作詞 出雲の神に祈りをこめて‥

僕は若気の至りで某新興宗教に関わり嫌な辞め方をしたので神社や仏閣にはあまり関わりたくなかったのですがヒストリアの出雲大社の特集はそんなトラウマを癒してくれました。
僕は10代の頃山陰地方に憧れていました。忘れていた山陰地方への郷愁をヒストリアの特集は思い出させてくれました。
ヒストリアの放送の中で一心不乱に祈っていた女性達の姿からかつて僕も出雲大社で祈祷してもらい終わった後で見た空の青さを思い出し出雲大社は究極のパワースポットだな‥と思いました。日本人の心の故郷は伊勢神宮なのでしょうが僕の中では出雲が日本の原点だと思っています。
ヒストリアの特集を見てから出雲大社に思いを馳せていましたが感極まって詞が書けました。一人旅の女性が出雲大社を参拝する‥という詞です。出来はともかく自分なりに出雲大社への思いを書いたつもりです。
日本の国は慢性的な財政赤字であり不況も底が見えない状態です。与党の民主党もバラバラの状態で政治不安になっています。こんな時代に国造りの出雲の神様に大発動していただき国難を救って欲しいと思います。
また功利主義、成果主義の世の中になり職場での人間関係がギクシャクしたり核家族化や都市部に人口が流出した事やネットの普及で個の時代になり人間関係が希薄になって行く中で出雲の神様に大発動していただき多くの人々に素晴らしい縁を結んでいただきたいと思います。
♪二両だけの列車にゆられ、たどり着いた終着駅は
♪国造りの神様の座す、大社(おおやしろ)
♪土産物屋も冷かさず、鳥居を1人でくぐる時、
♪参道の美しさに、心が洗われた‥
♪心が傷ついた、いくたの魂の、罪汚れさえ、包みこむ暖かさがあった‥
♪「祝詞をあげて祈る願いは、縁ある人と結ばせ給え‥
♪生まれ変わりを共にした縁ある魂と、今生も巡り合わせ給え‥と、出雲の神様に祈る‥」
2番♪旅路の果てにたどり着いた温もりは、
♪縁結びの神様が座す、大社、
♪淋しさに神様を慕い、心の底から祈る時、
♪今まで忘れていた、空の青さに気づいた‥
♪良縁を求めた、いくたの魂の、苦しみさえ、浄化する優しさがあった‥
♪「 」繰り返し
♪出雲の神様に祈る‥祈る‥
こうして詞を書いていると出雲大社の懐の深さや宍道湖や日本海の水に恵まれた街、城が残る古い城下町など長野市に無いものがたくさんあり出雲に憧れます。日本人の心の故郷としてこの良さがいつまでも残って欲しいと思います。
2012年11月09日 Posted by プラネマン at 22:33 │Comments(4) │作詞
八代亜紀さん 日本海
http://m.youtube.com/watch?guid=ON&gl=JP&hl=ja&client=mv-google&v=CzZLkr0UF3Y
一昨日NHKの歴史秘話ヒストリアという番組を見ました。神話の出雲、壮大なロマンというタイトルで島根県出雲の特集をしていました。
僕も10代の頃山陰地方に憧れた事があり興味深く見ました。
僕は高校時代電車通学していましたが目の前の席に座っていた人が日経新聞を読んでいました。僕の目に「砂漠で野菜すくすく‥」という見出しがありその記事の内容が知りたくなり後で調べてみました。
鳥取大学農学部が砂丘で野菜を育てる研究をしていて成果が出てきた‥という内容でした。当時父親よりも尊敬していたアントニオ猪木さんがブラジルでサトウキビから豚のえさを作り世界の食糧難を救いたいというプロジェクトを始めたと聞きました。僕も猪木さんに習い砂漠の緑化の勉強をして世の中の役に立ちたいと本気で思いそれまでは高卒で就職するつもりだったのに進学希望になりました。
それが1983年の事でした。その年の紅白歌合戦で八代亜紀さんが日本海という歌を歌っていてリアルタイムで聞きました。
汽笛と物悲しいイントロ
が印象的で出だしは♪雨降りだらけの、映画のように、全てがぼやけて行くのです‥
♪窓の右手に日本海、海は灰色雨交じり‥という歌詞でした。
長野から鳥取に行くときは窓の右手に日本海を見ながら行くんだろうな‥と思いその時はもしも雨が降っていて海は灰色になっていても希望に満ちた風景だと思うんだろうな‥と想像しました。
歌は進んで行き3番の歌詞に♪出雲の神様、呼んでいるような、ポスター見つめて泣いてます‥と歌う場面がありました。
その頃駅のポスターで島根県の観光誘致のポスターで「ここは出雲‥神の国」みたいなキャッチフレーズのポスターを見ました。能楽のような神楽のような神をイメージした衣装をした人がポスターに映っていて神秘的に思い出雲にも行きたくなりました。
鳥取と出雲は違うのでしょうが県外の人が広い長野県を信州という呼び名でひとくくりにするように山陰という枠で鳥取と出雲を同じカテゴリーに見立て憧れました。頑張って大学に受かり砂丘を見ながらキャンパスライフを過ごし週末は海を見ながら出雲に行ってみたいな‥という生活を描いていました。
