須坂商業高校前交差点/15年3月30日

僕の母校須坂商業は4月から須坂園芸と統合になり須坂創成高校としてスタートします。僕は建設関係の仕事をしていますが先日須坂園芸に仕事で行くと敷地内に工業棟が出来て統合に向けて動いていることを感じました。


3月30日に仕事で須坂に行く用事がありました。その時に須坂商業の前を通りました。信号に須坂商業高校前…とありこの交差点も4月には名前が変わるのかな…と思いながら見ていました。最後に写真に残して母校が存在したことを記憶に残したいな…と思い近くのコンビニにクルマを停めて寄ってみました。


先ずは信号名を撮影して…校門にあった名前を撮影して…
遠くから信号と校舎を撮影して…

その時に病院と向かいの不動産さんや司法書士事務所や家庭教師斡旋のテナントが入ったビルを見ているとこみ上げてくるものがありました。僕が高校生の頃はここにセブンイレブンがあったんだな…

僕が高1だった1983年の冬のある日電車を1本逃したことでその後の進路に影響を受ける出来事に遭遇しました。

「お前は須商の生徒か?」セブンイレブンの前で急ぎ足の僕に対して朝から酔っぱらいが絡んできました。そうですが…と語ると酔っぱらいは「〇〇という女を知っているか?」と聞きました。僕は「そいつは同級生ですよ!」と答えるといきなり殴りかかってきて暴行を受けました。


何発か殴られ倒れたところを蹴られました。立ち上がった僕に酔っぱらいは「済まなかったな…これで何か買ってこい…」と千円札を渡されセブンイレブンの中に入りました。


一部始終を見ていた店員は「絡まれているのですか?」と聞いてきました。僕は「そうです。助けて下さい。」と頼みました。しばらくすると歴史を教えていたスッパ先生と商業科のK先生がきて酔っぱらいを連れて行きました。


スッパ先生は当時少年ジャンプに連載されたドクタースランプのスッパマンに似ていたのでスッパ…と呼ばれていました。厳しい先生で生徒からは煙たがられていましたがこの時は神に見えました。

K先生は大卒後上田駅前のデパートに勤務してから教師になりました。スッパ先生はK君は有名なデパート勤務から教師になって勿体ない…とK先生のことを言っていました。高校生だった僕はそうなのか…と思いながら聞いていましたが上田駅前のデパートが潰れたことを思うと公務員になり間もなく定年を迎えるK先生は先見の明があったんだな…と思いました。


その後分かったことは…酔っぱらいは須商を中退した僕より2つ上でその酔っぱらいが僕に聞いた〇〇というのは僕のクラスメートで酔っぱらいと付き合っていた…と知りました。酔っぱらいはスッパ先生とK先生に連れられて校舎に入る時に生徒に殴りかかり乱闘騒ぎになった…ということでした。

冬の冷気の中で殴られた場所がヒリヒリして嫌な余韻がありました。当時の僕は殴り返せなかった=ケンカが弱い…ということだと思いショックを受けました。もしもあの場面に彼女がいたら…と思ったら理不尽な暴力にどう対処するかは切実な問題だと思いました。


当時僕は進みたい進路がありました。進路のことを考えながらも理不尽な暴力に対してどう立ち向かうか…それも人生のテーマになりどんな進路に進もうとも格闘技と関わっていきたいな…と思い人生観を変えた出来事でした。


紆余曲折がありながらも格闘技をすることができました。

西日本の格闘技の殿堂、大阪府立体育館のリングに上がったり…

高校時代に修学旅行に行った難波グランド花月の地下のディスコで吉本興行さん主催の格闘技の試合に出場したり…

山梨県の空手道場を経営する人が空手対プロレスをプロデュースした時にプロレスの前座で門下生との試合がテレビに映ったり…

鹿児島県に遠征した時に3位になり地元テレビ局の名前入りの賞状を貰ったり…
九州で開催された公開他流試合に九州の空手家と対戦、格闘技専門誌にその様子が載りました。


大人になってみるとケンカが強い必要もなくスルーする方が殴りあいの技術より大切だと気がつきましたが…32年前に殴られた場所にたたずみ理不尽な暴力に対して落とし前はついた…と思いました。


仕事中だったのでいつまでも感傷に浸ってもいられませんでしたが殴られた場所を後にしながら次の少年時代の落とし前をつけることに向けて頑張りたいな…と思いながら須坂商業高校前交差点を後にしました。  


2015年04月01日 Posted by プラネマン at 11:59Comments(0)旧須坂商業、須坂創成高校

長野オリンピックグッズ/15年3月31日で販売終了

昨年末にMウェーブにスピードスケートの大会を観戦に行きました。その時に場内に「3月31日で長野オリンピックグッズの販売が終了する…」というポスターが貼ってありました。3月31日でIOCと契約が終わりオリンピックグッズの販売が終わる…ということでした。


リアルタイムではオリンピック競技に興味はなかったもののオリンピック終了後にウィンタースポーツが好きになり観戦するようになったので観戦のきっかけを作ってくれたオリンピックに感謝の意味で販売が終わる前にMウェーブに行きたいと思いました。週末は慌ただしく気がつけば今年も3ヶ月が終わりそうになり3月末日がすぐ近くまで迫りやっと重い腰を上げて3月29日日曜日にMウェーブに行き長野オリンピックグッズを見に行きました。


3月末日に一番近い日曜日だったので混雑するかな…と思いMウェーブに行きましたが外国人観光客が2人の他は3人ほどしかお客さんがいなくて長野オリンピックの関心が薄くなっているのを感じました。


とりあえずオリンピックグッズを覗いてみました。Tシャツ、ポスター、ピンバッチやキーホルダー類など想像していたより販売されていた商品は少なかった感じがしました。


オリンピック期間中はオリンピックグッズがテントに山積みにされていた記憶がありました。その頃僕はユースホステルという宿泊施設を利用して旅をしていましたがそこで知り合った県外の女性にスノーレッズのノート他オリンピックグッズを贈った記憶がありました。


その頃と比べ扱っている商品が格段と減りMウェーブのオリジナルグッズの方が販売スペースが広い気がしました。言い方はあまり良くないかもしれませんが閉店するスーパーの品揃えが少ないような印象を受けました。


Tシャツは20年ほど前にマラソン大会にハマった時の参加賞として貰ったTシャツが押し入れに山積みになりあえて必要もなくポスターを張るほど欲しいと思わず結局200円のキーホルダーを買いクルマや家の鍵と一緒にしようと思いました。


長野オリンピックが終わってから17年…扱われているグッズの数や訪れた人の数に時の流れの早さを感じました。僕の姪は4月から高校生になりますが1999年生まれの姪は長野オリンピックを知らずそれを思うとIOCと販売契約が切れたり扱われる商品が少なくなるのも仕方ないな…と思いました。


年度末には旧長野市民会館閉館、長電屋代線廃線、サンマリーン長野閉館…とお別れの出来事が多い時期ですが今年は駅ビルが出来て…南長野運動公園球技場が出来て…御開帳があり…明るい話題が多かったのでオリンピックグッズ販売終了に別れの春を感じました。

とまれ夢や感動をいただいたオリンピックとそのグッズたちよありがとうございました。また月日が流れ年をとったな…と感じたオリンピックグッズ販売終了でした。  


2015年04月01日 Posted by プラネマン at 06:48Comments(0)長野市周辺イベント、スポット