愛犬とクラーレ 12年10月

先日姪が遊びに来て動物のテレビを見ていました。タレントの方が子熊を飼ってとても可愛い子熊でした。タレントの方に懐いていましたが熊の成長は速いので子熊を施設に預ける事になりました。子熊が最後までタレントの方を追いかけていたのが印象的でした。ペットを飼う事は楽しい事ですが別れの辛さも伴うものだと感じ愛犬と過ごせる時間を大切にしたいと思いました。


僕は6才になろうとしているメスのトイプードルを飼っています。愛犬が家に来た1月27日と僕の誕生日の4月27日の共通の27日を愛犬の日として毎月27日に食卓に刺身と季節の果物を添えて1人盛り上がっていましたが愛犬には何も与えていない事に気がつき愛犬の日の代わりに犬と同伴出来るカフェのクラーレさんに行って愛犬にご馳走を与える事にしました。

10月度は僕がソフトクリームで愛犬はかぼちゃロールケーキを与えました。愛犬は一瞬にして食べてしまいまだ欲しいようでしたがご主人様に似てメタボになってはいけないのでやめました。

ご馳走は1ヶ月に一度位がベストだと思いますが愛犬を早くクラーレさんに連れてきてあげたいと思っています。  


2012年11月06日 Posted by プラネマン at 21:57Comments(0)ドッグサロンクラーレ

ハンドボール日本リーグ07IN 戸倉

週末を利用して部屋の掃除をしていたところ忘れていたものがたくさん出てきました。その中の1つに以前戸倉に見に行ったハンドボールの半券を見つけました。

ハンドボール‥見に行ったな‥平成19年10月28日と書いてある‥5年も経つんだ‥

ブログを始めてからはさっぱりですが当時はまだ日記をつけていて読み返してみるとトヨタ車体のホームで開催され対戦相手の大同特殊鋼は2005年〜06年の日本リーグのチャンピオンだそうです。長野県内では19年ぶりの日本リーグ開催でした。


前半トヨタ車体が一時リードしますが逆転して19対13で大同特殊鋼がリードで終了、後半はトヨタ車体も健闘しましたが22対18と大同特殊鋼がとり41対31で大同特殊鋼が2年連続チャンピオンの実力差を見せて勝ちました。


何の予備知識もなく初めてハンドボールを見ましたがスピード感が凄かった事やキーパーと投げる選手が1対1になる場面等はサッカーのPKを見ているようで緊張感がありました。バスケットボールのように飛び上がる要素もありチェスとか将棋のように相手の隙を読み一歩先の動きをしているところも面白くサッカーやバスケの良いところが交じっていて迫力があると思いました。


会場内は中高生のプレーヤーを中心に思ったよりたくさんのお客さんが入っていました。観客もハンドボールが好きな人が多かったので騒がしくなくトップリーグのプレーに見入っていて良い環境で観戦出来て機会があったらまた来たいと思いました。それと同時に千曲市は思ったよりハンドボールが盛んなのだな‥と感じました。


それから数ヶ月後北京オリンピックのハンドボールの予選で中東の笛?と言う呼び方だったと思いますが不正が発覚して再試合が行われる事になり年が明けた1月に男女共に日韓戦が開催されました。女子は21対34と完敗しましたが男子は25対28と3点差で敗れました。一時は6点ビハインドを2点差まで詰め寄り追い上げ健闘しましたが惜しくも敗れました。


勝負事なので勝った負けたは仕方ないと思いましたが韓国応援団が必要以上にばか騒ぎしているようで悔しく感じました。


ハンドボールもそんなにメジャーではなく競技人口も多くないので野球が韓国に負けるのと違い責められないと思いましたが戸倉で見た盛り上がりを思い出し千曲市に集まったメンバーが近い将来韓国にリベンジしてくれないかな‥と考えていました。


千曲市がハンドボールで街起こしをして欲しいな‥とその時は思いました。各地のハンドボールの強い都市と提携して選手を派遣したり呼んだりして中学生くらいから積極的に試合経験を積ませたり戸倉上山田温泉に実業団や大学生の合宿を誘致して地元の中高生にトップレベルの技術に触れさせたり学生に千曲市の企業で就職を斡旋して午前中は仕事、午後から練習に専念出来る環境を築き引退後も企業に残れるなど手厚い待遇をして選手を確保したり技術向上の後押しをしたり千曲市の企業体でハンドボール日本リーグに参戦、屋代駅前にはハンドボールの像が出来るほどハンドボールが定着、市民に娯楽の提供をして街ぐるみでハンドボールを盛り上げて千曲市のメンバーが中心になり韓国にリベンジする事を妄想していました。


結局日本ハンドボール界は北京オリンピックの最終予選に敗れ出場出来ませんでした。それと同時にハンドボールがメディアに取り上げられる機会が無くなり僕もいつしかハンドボールの事を忘れていきました。


戸倉でハンドボールを観戦してから5年が過ぎました。あの頃と比べ長野県北部はサッカーが盛んになりもう少しでJリーグ入り出来る位置まできました。千曲市もプロバスケットボールBJリーグのチームを観光大使にして全国各地の試合で千曲市の物産を販売してハンドボールで街起こしという事が現実的には無理になりました。


こうして振り返ると5年の月日の移り変りの速さを感じますが日本ハンドボール界も北京オリンピックに出場出来なかったのは分岐点だったと思います。過ぎた事を言っても仕方ありませんがハンドボール関係者の盛り返しと次のオリンピックでの日本ハンドボール界の活躍を期待したいと思います。  


2012年11月06日 Posted by プラネマン at 06:53Comments(0)長野市周辺、スポーツの話題