八代亜紀さんの日本海のレコードを買ってきて僕のテーマソング的な意味合いで日本海を聞いていました。しかし鳥取に行きたい思いと現実の壁にギャップを感じ最後は日本海を聞くと辛くなってきました。
結局猪木さんのプロジェクトも失敗して僕の鳥取に行く夢は挫折しました。その後鳥取に行くために自らを奮い起こすために聞いていた八代亜紀さんの日本海も聞かなくなりいつしか忘れていきました。
一昨日出雲の特集を見てかつて山陰に憧れていた事を思い出し八代亜紀さんの日本海をユーチューブで検索してみました。
懐かしさとほろ苦さが入り交じった気持ちになりました。来年は八代亜紀さんの日本海をリアルタイムで聞いたり鳥取に憧れを持ってから30年の節目になります。
鳥取大学のキャンパスの近くの湖山池に行って近くの吉岡温泉に入りレンタカーを借りて鳥取から出雲まで海沿いの道をドライブして八代亜紀さんの日本海を口ずさみながら30年前に憧れた生活をしてみたいな‥と思いましたが現在の生活が大変で来年になっても景気が回復したり給料やボーナスが増えるとは思えず旅行に行くのは現実的でないな‥と思いました。
出雲や山陰地方は距離的にも経済的にも滅多に行かれないので神秘的だったり幻想的なんだろうな‥と八代亜紀さんの日本海を聞きながら思いました。
一昨日NHKの歴史秘話ヒストリアという番組を見ました。神話の出雲、壮大なロマンというタイトルで島根県出雲の特集をしていました。
僕も10代の頃山陰地方に憧れた事があり興味深く見ました。
僕は高校時代電車通学していましたが目の前の席に座っていた人が日経新聞を読んでいました。僕の目に「砂漠で野菜すくすく‥」という見出しがありその記事の内容が知りたくなり後で調べてみました。
鳥取大学農学部が砂丘で野菜を育てる研究をしていて成果が出てきた‥という内容でした。当時父親よりも尊敬していたアントニオ猪木さんがブラジルでサトウキビから豚のえさを作り世界の食糧難を救いたいというプロジェクトを始めたと聞きました。僕も猪木さんに習い砂漠の緑化の勉強をして世の中の役に立ちたいと本気で思いそれまでは高卒で就職するつもりだったのに進学希望になりました。
それが1983年の事でした。その年の紅白歌合戦で八代亜紀さんが日本海という歌を歌っていてリアルタイムで聞きました。
汽笛と物悲しいイントロ
が印象的で出だしは♪雨降りだらけの、映画のように、全てがぼやけて行くのです‥
♪窓の右手に日本海、海は灰色雨交じり‥という歌詞でした。
長野から鳥取に行くときは窓の右手に日本海を見ながら行くんだろうな‥と思いその時はもしも雨が降っていて海は灰色になっていても希望に満ちた風景だと思うんだろうな‥と想像しました。
歌は進んで行き3番の歌詞に♪出雲の神様、呼んでいるような、ポスター見つめて泣いてます‥と歌う場面がありました。
その頃駅のポスターで島根県の観光誘致のポスターで「ここは出雲‥神の国」みたいなキャッチフレーズのポスターを見ました。能楽のような神楽のような神をイメージした衣装をした人がポスターに映っていて神秘的に思い出雲にも行きたくなりました。
鳥取と出雲は違うのでしょうが県外の人が広い長野県を信州という呼び名でひとくくりにするように山陰という枠で鳥取と出雲を同じカテゴリーに見立て憧れました。頑張って大学に受かり砂丘を見ながらキャンパスライフを過ごし週末は海を見ながら出雲に行ってみたいな‥という生活を描いていました。
八代亜紀さんの日本海のレコードを買ってきて僕のテーマソング的な意味合いで日本海を聞いていました。しかし鳥取に行きたい思いと現実の壁にギャップを感じ最後は日本海を聞くと辛くなってきました。
結局猪木さんのプロジェクトも失敗して僕の鳥取に行く夢は挫折しました。その後鳥取に行くために自らを奮い起こすために聞いていた八代亜紀さんの日本海も聞かなくなりいつしか忘れていきました。
一昨日出雲の特集を見てかつて山陰に憧れていた事を思い出し八代亜紀さんの日本海をユーチューブで検索してみました。
懐かしさとほろ苦さが入り交じった気持ちになりました。来年は八代亜紀さんの日本海をリアルタイムで聞いたり鳥取に憧れを持ってから30年の節目になります。
鳥取大学のキャンパスの近くの湖山池に行って近くの吉岡温泉に入りレンタカーを借りて鳥取から出雲まで海沿いの道をドライブして八代亜紀さんの日本海を口ずさみながら30年前に憧れた生活をしてみたいな‥と思いましたが現在の生活が大変で来年になっても景気が回復したり給料やボーナスが増えるとは思えず旅行に行くのは現実的でないな‥と思いました。
出雲や山陰地方は距離的にも経済的にも滅多に行かれないので神秘的だったり幻想的なんだろうな‥と八代亜紀さんの日本海を聞きながら思いました。