東京にいつまでもいるのは得策ではないと思い、大阪や札幌、名古屋、福岡などの大都市で新しいスタートを切りたいと思い、長野に支店があって大都市に勤務できる会社を探していました。


何社かピックアップしましたが、たまたま面接に行った会社で人事の担当が腰が低かったのが印象的で好感度があがりました。

僕が長野出身と話すとその年に入社した社員で鬼無里の人がいるよ!と言われました。〈僕の方が彼より年上でしたが、浪人したりして1つ学年が下の彼の方が先輩になってしまいましたが〉


生徒の数は少なかったですが、1年学年が違うと部活が同じでなければ接点が少なくすぐに彼の事を思い出せませんでしたが、あまり優秀な印象がなく彼で勤まるのだからこの会社でいいだろうと思い入社しました。

長野市内ならこんな事もあるでしょうが東京での同郷人との出会いに世の中狭いものだと思いました。

今は解りませんが、プラネマンが勤まるから?という理由か、僕の母校の専門学校からしばらくの間生徒が入社していたようです。

もう退社してだいぶたちますが、在職中は嫌な事もまりましたがお金をもっと貯めておけばよかったと思う以外は、今となってはいい思い出で社会人としてのイロハを教えてもらった事を感謝していて、きっかけを作ってくれた同郷の彼に感謝しています。  


2009年06月03日 Posted by プラネマン at 06:18Comments(0)つぶやき